とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 149 明日は明日の風が吹く 映画より:石原裕次郎

2017-04-30 00:46:59 | 日記
当時足が長いということがいい男の大事な条件でした。裕ちゃんの足の長さ、いい感じですね。足を長く見せるようズボンを長くすることが流行りました。唄も口調を真似て唄ったものです。この唄もよく唄いました。ああ、「バナナ・ボート」の浜村美智子も出ていますね。懐かしい。

明日は明日の風が吹く 映画より:石原裕次郎



浜村美智子
(http://kitagawarecord.co.jp/hamamuramichiko.htmlより)


監督

井上梅次

キャスト

松山健次=石原裕次郎 江島啓子=北原三枝 平戸寅次郎=大坂志郎 松山三郎=青山恭二 松山良太(松文字)=金子信雄 吉野千鳥=浅丘ルリ子 浜口エミ=浜村美智子(ビクター) 松山大三=小林重四郎 吉良源作=植村謙二郎 源作の息子・由造=田端義夫 難波田清五(吉野)=二本柳寛 大三の妻・みつ=高野由美 江島専務=雪丘恵介 難波田の乾分・山の井=河合健二 益井課長=神山勝 難波田の乾分・丸林=弘松三郎 難波田の乾分・木村=高品格 主任=河上信夫 医者=伊丹慶治 トレーナー川口=三島謙 友人・高井=須藤孝 愚連隊

脚本

松浦健郎 池田一朗 井上梅次(平凡連載)
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あちこち「SYOWA」 148 '74-75 夜のヒットスタジオ オープニングメドレー vol2

2017-04-28 22:46:20 | 日記
ああ、若い !!!
素晴らしい顔ぶれ。Akiraの青春そのものです。

'74-75 夜のヒットスタジオ オープニングメドレー vol2


登場順

74「恋の追跡」五木ひろし→「愛がはじまる時」欧陽菲菲 →「水色の街」風吹ジュン→「あなたの町・恋の町」三輪車→「うそ」けい子とエンディルイス→「わたしの彼は左きき」中条きよし→「君恋し」麻丘めぐみ→「君恋し」フランク永井。 75「よこはまたそがれ」南沙織→「青い果実」五木ひろし→「好奇心」山口百恵→「昨日・今日・明日」黒木真由美→「ポケットいっぱいの秘密」井上順→「笑って許して」アグネスチャン→「花と蝶」和田アキ子→「花と蝶」森進一。
 
75「絹の靴下」天地真理→「うすなさけ」夏木マリ→「雨だれ」中条きよし→「今夜かしら明日かしら」太田裕美→「友達よ泣くんじゃない」テレサテン→「ひと夏の経験」森田健作→「甘い十字架」山口百恵→「甘い十字架」布施明。
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あちこち「SYOWA」 147 杉原千畝:A Japanese Holocaust Rescuer

2017-04-27 23:21:54 | 日記
こういう日本人がいたことを忘れてはなりません。

杉原千畝:A Japanese Holocaust Rescuer


杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年(明治33年)1月1日 - 1986年(昭和61年)7月31日)は、日本の官僚、外交官である。
第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くが、ユダヤ系であった。「東洋のシンドラー」などと呼ばれることがある。 早稲田大学高等師範部英語(教育学部英語英文学科)科予科中退、日露協会学校特修科修了。

一時に多量のビザを手書きして万年筆が折れ、ペンにインクをつけては査証を認める日々が続くと、一日が終わり「ぐったり疲れて、そのままベッドに倒れ込む」状態になり、さらに「痛くなって動かなくなった腕」を夫人がマッサージしなくてはならない事態にまで陥った[53]。手を痛めた千畝を気遣い、杉原がソ連情報を入手していた、亡命ポーランド政府の情報将校「ペシュ」こと、ダシュキェヴィチ大尉は、「ゴム印を作って、一部だけを手で書くようにしたらどうです」と提案。オランダ領事館用よりは、やや簡略化された形のゴム印が作られた。
ソ連政府や本国から再三の退去命令を受けながら一カ月余寝る間も惜しんでビザを書き続けた千畝は、本省からのベルリンへの異動命令が無視できなくなると、領事館内すべての重要書類を焼却し、家族と共に今日まで残る老舗ホテル「メトロポリス」に移った。杉原は領事印を荷物に梱包してしまったため、ホテル内で仮通行書を発行した[54]。そして9月5日、ベルリンへ旅立つ車上の人になっても、杉原は車窓から手渡しされたビザを書き続けた。その間発行されたビザの枚数は、番号が付され記録されているものだけでも2,139枚にのぼった。汽車が走り出し、もうビザを書くことができなくなって、「許して下さい、私にはもう書けない。みなさんのご無事を祈っています」と千畝が頭を下げると、「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」という叫び声があがった。そして「列車と並んで泣きながら走っている人」が、千畝たちの「姿が見えなくなるまで何度も叫び続けて」いた[55]。
なお、千畝同様に上司や本国の命令を無視して「命のビザ」を発行した外交官として、在オーストリア・中華民国領事の何鳳山[56]や、在ボルドー・ポルトガル領事のアリスティデス・デ・ソウザ・メンデスがおり、ともに諸国民の中の正義の人に認定されている。(Wikiより)
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あちこち「SYOWA」 146 日本映画 瀬戸内少年野球団

