とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 107 THE TIGERS....花の首飾り

2017-02-28 16:45:42 | 日記
グループサウンズという言葉が流行った時期がありました。「ザ・タイガース」「オックス」「ザ・スパイダース」などといろいろありました。コンサート中に若い熱狂的な女性が失神するということもありました。当時「失神」という言葉も流行りました。
Aはそういういろいろな状況の中で、この曲が発表されたとき、ほっとしました。・・・素晴らしく落ち着いた爽やかないい曲調。たしか職場の親睦バス旅行のときだったと思います。私たち同僚は中国山脈の見渡す限りの紅葉を眺めていました。その時、カーラジオから突然この曲が流れてきました。私はすごい幸福感を味わいました。極端な言い方をすると、もやもやが吹っ切れて生きていてよかったと思いました。コーラスの場合もいいですが、トッポの独唱がなお素晴らしかったです。

THE TIGERS....花の首飾り


ザ・タイガース(The Tigers)は、日本のグループ・サウンズ。
1967年2月に「僕のマリー」でデビュー。その後、「モナリザの微笑」、「君だけに愛を」など、多くのヒット曲を放つ。1971年の日本武道館コンサートを最後に解散。その後1981年11月に「同窓会」と銘打って再結成した( - 1983年)。さらに30年を経た2013年12月にオリジナル・メンバーでの「ザ・タイガース」復活コンサートが複数回開催された。


メンバー

沢田研二(ジュリー)(1948年6月25日 - )、ボーカル、タンバリン
岸部修三(サリー)(1947年1月9日 - )、ベース、コーラス
加橋かつみ(トッポ)(1948年2月4日 - )、リードギター、コーラス、ボーカル
森本太郎(タロー)(1946年11月18日 - )、リズムギター、加橋かつみ脱退後はリードギター、コーラス
瞳みのる(ピー)(1946年9月22日 - )、ドラムス
岸部シロー(シロー)(1949年6月7日 - )、リズムギター、タンバリン、コーラス
1969年3月に脱退した加橋かつみに代わって参加。岸部修三の実弟。
1981年 - 1983年の同窓会時のメンバーは沢田、岸部兄弟、加橋、森本の5人で瞳みのるは不参加。

11月15日、初出演のテレビ番組『ザ・ヒットパレード』(フジテレビ系)収録当日、渡辺プロの制作部長から依頼を受けた番組ディレクターのすぎやまこういちにより、ザ・タイガースというバンド名が与えられた。沢田は「大阪から来たわけ?じゃ、タイガースだ」(プロ野球の阪神タイガースにちなむ)とすぎやまから言われたと後年述べている。当時アメリカ、カナダ、イギリス、日本などで人気だったアイドルグループ、モンキーズの存在を意識して動物名となったとする説もある。すぎやま自身は1987年に、「関西ってこともあったけど、なによりも初めて見たとき“若虎”って印象があったのね、彼らの動きとかにね」と証言している。また、渡辺プロからの指示により、バンドのリーダーも瞳から岸部に変更された。

1968年には「君だけに愛を」のヒットに続き、3月発売の「銀河のロマンス/花の首飾り」がオリコンシングル・チャートの1位を7週間連続で獲得、公称130万枚・オリコン調べで67.6万枚を売り上げた。7月発売の「シー・シー・シー」も6週1位となり、オリコン調べで50.8万枚を売り上げた。
1968年8月12日に日本初のスタジアム・ライブとなる「ザ・タイガース・ショー〜真夏の夜の祭典」を後楽園球場で開催。11月25日には、トータル・コンセプト・アルバム『ヒューマン・ルネッサンス』を発売。(Wikiより)

あちこち「SYOWA」 105 Carpenters 「 Yesterday Once More」

2017-02-27 22:34:54 | 日記
素晴らしいハーモニー。これもAの大好きだった曲です。カーペンターズの曲は他にもたくさんいい曲があります。「Top Of The World 」もいいですね。

Carpenters Yesterday Once More



イエスタデイ・ワンス・モア」(Yesterday Once More)は、カーペンターズが1973年に発表したシングルである。リチャード・カーペンターとジョン・ベティスの作。


昔ラジオで聴いていたオールディーズを懐かしむという内容の歌。アルバム『ナウ・アンド・ゼン』ではB面1曲目に収録され、オールディーズのカヴァー・メドレーがそれに続き、アルバムの最後は「イエスタデイ・ワンス・モア」のリプライズで締めくくられるという演出がなされている。元々はメドレーの方が先に企画され、それに意味を持たせるために、リチャード・カーペンターのアイディアで作られた曲。B面「明日への旅路」は、1972年のアルバム『ア・ソング・フォー・ユー』収録曲。
本国アメリカでは、1973年7月28日にBillboard Hot 100で2位を記録。日本とイギリスでのカーペンターズ最大のヒット曲で、日本での公称セールスは100万枚以上(オリコンでは約60万枚)。オリコン洋楽チャートでは26週連続1位を記録した。(Wikiより)


歌詞

When I was young
I'd listen to the radio
Waitin' for my favorite songs
When they played I'd sing along
It made me smile.

