(『文化通信』1995年2月20日号)
昭和16年12月、日本機動部隊が真珠湾に向かっていた頃、ワシントン駐在の日本大使館員は中華料理店で宴会をしていた。その結果、本国からの電信の翻訳とタイプ打ちは遅れ、歴史に汚点を残す「だまし討ち」を招く。担当書記官にはなんのとがめもなく、戦後、外務次官まで出世した。最近、外務省の公式文書が公開され、日本国民は50年目にして初めて真相を知らされた。
ひるがえってドイツではどうか。私が翻訳した『戦争の記憶―日本人とドイツ人』(TBSブリタニカ刊)は次の事実を教えてくれる。実に、1992年まで、ドイツでは「戦犯裁判」をつづけていた。元ナチ党員、強制収容所幹部に終身刑が宣告された。被告人ヨセフ・シュヴァムベルガーは、その時80歳だった。
日独のものごとの決着のつけ方が違い過ぎないか、これが本書を読んでの第一の感想である。
「雨花台」とは何か、どう読むか、私は本書を読むまで知らなかった。これは「イーホワタイ」とよむ、南京郊外の地名である。これは南京攻略の激戦地であり、虐殺の現場であり、戦後、日本軍将校の何人かが処刑された場所である。中国人なら誰でも知っている。しかし、日本人はほとんど知らない。このギャップの先に何があるのか、怖い。
だれが、どこから指令したわけでもないだろうが、戦後50年、日本人はひたすらあの戦争を忘れようとしてきたのではないか。復興も経済成長も、そのためのエネルギーのはけぐちとしてきた。この二つもどうにか終わった。次は「不況対策」と「国際貢献」だ。戦争を忘れるテーマにこと欠かないのだ。
しかし、時に忘れたいことが突きつけられる。中国残留孤児、香港軍票問題、従軍慰安婦……本書は私が見すごしてきた次のような事実も教えてくれた。
1993年3月13日、金泳三韓国大統領は大統領府秘書官会議で次のように指示した。
「日本に真相を明らかにすることを求めるが物質的補償は求めない。元従軍慰安婦の女性への補償は、韓国政府予算から支出するように。」
すなわち、日本人はいつのまにか道義上の借りもつくってしまった。これは外交上の失態でもある。イニシアチブを完全に韓国の手に握られてしまっている。つぐないをどうするか、思案にくれているうちに―。
著者、イワン・ブルマは、ヒロシマ、アウシュヴィッツ、南京…と訪ね、当事者にインタビューを重ね、ドイツと日本の戦争への対し方を検証している。その足は遠く秋田県花岡にまで及び、中国人強制連行と虐殺に現場を訪ねたうえで、鹿島組の決着のつけ方に論及している。
この、労を惜しまずに真相を追うジャーナリストの姿勢もまた、本書の見ものと言えるであろう。1951年、オランダ生まれの戦後世代の著者。戦争に何のうらみも先入観もなく、理性をもってあの戦争と格闘するエネルギーや視野をもった、このような作品が、わが同邦の戦後世代から生れてこない淋しさも、本書のもう一つの読後感である。
外務省文書は、官が官をかばう真相を伝える。そして日本人は日本人をかばってきた。我々は戦争を起こした明治人を非難しない。戦争に加担し、戦争を教えず伝えない大正・昭和の世代を非難しない。真相を追究しない戦後派を非難しない。我々は総じて誰をも非難しないまま、いま、かくの如く日本を作り、そこで生きている。戦争の決着は、21世紀の日本人に託して、我々はこの世を去るのであろうか。本書は、そのような根源的な問いに読む者を誘う。
昭和16年12月、日本機動部隊が真珠湾に向かっていた頃、ワシントン駐在の日本大使館員は中華料理店で宴会をしていた。その結果、本国からの電信の翻訳とタイプ打ちは遅れ、歴史に汚点を残す「だまし討ち」を招く。担当書記官にはなんのとがめもなく、戦後、外務次官まで出世した。最近、外務省の公式文書が公開され、日本国民は50年目にして初めて真相を知らされた。
ひるがえってドイツではどうか。私が翻訳した『戦争の記憶―日本人とドイツ人』(TBSブリタニカ刊)は次の事実を教えてくれる。実に、1992年まで、ドイツでは「戦犯裁判」をつづけていた。元ナチ党員、強制収容所幹部に終身刑が宣告された。被告人ヨセフ・シュヴァムベルガーは、その時80歳だった。
日独のものごとの決着のつけ方が違い過ぎないか、これが本書を読んでの第一の感想である。
「雨花台」とは何か、どう読むか、私は本書を読むまで知らなかった。これは「イーホワタイ」とよむ、南京郊外の地名である。これは南京攻略の激戦地であり、虐殺の現場であり、戦後、日本軍将校の何人かが処刑された場所である。中国人なら誰でも知っている。しかし、日本人はほとんど知らない。このギャップの先に何があるのか、怖い。
だれが、どこから指令したわけでもないだろうが、戦後50年、日本人はひたすらあの戦争を忘れようとしてきたのではないか。復興も経済成長も、そのためのエネルギーのはけぐちとしてきた。この二つもどうにか終わった。次は「不況対策」と「国際貢献」だ。戦争を忘れるテーマにこと欠かないのだ。
しかし、時に忘れたいことが突きつけられる。中国残留孤児、香港軍票問題、従軍慰安婦……本書は私が見すごしてきた次のような事実も教えてくれた。
1993年3月13日、金泳三韓国大統領は大統領府秘書官会議で次のように指示した。
「日本に真相を明らかにすることを求めるが物質的補償は求めない。元従軍慰安婦の女性への補償は、韓国政府予算から支出するように。」
すなわち、日本人はいつのまにか道義上の借りもつくってしまった。これは外交上の失態でもある。イニシアチブを完全に韓国の手に握られてしまっている。つぐないをどうするか、思案にくれているうちに―。
著者、イワン・ブルマは、ヒロシマ、アウシュヴィッツ、南京…と訪ね、当事者にインタビューを重ね、ドイツと日本の戦争への対し方を検証している。その足は遠く秋田県花岡にまで及び、中国人強制連行と虐殺に現場を訪ねたうえで、鹿島組の決着のつけ方に論及している。
この、労を惜しまずに真相を追うジャーナリストの姿勢もまた、本書の見ものと言えるであろう。1951年、オランダ生まれの戦後世代の著者。戦争に何のうらみも先入観もなく、理性をもってあの戦争と格闘するエネルギーや視野をもった、このような作品が、わが同邦の戦後世代から生れてこない淋しさも、本書のもう一つの読後感である。
外務省文書は、官が官をかばう真相を伝える。そして日本人は日本人をかばってきた。我々は戦争を起こした明治人を非難しない。戦争に加担し、戦争を教えず伝えない大正・昭和の世代を非難しない。真相を追究しない戦後派を非難しない。我々は総じて誰をも非難しないまま、いま、かくの如く日本を作り、そこで生きている。戦争の決着は、21世紀の日本人に託して、我々はこの世を去るのであろうか。本書は、そのような根源的な問いに読む者を誘う。