石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

「テレビを嗤う」 堤治郎著・文芸社

2012-09-06 21:24:43 | 本・書評





「週刊朝日」書評

評者・石井信平


世間は不況が続くが、テレビ界は笑いが止まらない好況のようだ。それが一向に伝わらないのは当たり前、テレビがそれを伝えないからである。

著者は三八年間、ニッポン放送なるラジオ局で報道の仕事を続け、定年退職した。テレビを書くについては「ラジオはテレビの兄貴分だ。作る側の下心は手に取るように分かる」という自負がある。

つとめ上げて定年退職した今の心境を、著者は「やはり変な業界だった」と述懐する。コツコツと溜めた新聞スクラップを整理し、読みながら、彼の内部に沸いてきたのがテレビへの怒りだった。

しかし、本書は正義の書ではない。「嗤う」という書名に表れているように「何だこりゃ」に近い。日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落する時、一切の操縦不能を知ったパイロットが叫んだ時の「何だこりゃ」だ。目を覆う惨状なのに、誰も何も言わない、コントロールできない。
 
著者によれば、テレビ局とは「電波を永久的かつ独占的に使用し、電波料として広告費を懐に入れ、制作費という名の材料費までもらい受ける一方、何ら公共に資する支出を要求されたこともない、特権まみれの営利追及会社」である。とりわけ問題は、東京キー局に権限と利益が集中している。

このキー局、本来は、地方ネット局と番組制作会社との共存共栄を運命づけられているはずなのに、自分の儲けに励み、バブル崩壊以降も右肩上がりの増収を重ねた。九九年度決算、売上げトップはフジテレビで三一三五億円、経常利益のトップは日本テレビの五二六億円。そんなに利益をあげながら制作会社が作った番組の著作権まで「いただき」なのである。

「この業界は常に晴れで、雨や雪などない」というから、全天候型ドームで守られている。こんな「民間」ってありだろうか? たとえば全国83の民放局が二七八社の関連会社をもって、放送以外の営業に励んでいる。一九八四年のデータだ。古すぎるのは当たり前で、以後、民放連は関連会社の数字を公表していない。これが報道機関であろうか?

テレビとは憲法上「表現の自由」、放送法の「編集権」で手厚く保護されたメデイアとされている。しかし、著者によれば本業は金儲けで、報道は「隠れ蓑」、記者クラブに社員を貼り付けてアリバイにしているに過ぎない。また、首相官邸の「共同記者会見」はテレビのためのセレモニーであり、地道な取材手法をこの国のジャーナリズムから奪ったテレビの責任は重大だ。

郵政当局との護送船団の歴史は貴重な言及だ。「旧郵政省は民放を芳醇な天下り用地とし、その見返りに、野放図に特権の拡大を図る民放に協力的な行政を、数十年にわたり展開した」。

かつて、行政とメデイアが野合し、もたれ合った結果の悲惨は太平洋戦争だった。とりわけ放送の戦争責任について、NHKは戦後、公式に国民に謝罪をしただろうか? 本来なら東京裁判の被告席に坐るところ、軍部弾圧による被害者ヅラをして占領期をやり過ごしたのではないか。

戦時の反省ゆえに、行政権力から独立した「電波管理委員会」がGHQの手で作られ機能していたが、それを潰して郵政省に一元化したのが吉田茂だった。一九五二年、講和条約が発効して独立した直後だから、日本人は自分の手では民主主義を貫けない民族ということになる。おかげで迎えた今日のテレビの「隆盛」である。

テレビは、「規制緩和」を言いながら電波免許の規制に守られ、「情報公開」を他人に迫りながら、自社への郵政省(現総務省)からの天下り実態、制作会社への受注金の流れ、社員への報酬システムの公開を渋っている。それこそ優秀な報道部記者諸君の「現場中継」で知りたいところだ。

放送人が初めて書いた業界への「紙つぶて」である。誰かが書かねばならなかったし、テレビを愛する人の手で、この本に続く書物が必ず現れるだろう。

放送についての深い絶望の書だが、放送人が書いたという点で、希望の書でもある。