月のたび

日々の日記

素人が、何もないところからプロになっていくというドラマに、本当の人間らしさがある

2014-03-24 14:20:14 | ひとこと言わせて!
浦和レッズの横断幕の問題で問われているのは個人と社会との関係である。

差別的な言葉を使えば、差別が生まれるってことになっていて、それは、今に始まったことではないだろう。たとえば、貧乏人とか人間のクズとか言われれば嫌になる。

では、なぜ今、この程度のことで(というのが私の実感だったが)、メディアが騒ぐのかというと、インターネット社会の進展の速さってあると思うんです。仲間内で何気なしに行ったいたずらがツイッターで炎上して社会的な騒ぎになる時代だから、個人の一つ一つの行動が社会の中でどの程度の重みがあるのかっていう、意味の重みというか、価値みたいな意味付けが、変わるのが早すぎて、あの横断幕作った人たちにしてみれば、自分らの行動があんな騒ぎになるとは思わなかったっていう、まるで、ツイッター炎上事件の少年たちのように、驚いているはずで、その驚きってのは、「自分たちではなく、社会のほうが変わってきている」ことに気付けなかったところから生まれているはずで。それが、このニュースの持つ意味の深さみたいなもの。

今、私たちが生きている意味とか価値って、静かだけど、確実に変わっていて、その変化を読み切れないと失敗する。そういう時、社会はドヤ顔で当然!みたいな反応するから。「空気読め!」ってことだ。

てことは、個人のありかたについて、今までよりも社会性が求められるようになっている。一個人の行動や発言が国や社会を代表するものであるかのごとくにとらえられてしまう。民主主義が定着して、成熟に向かっていく過程で、私たち日本国民が、この国の主としてふさわしい立場であるために、自発的に成長しているのが今。これってすごい流れだと思いませんか?

先日の記事でも書いたけど、コンビニで肩がぶつかっただけで、「すみません」って言ってくれるのが普通になったし、そういう事で思うのは、みんながみんなの人生を生きている、というか、各人が各人の主人公であるような人生を幸せにいきている、っていう、当たり前のことなんですけど。

You Tubeで中村元先生という哲学者が釈尊の言葉を紹介していて、私流に解釈すると、この世はいつ何が起こるかわからないから、他人や誰かの教えに頼るな。頼りになるのは自分だ。そのためには、その場に応じて自分で考えるしかない。そのときの基準は、人間としての常識だよ、ってことです。

これ当たり前だけど、今のように何が幸せかの基準がわからないから、みんなが自分で考えることをはじめた。それが社会的に一つの流れになって、だんだん顕在化してきていて、その中に私たちがいる。明日に地震で死ぬかもわからない時勢だし、この世はリスクだらけ。

先日の大阪市長選挙に出た二野宮茂雄という人、あの何というか、緊張で顔をこわばらせた立候補者の、声を震わせながら、早口で紙を読み上げる演説風景には、何というか、強烈なパワーを感じました。あの風貌でどこからも出てくるはずがない自主独立のパワーが、おそらく心の底で燃えていたのでしょう。それが本当の人間の強さ、どんなときにも、たとえ全てを失って裸になっても、立ち直っていけるような、人間の持つ本物の力であると思いました。そこには、経歴や肩書なんて何にも関係ありません。だから、ありゃ、素人だからこそ感動させるんですよ。