石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

3年目の夏です

2012-07-17 14:32:05 | 描かれたエルダー (日経新聞)
昨日は都内で行われた脱原発の大規模デモに参加していたので、一日更新が遅れてしまいました。


昨日は信平さんの命日でした。


あれから三年の月日が経ちました。私にとっては永かったし、まだまだ三年しか経っていないような感覚。と、同時に退屈はあまりしていませんでした。夫が逝ってしまったあと、実に多くの素晴らしい出会いがありました。


亡くなる数日前に私に残してくれた「自由になりなさい、敦子ちゃん」


その言葉を胸に今までもがきながらも生き延びてきました。


その言葉のおかげで沢山の人と出会うことができました。



見守っていてくれてありがとう、ベビちゃん。



信平さんはわたしにとって永遠の恋人です。

永井荷風作 「勲章」

2012-01-27 18:30:50 | 描かれたエルダー (日経新聞)
 老いて、人はどこか「入り浸る」場所をもつべきだ。茶室に風雅を探り、愛人宅に足繁く通うなど、この世の見納めの場所を、おのおの確保したいものだ。

 晩年の永井荷風にとって、ストリップ小屋の楽屋がそれだった。「勲章」(岩波書店「荷風全集」所収)は、半裸の女たちが、ごろごろ横たわる乱雑な場所で、時を過ごす老人の心境を描いている。

 そこは「花屋の土間に、むしり捨てた花びら」が掃かれもせずに散らばっているような場所だった。安香水と油と人肌が混じった重い匂いがたちこめ、彼はそこで「緩かな淡い哀愁の情味」にひたることができた。ああ、こういうところではないか、男が長い人生の果てに、ほうけた顔でいつまでも「入り浸って」いたい場所は・・・。

 荷風はそこで、岡持ちをもって出入りする、赤ら顔の爺さんに出会う。丼飯を楽屋に運ぶ男は、日露戦争での手柄話が自慢だ。踊り子たちは「じゃ、その勲章を見せておくれ」とせがむ。爺さんが腹掛けの中から大事そうに取り出したのは勲八等瑞宝章。舞台衣装の軍服を着せて「私」が爺さんの写真を撮ることになった。踊り子が服に縫い付けた勲章は、左右逆の位置だった。爺さんもボケてそれに気付かない。

 「私」は仕上がった写真を引き伸ばし焼き付ける時、仕方なくフィルムの裏表を逆にして楽屋に持っていった。しかし爺さんは、あれ以来ピタリと来なくなった。折角写した写真なので、身寄りでもあれば届けたい。そう思いつつ、「私」は相変わらず楽屋に入り浸る。風紀を乱す行為に及ぶには、もう「体力がない男」と見なされることの気楽さよ。

 木戸銭を払わずに、裏口から出入りする人生には、正統な老いとは別な達観がある。世間の常識からずれて、左右を逆にして生きて、なお、そこが居心地いいならば、誰に遠慮することがあるだろう。

 永井荷風は「文化勲章」で人生の最後を飾った。そう世間に思われている。だが、その勲章をボロ畳の部屋に放置し、通い続けたのが、素肌のままの女たちがいる楽屋だった。(信)

貧乏・孤独乗り越えた老境

2011-11-28 22:58:32 | 描かれたエルダー (日経新聞)
小説 『一茶』
藤沢周平著 文春文庫


 年老いて、もし孤独と貧乏に襲われたらどうしよう。「散る花や 己におのれも 下り坂」は、老いの心境を見事に言い当てた小林一茶の俳句である。

 雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る

 教科書にも載る代表的名句で、彼は超俗と無垢な詩人と理解されてきた。しかし、藤沢周平作「一茶」(文春文庫)は、気ままな風雅に生きたと思われる彼の生涯が、実は、物乞いに等しい貧困と、世に認められない鬱屈にのたうつものだったことを描いている。

 継母にいじめぬかれて十五歳で信州を出奔、江戸での「奉公人暮らしから流寓(りゅうぐう)の暮らしへ」の一茶の転職は、二十代で「脱サラからフリーライターへ」と身を投げることだった。彼が潜り込んだ場所は、趣味人が集う句会の席だった。

 高名な俳人の弟子と偽って会をとり仕切り、駄賃や路銀をせびって、辛うじて生計をたてる日々を過ごすうち、五十歳を迎える。生涯ざっと二万句をひねりだした一茶だが、世間は俳諧を生計の道具にする彼を風雅の人に非ずと厳しかった。彼は江戸での暮らしを切り上げた。富も名声も妻子もない一茶は、ただ貧しい百姓だった弟の財産半分を自分のものにするために帰郷した。

 彼の「俗物ぶり」は、五十二歳で二十八歳の女と結婚してさらに深まる。それまで抑えた性欲は転じて「夜五交合」と、ある日の日記に記す。生れたのは俳句ではなく、四人の子どもたちだった。

 しかし、子らと戯れて過ごす悠々たる晩年は彼には無縁だった。江戸からは、つまらぬ俳人が自分より遥かに高い名声を得ている報せが届く。嫉妬と憎悪が、中風で歩くのも不自由な彼を切りさいなむ。そして、運命は彼の子供たち四人と妻を次々に病で奪い、再び彼を天涯の孤独が襲う。

 かくれ家や 歯のない口で 福は内

 彼は、六十歳を過ぎてさらに二人の妻を迎えて孤独を乗り越え、貧乏は俳句に昇華してやりすごした。枯れず、嘆かず、老醜さえ俳句にした彼を「攻めの老境」と呼びたい。

2002年10月某日 日本経済新聞「描かれたエルダー」掲載