石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

官民一体メディアの行方 

2011-06-17 17:38:45 | 英国ニュースダイジェスト「メディアウォッ
 盗聴法案についてのマスコミの反応は、驚くほど鈍い。タテマエ上の解説と、推進派・反対派の識者の言い分を並列掲載でお茶を濁している。つまり「自分の問題」という認識が、まるでないのである。このままでは、野党というものがなきに等しい国会を通過するのは必至だ。

 犯罪の「恐れ」のある個人・団体の通信を盗聴できる、という法律。現場の警察官の裁量で、いくらでも拡大解釈できる。家宅捜査と同じく、裁判所の令状を必要とするというが、一体、裁判所が「その人物は犯罪の恐れはない」などと断定出来るだろうか? 好きな時に捜査員は電話局に乗り込み、自由に盗聴出来る。捜査の必要、犯罪の未然防止…いくらでも理由をつけられる。

 なぜマスコミにとって、これは「自分の問題」ではないのだろう? 計らずもこれで、普段の彼らの取材姿勢があぶり出される。つまり彼らは個人として、自前の取材をキチンとしてないのではないか? 取材基地の大半が官庁内の記者クラブ。そこで配られる資料、報告、情報をノリとハサミで切り張りしてメデイアの体面を維持している。こういうのを「官民一体」というのだろう。

 身を切るような切実さで人を取材していたら、たった一本の電話も、盗み聞かれるなど言語道断のはず。自分たちの取材メモを警察官に検閲されることを考えて見よ。あらゆる人間が「容疑者の関係者」になり得る。そのような「私」に、記者たちは一度立ち返ってみたらどうだろう

 ある不祥事を起こした官庁の記者会見をテレビで見て、強く印象に残ったことがある。記者たちの繰り返す次のような発言だ。

 「それじゃ世論が納得しませんよ」「その発言に世間は何と言うでしょうか?」。つまり相手の発言に納得がいかないわけである。なぜ、世論や世間なのだろう? なぜ、普通に、「私はあなたの言うことが納得できない」と言えないのか? こうして限りなく「私」が喪失され、残るのが精々「世間」であり「我が社」というわけだ。 

 カレー事件と言えば「ワッ」、サッチーの動静なら「ワッ」…何かとワッとなることが好きなマスコミだ。盗聴法はテメーの問題なのだ。マスコミの狂瀾怒涛の怒りを見たい! 


1999/6/10