幼かった頃、
ラジオを聞いていた
大好きな曲を待ちながら
その曲が流れたら、一緒に歌って、
笑っていたの

Those were such happy times
And not so long ago
How I wondered where they'd gone
But they're back again
Just like a long lost friend
All the songs I loved so well.

とても幸せなときだった
遠い昔じゃないけど
どこに行ってしまったんだろうと思う
でも戻ってきた
古くからの友人のように
私の大好きな歌が

Every Sha-la-la-la
Every Wo-o-wo-o
Still shines
Every shing-a-ling-a-ling
That they're startin' to sing's
So fine.

どの「シャラララ」も
どの「ウォウウォウ」も
今も輝いてる
いつもの「シングアリング」も
歌い始めると
とても良いの

When they get to the part
Where he's breakin' her heart
It can really make me cry
Just like before
It's yesterday once more.

曲が流れて
彼が彼女に別れを告げるところになると
泣いてしまうの
昔と全く同じように
昨日をもう一度

Lookin' back on how it was
In years gone by
And the good times that I had
Makes today seem rather sad
So much has changed.

昔を振り返ったら
月日は流れていって
過去の楽しかった日々は
よりいっそう今の私を悲しくさせる
たくさんのことが変わっていってしまった

It was songs of love that
I would sing to then
And I'd memorize each word
Those old melodies
Still sound so good to me
As they melt the years away.

ラブソングだった
あのとき歌っていたのは
いまでもどの歌詞のフレーズも覚えてる
なつかしいメロディーは
今でも私に優しく響いて
過ぎ去った時間を溶かしていくの

Every Sha-la-la-la
Every Wo-o-wo-o
Still shines
Every shing-a-ling-a-ling
That they're startin' to sing's
So fine.

どの「シャラララ」も
どの「ウォウウォウ」も
今も輝いてる
いつもの「シングアリング」も
歌い始めると
とても良いの

All my best memories
Come back clearly to me
Some can even make me cry.
Just like before
It's yesterday once more.

全ての思い出たちが
はっきりと今私によみがえってくる
今でも私は泣いてしまうこともある
昔と全く同じように
昨日をもう一度

(http://lyricsgaga-translation.blogspot.jp/2015/08/carpenters-yesterday-once-more.htmlより引用。多謝)



あちこち「SYOWA」 104 サウンド オブ サイレンス

2017-02-25 00:44:09 | 日記
この澄んだハーモニーにAは酔いしれていました。しかし、歌詞の内容は当時の社会風刺のようですね。それでいいんです。Aは名曲だと思っていましたから。

サウンド オブ サイレンス



Hello darkness, my old friend,
こんにちは我が古き親友『暗闇』君
I've come to talk with you again,
また君と話に来たよ
Because a vision softly creeping,
なぜってイメージが静かに這いよって来たのさ
Left its seeds while I was sleeping,
ソイツの種を僕が寝ている間に残したのさ
And the vision that was planted in my brain
で、そのイメージが頭の中に根付いたのさ
Still remains
まだ感じるよ
Within the sound of silence.
沈黙の音の中に


In restless dreams I walked alone
休める事の無い夢の中、僕は一人で歩いた
Narrow streets of cobblestone,
細い玉石舗装を
'Neath the halo of a street lamp,
ハロゲン街灯の下を
I turned my collar to the cold and damp
寒くて湿っぽいから襟を立てて
When my eyes were stabbed by the flash of a neon light
ネオンの光で僕の目が刺され
That split the night
(その光が)夜を裂いた
And touched the sound of silence.
そして沈黙の音に触れたのさ


And in the naked light I saw
剥き出しの光の中で僕は見たのさ
Ten thousand people, maybe more.
1万か、それ以上の人々を
People talking without speaking,
彼らは声を出す事無く話し
People hearing without listening,
彼らは聞く事無く耳を傾け
People writing songs that voices never share
彼らは共に歌われる事の無い歌を書いていた
And no one dared
そして誰も反抗もしないのさ
Disturb the sound of silence.
沈黙の音を妨げていたんだ


"Fools" said I, "You do not know
『愚か者ども』僕は言った『気付きもしないのか』
Silence like a cancer grows.
『沈黙は癌が広がるようなものだ』
Hear my words that I might teach you,
『君らにも学ぶべき事があろう僕の言葉を聞け』
Take my arms that I might reach you."
『君らにも届くであろう僕の手を取れ』
But my words like silent raindrops fell,
しかし僕の言葉は静かな雨粒の様に落ち
And echoed
エコーした
In the wells of silence.
沈黙の巣窟(井戸)の中で


