桃おやじの歴史散歩

我が町は 記紀に記載の七代孝霊天皇黒田廬戸宮の比定地。
古代史を中心に、奈良の観光や地域情報を気ままに書いています。

村屋坐弥富都比売神社(村屋神社) (別名守屋神社) NO.1

2017-02-14 14:51:52 | 地域

村屋坐弥富都比売神社(村屋神社)(別名守屋神社)
田原本町の東南の端、桜井市、天理市と接する所に蔵堂が有り、川の西を蔵堂守屋地区と呼んでいます。
その大和川(初瀬川)の西河畔に大きな社欉が見えるのが村屋神社。
一の鳥居から二の鳥居、さらに神社の横を古道、中ッ道が通ります。


参道は鬱蒼としたいちい樫の森に囲まれ、両脇には館型の灯篭が並びます。
     

祭神  弥富都比売神(三穂津姫命.穗都比売命) .大物主大神(大国主命)
創立年代は詳らかでない
     崇神天皇7年の創祀という
     神武天皇元年にヒメタタライスズヒメ命に村屋の神を斎祀させたと伝わる
     崇神天皇7年村屋坐弥富津比売神にフツノミタマを納めさせた
     宝亀3年(726)3月壬申の乱に神助が著はれ従五位下を授けられる
        神祇に品位階を奉授するのが史に見える最初である
     

摂社 服部神社 祭神 天之御中主神、天之御鉾神
   久須々美神社(恵比寿神社)神 天之久之比神、事代主神 
   村屋神社 祭神 経津主神、武甕槌神、室屋大連神、大友健持大連神            
   市杵島比売神社 祭神 炊屋姫命、宇麻志摩遲命。 物部守屋大連

神武天皇元年に媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ、神武皇妃)に村屋の神を斎祀させたと伝わり崇神天皇7年村屋坐弥富津比売神にフツノミタマを納めさせたと言われるところから、村屋神=弥富都比売神、此処へ布都御魂(フツノミタマ)(大物主?)を合祀させたと考えられます。

拝殿
元は杜屋神社であったのが、杜→村の読み違えから村屋に成ったといわれます。
大物主神は高皇産霊尊の命によって三穂津姫を妻としたが、後に三室の丘に住むこととなり、その時三穂津姫は村屋の地に移ってきたといいます。


本殿

宝亀3年(726)3月壬申の乱の際に大海人皇子(天武天皇)に味方し、神託を受けて大津皇子(弘文天皇)軍の進軍をいち早く察知、味方を勝利に導いた功績により従五位下を授けられます。           これが、神祇に品位階を奉授する最初だとされます。(当時、神官は従軍して祈祷占星をした)
貞観元年(859)正月27日従五位上『三代実録』
昭和2年(1926)9月5日、県社に昇格

主祭神の弥富都比売神は、日本書紀で、「時に高皇産霊命、大物主神にみことのりす。『汝がもし国神を以って妻と為せば、吾は汝に疎き心有りと謂わむ。故に、今、我が娘、三穂津姫を以って汝に配し妻と為す。宜しく八十万神をおさめ、長く皇孫の為に護り奉れ。』」と有ります。

高皇産霊命の姫神で大物主命が国譲りをされたときその功に報いるためと大物主命に二心のないようにと自分の娘を妻として付けたという女神です。

先代旧事本記では、饒速日尊は、長髄彦の妹御炊屋姫(みかしやひめ)を娶り妊娠させる。
古事記では登美夜毘売で登場

この ミホツ媛(弥富都比売.三穂津姫)は、ナガスネヒコ(長髄彦。旧添下郡鳥貝郷(現生駒市北部・奈良市富雄地方)付近、あるいは桜井市付近に勢力を持った豪族.長髄とは記紀では邑の名)の妹で、登美夜毘売(トミヤヒメ)、三炊屋媛(ミカシギヤヒメ)は同一人物だと考えられます。
また、中世、戦国の武将山形の織田家(後に織田信長を輩出)や仙台の伊達家が長髄彦の子孫であると言われています。

上記のごとく、大物主命は大神神社の主神であることから、その妃神である当社にも大物主命を合祀して三輪の別宮とも称せられたとあります。
又これらの故事から、縁結びの神、家内安全の神として信仰され、大神神社と対でお詣りする習慣が有りました。
先にも書きましたが天武天皇元年(673)壬申の乱のとき、村屋神が神主にのりうつり軍の備えに対する助言があり、この功績によって、神社として初めて天皇から位を賜ったと日本書紀に記され、現在は正一位森屋大明神の呼称が残っている程の名神を戴く神社です、現在正一位森屋大明神の呼称が残っています。

壬申の乱の功を後世に伝えるためにこのとき功のあった三神を回る渡御が例祭として行われていました。

三神とは事代主命を祀る久須須美神社,生雷神を祀る森市神社でしたが、その後、洪水や戦火で多くを焼失。
特に天正(1580年頃)室町末期の頃、この地に森屋城を構える豪族でしたが、十市、松永連合軍に攻められ開城 社地を無くしてしまいます。

社地を奪われ財源がなくなり渡御の神事は途絶し社地も縮小されてしまいます。

天然記念物の神社の社そう 昭和58年12月15日指定


村屋坐弥冨都比売神社(村屋神社〕には奈良盆地の沖積地に極盛相として発達するイチイガシ林が残存している。(守屋の杜)

参道周辺は古くからスギの補植が行われ、森林の高さはおよそ29mに達している。

高木層はイチイガシが優占して、アラカシ、クロカネモチなどを交えている。

亜高木層は約12mの高さがあり、サカキ、マダケ、ヤブツハキ、シロダモなどが、低木層は約2mで、ヤブツバキ、ヒサカキ、ヤブニッケイ、アオキ、マンリョウ、サネカズラ、及びイチイガシの幼木などが生育している。

草本層はべニシダ、テイカカズラ、フユイチゴ、ヤブラン、ジャノヒゲ、イチイガシの稚苗などが生育し、この地域では稀に見る良好な林相を示している。

村屋神社社そうは奈良盆地にある照葉樹林の極盛相として、植物生態学上重要であり、環境保全上からも貴重な存在である。


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