80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

ながめせし間に

2015年05月02日 20時28分41秒 | 考える
すべて世の中の事は、三思してもなお足らず、
十思百慮を要する事もあれば
また再思の要だになく
ただちに実行せねばならぬこともある。
   渋沢栄一訓言集 処事と接物

・・・つまり、「考える」といっても、それは、実はしがらみに縛られているだけなのです。
もしくは、責任をとるのが恐ろしいために、それを「考える」という言い訳で、正当化していることが多いのではないでしょうか。
そういう場合、あなたには勇気がないのです。
   「渋沢栄一 100の訓言」 渋澤 健著 (日経ビジネス人文庫)より



何をやっていても、何故か、後ろめたい気がしてならない。
人の心が読めない。
まぁ、よくよく知った仲とは言え、所詮は、他人同士だ。
本来、それが当然と言えば当然なのだろう。

しかし、別におもねるわけではないが、
近くにいる以上、お互い隠し事はしたくない、
してもらいたくないと、つい考えてしまう。

わがままな話だろうか? (・・・)


たとえば・・・。
・・・二人ぃ~、暮らしのぉ~、アパートでぇ~・・・♪ 


朝、一人が、起き出して、小腹が減った。
インスタントラーメンを作ろうと考える。
相棒は、昨夜遅くなって、今はまだ寝ている。

湯を沸かし、ラーメンをこしらえて、出来上がった。
相棒はまだ寝ている。

出来上がったラーメンを、一人、台所でそっと啜る。
なるべく音のしないように (目を覚まさないように) 注意しながらラーメンを啜る。

なぜか、後ろめたい気持ちだ。 

ひょっとして、今、相棒が起きてきて、「何だ・・・」と言ったらどう答える?

いやはや、ラーメン1杯、胃袋は満足しても、同時に、同じ胃袋が痛くなってくる。
・・・私は、他人より気が小さいのだろうか?


後追いで、すぐ作ればいい・・・?

どうせなら、なぜ一緒に作らない?
と言うより、なぜ起こしてくれない?  

・・・そうは、言っても・・・、いや・・・、それは・・・、なぁ・・・。


「何でもいいよ。 任せる・・・。」
丸投げされた買い物にも、結構辛いものがある。

頼んだ方は、こちらに気を遣っていいるつもりなのだろうが、
頼まれた方は、出来れば、相手の意に沿う買い物がしたいと思うじゃないか。

商品を前に、いや、それ以前に、どこに行くべきかから、あれこれ考え始める。
無数の選択肢から、「ただ一つ」を抜き出すのだ。
これは、思っているよりパワーのいる作業なのだ。

「どことかの何とか」を買ってきてくれと、指示された方がずっと気が楽だ。

最悪、何軒か店を回って、無ければ無かったと言えば済む。
何でも良いと任されたら、それなりのものを買って帰らねばと思うではないか。


人付き合いとは、事ほどさように、何とも、胃の痛くなるものだ。  



この広大な宇宙の中で、幸いにも、われわれは、地球に、そして人間として生まれてきた。


今ある自分が今の総てだ。
しかし、明日の自分は+α
出会いは、これからだ。



素材は素材でしかない。
それから先が問題だ。
素材をどう調理するのか?
嫌なところをカットして、うまいところを残していく。
その素材の「持ち味」を生かしていく。
   天ぷら職人=早乙女哲哉さん(68歳) <4月22日(水)放送のテレビ>


なるほど、と思う。 
素材ではない。
料理人の (つまり、自分の) 腕次第で、人生、うまくもまずくもなるということなのだろう。



人は誰もが、この世に生まれてきた以上、何らかの意味があったはずだ。


しかし、この歳になって、自分は、ある意味、邪魔な存在、邪魔者であり、予期せぬ、歓迎すべからぬ客だったという思いが、頭を離れない。 
この歳になって、未だにバタついているのは、ひょっとすると、どこかに、そんな想いを封じ込め、出来れば払拭したいという気持ちがあるのかもしれない。


何度も書いてきた。
私は誰の為に、そして何のために生きているのか?
さらには、それを考えている時間は、結果、無駄・・・、浪費以外の何ものでもない。

私の考えを検証してくれる人間がない。
無論、これは、私自身の努力不足。
仲間となり、導師となってくれる人間は、その気になれば、どこにでもいる・・・はずだ。
受け入れさえすれば・・・。



花の色は うつりにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに
   小野小町 (百人一首)

そう、刻は、「ながめせし間に」過ぎていく。