And the people bowed and prayed
彼らはひれ伏して祈った
To the neon god they made.
彼らの作ったネオンの神に
And the sign flashed out its warning,
(ネオン)サインは警告の瞬きを放ち
In the words that it was forming.
言葉を象っていた
And the sign said, the words of the prophets are written on the subway walls
サインには、こう書かれていた『予言の言葉は地下鉄の壁に
And tenement halls.
そしてスラム住宅に記された』
And whisper'd in the sounds of silence."
そして沈黙の音が囁かれた。

(「ヤフー知恵袋」から引用。多謝。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1336207843)


「サウンド・オブ・サイレンス」(英: The Sound of Silence)は1965年に発売されたサイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)のシングルである。ビルボード(Billboard)誌では、1966年1月1日に週間ランキング第1位を獲得。ビルボード誌1966年年間ランキングは第25位。アメリカ映画『卒業』の挿入曲として知られる。2004年に『ローリング・ストーン(Rolling Stone)』誌が選んだ「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」では156位となった。

元々は1964年のサイモン&ガーファンクルのデビュー・アルバム『水曜の朝、午前3時』に収録されていた一曲で、伴奏はアコースティック・ギターのみだった。
1965年8月に発売されたポール・サイモンのソロ・アルバム『ポール・サイモン・ソングブック』に収録された。
その間の同年6月15日、同アルバムを手掛けたコロムビア・レコードのプロデューサー、トム・ウィルソンが、その時に着手していたボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」のレコーディングのために集合していたミュージシャンを使い、エレクトリック・セクションを録音。サイモンとガーファンクルに何の断りも無く新たにオーヴァーダブを施した上でこの曲をシングルとして発売し、翌年初頭に全米ヒットチャートの1位に輝いた。その後、一度はビートルズ「恋を抱きしめよう」に首位を奪われるが、3週間後には再び1位に達した。
本作の成功を受けて、ポール・サイモンは滞在先のロンドンからアメリカに戻り、サイモン&ガーファンクルとしての活動を再開させて、本シングル・ヴァージョンを含むアルバム『サウンド・オブ・サイレンス』(1966年)を発表。その後、映画『卒業』のサウンドトラック・アルバム『卒業-オリジナル・サウンドトラック』(1968年)にも再収録された。(Wikiより)

あちこち「SYOWA」 103 往年のスターによるオールディーズの名曲!!   平尾昌晃 他

2017-02-24 23:07:44 | 日記
ああ、なんと、なんと、すごいメンバーじゃないですか。この歌手たちがAの血潮を沸き立たせたんです。洋楽もいいもんだ。弾けてます。ああ、こんなエネルギッシュな舞台もあったんだー。
久しぶりにAは興奮しました。Aは森山加代子の甘ったるい唄い方が好きでした。平尾昌晃のロカビリースタイルにも興奮しました。「初めてのキス」なんていう言葉には痺れていました。ありがとう。みなさん、ありがとう。

往年のスターによるオールディーズの名曲!!   平尾昌晃 他


ロカビリー(rockabilly)は、1950年代に誕生した音楽。RABなどと略記する場合もある。当時はロッカビリー(Rock-A-Billy)と呼ばれ、バップ(黒人ブルースマンなどが、床を'TAP'するより強く'BOP'した個人ダンス)やジャイヴ、ジルバを踊った。

1950年代初期のアメリカ南部、メンフィスなどの地域において、黒人音楽のブルースから生まれたロックンロールと白人音楽のヒルビリーやカントリーが融合して生まれ、主に白人アーティストにより1954年からの数年間を中心に流行した。1950年代当時のロカビリーは、ビル・ヘイリーやエルヴィス・プレスリーらの人気シンガーがブームの牽引役だったが、やがてそのウッドベースによるダイナミックなスラッピングベースもエレキベースに取って代わり、鋭い切り口は1957年ごろには削られ、エルヴィス・プレスリーの兵役、ジェリー・リー・ルイスのロリ婚スキャンダル、バディ・ホリーとエディ・コクランの相次ぐ死去、1960年からのツイストブーム、ソフトでドリーミーな大人受けするポップミュージックの台頭などにより人気が廃れてしまう。ネオロカに対してピュアロカと言う事がある。

日本では1958年カントリー・ミュージックのバンド「オールスターズ・ワゴン」に在籍していた平尾昌晃がソロ・デビューしミッキー・カーチス、山下敬二郎と共に「ロカビリー三人男」称され「日劇ウエスタンカーニバル」などに出演し「ロカビリー・ブーム」に発展した。和製プレスリーと称した佐々木功(現在はささきいさお)、かまやつひろしらもこの頃に登場している。(Wikiより)