80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

雑感・雑記 (その2)

2015年05月22日 22時16分24秒 | 考える
今までの価値観から脱却すべき時。
夜明け前が一番暗い。 
そして、明けない夜はない。


自分の行為の無力さ。
他人の行為 (行動、反応、評価) があって、初めて正当化される。

一人って素敵じゃないか!!
自由気ままで、無駄な気遣いも必要ない!!
・・・その心は・・・寂しい!!!


何とかせにゃいかん。 


頼りない奴だ。
  →頼りにしていなかっただけ。→頼るべき自分を固める。

いやいや、「頼りない奴だ」という発言は、『頼りにしていた』からこそ
発せられる言葉にほかならない。


自己肯定・・・自分で自分を認められる存在にする。
気に入らなくとも、実際にそんな生き方もあるし、
それもまた、いいのではないか。

自分の感覚だけを正しいとして、
他を全く信じられないというのは、いかがなものか?


「ゴール」のイメージ。
私は何を成し遂げたいのか?
  

何を、誰を、どこまで信用するか?


インターネットにはまだ大きな可能性がある。
・・・それは否定しないが ?!

だからどうなのか・・・?
いまいちスッキリしない自分がいる。


「君も食うか?」とは、言いにくい。 
何とも情けない話だが、自分の料理に全く自信がない。



他人は他人、私がどうこうしようとしても、
結局、どうなるものでもない。


年金制度の破綻が言われているが、その対処が
まるで為されていないように思える。

今、何を為すべきか?
突然、年金給付打ち切りなどという事態も、
日本社会の弱体化、少子化を含めて、
実際に起こりうる今の日本経済の状況だ。


老人対策 
少子化で、若者3人で老人1人を支えていく構図だとか・・・。

一人暮らし・運転できにくい免許保持者。 
 ・・・返却しても大丈夫な生活環境整備。

 生活保障=買い物に出掛ける必要を無くす。
 体力保持=ジムへの送り迎え。
 精神充実=話し相手。


メンタルトリガー
 自身の社会的証明・・・権威性
 欠乏、限定性、緊急性からの解放
 優位性・・・自立の支え・・・生きてきた歴史


相手がどう考えているのか?
話してくれない以上、当方は空回りするばかりだ。
私には、これ以上、どうしようもないような気がしている。
(最近、ますますその感が強まってきている。)



私は何を為すべきか? 
近い未来を見据えて考える。
 ・・・今さら、考えている段階ではない。
     実行する段階に入っている、・・・などと。

何をどうする?


自分の過去を再確認してみる。 


死にものぐるいで生きよ。
今日は明日への通過点に過ぎない。

雑感・雑記 (その1)

2015年05月22日 06時46分20秒 | 考える
個性の尊重を言いつつ、そもそも人間総てが、皆、同じように
年を取っていくというのは、変なのではないか。

母の日にしか、母を思い出さないというのはおかしい。

総ての行為は、「完全」ではなく、「満足」の為に行われている。


全科目を完全にする必要はない。
合格最低点をクリアすれば合格できる。

プレゼンは自分の知識をひけらかすことではなく、相手の満足を
勝ち取っていく行為だ。


「ラストシーンから書く。」 スティーブン・スピルバーグ

逆算の哲学=初めに、ゴールを設定して、そこから為すべき事を
導き出して、ひとつひとつ片付けていく。

目的、目標がはっきりしていれば、自信を持って歩いて行ける。 

そこに見える未来を想像することが、実現への第一歩だ。

5年後にどうなっているか? どうなっていたいか、いるべきか?
5年間は、私にとって、どういう時間か?・・・~74歳。

結果を出すには?
何事を語る際にも、常に「将来」を見据える。


スタバで1冊本を読む。

頭痛・・・タバコの吸い過ぎか?

スタートダッシュには、その前に、それに応じた「充分なタメ」が必要だ。


命名に個性が必要だとはいえ、それが親の自己満足であってはならない。
こだわるべきは名前ではなく、その子のあり方(生き方)そのもの、
・・・育ちなのだ。

命名とは、物事に「切れ目」を入れることでもある。

それでも、本音を言えば、私はどうしようもなく、「××○○」でしかない。
う~ん・・・、わざわざ伏せ字にする必要があるのか?

が、スズキイチローさんは、つまるところ、私たちには『イチロー』なのだ。
この人は、別格・・・!! 


『人は見ようとするものしか見ない』 エマーソン。


正しいから聞くわけではない。
「この人が言うから聞く。」



閑話休題

何とも季節感のない話だが、ふと思った。

日本人はイベント好きで、ほとんど無宗教だが、
クリスマスでも、イスラムの人たちはいる。
騒ぎすぎは、快く思わないだろう。
考えてみると、キリスト教徒であっても、
日本のどんちゃん騒ぎには、眉をひそめているのではないか。
もっと注意深く対応するべきだろう。


宗教とは、心に深く根付いた信念だ。

一般の日本人の考えるような軽いもの(?)ではないと思う。
日本人は、軽すぎる。

心すべき事だ。