2017-04-26 05:18:24 | 日記
夏目雅子の遺作です。何も言えません。Akiraはひたすら見入るだけです。

148 日本映画 瀬戸内少年野球団


1984年6月23日公開。英題は「MacArthur's Children」。配給収入は8億円。
夏目雅子の遺作、渡辺謙のデビュー作。直木賞候補作品になった、阿久悠の自伝的小説を映画化。野球を通して子供たちに民主主義を学ばせようとする女教師と、スポーツに目覚めていく子供たちとの絆を描く。

スタッフ

製作:ヘラルド・エース
製作者:YOUの会、原正人
監督:篠田正浩
脚本:田村孟
企画:海老名俊則、黒井和男
プロデューサー:飯泉征吉、山下健一郎
撮影:宮川一夫
音楽:池辺晋一郎
美術:西岡善信
主題歌:クリスタルキング「瀬戸内行進曲(IN THE MOOD)」
野球道具復元提供:美津濃
スタジオ:大映京都撮影所
MA:アオイスタジオ
現像:東洋現像所
配給:日本ヘラルド
製作協力:表現社、オフィス・トゥー・ワン

出演

夏目雅子 - 中井駒子
渡辺謙 - 中井鉄夫(中井家の次男で駒子が後添えに勧められている相手)
郷ひろみ - 中井正夫(新婚早々戦死したと思われていた駒子の夫 傷痍軍人)
岩下志麻 - 穴吹トメ(床屋“猫屋”をバーに改装する女将 戦争未亡人)
島田紳助 - 正木二郎(“バラケツ”の兄)
山内圭哉 - 足柄竜太(淡路島江坂町国民学校初等科・級長 江坂タイガースのメンバー)
大森嘉之 - 正木三郎(バラケツ)
佐倉しおり - 波多野武女(転校生で江坂タイガースに入る少女)
大滝秀治 - 足柄忠勇(竜太の祖父で巡査)
加藤治子 - 足柄はる(竜太の祖母)
ちあきなおみ - 美代(バー“猫屋”の女給で最後は鉄夫と島を去る)
内藤武敏 - 中井銀蔵
浜村純 - (老船大工)
沢竜二 - 池田新太郎
伊丹十三 - 波多野提督
不破万作 - (青年団長)
清水のぼる - スポーツ振興係
堀真一 - ボーイ
河原崎次郎 - 中井宗次
谷川みゆき - 節子(バー“猫屋”の女給)
上月左知子 - 中井豊乃
桑山正一 - 校長(江坂町国民学校の校長)
宿利千春 - 正木葉子(“バラケツ”の姉)
ビル・ジェンセン - アンダーソン中尉
ハワード・モヘッド - GI
津村隆 - 通訳
服部昭博 - 中井照夫(デブ国)
山崎修 - 新田仁(ニンジン)
森宗勝 - 折原金介(ボラ)
丸谷剛士 - 神田春雄(ガンチャ)
辰巳努 - 吉沢孝行(ダン吉)
戸田都康 - 高瀬守(アノネ)
三上博史 - 波多野啓介(武女の兄)
有安多佳子 - チトセ(戦争未亡人)
小野朝美 - とも子(戦争未亡人)
芝本正
美木良介 - 予科練帰り(Wikiより)
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あちこち「SYOWA」 145 'IN THE MOOD' - Glenn Miller (Enhanced HQ Sound HD)

2017-04-26 00:05:21 | 日記
最もアメリカを感じる曲です。淡路島出身である阿久悠の自伝的小説を映画化した「瀬戸内少年野球団」にも挿入曲として出てきました。この作品は、女優・夏目雅子の遺作であり、俳優・渡辺謙の映画デビュー作でありました。ああ、夏目雅子。生きていたら・・・。

'IN THE MOOD' - Glenn Miller (Enhanced HQ Sound HD)


オルトン・グレン・ミラー(Alton Glenn Miller、1904年3月1日 - 1944年12月15日?)はアメリカのジャズミュージシャン(トロンボーン奏者、作曲家、アレンジャー、バンドリーダー)。グレン・ミラー・オーケストラ(Glenn Miller Orchestra)を結成。
カウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン等と共にスウィングジャズ、ビッグ・バンドの代表奏者に挙げられる。

プロフィール

アイオワ州クラリンダ生まれのドイツ系アメリカ人。1915年に家族と移住したミズーリ州グラントシティでトロンボーンを始め、地元のオーケストラで演奏を始める。やがて1923年にコロラド大学ボルダー校に進学するもほとんど行かずに中退、ニューヨークにてプロのトロンボーン奏者として音楽の道に進むが、売れずに目立たない時代が続いた。やがてトミー・ドーシーやベニー・グッドマン、レッド・ニコルスなどの音楽家と親交を結び、1937年に自己の楽団「グレン・ミラー・オーケストラ」を結成後、1938年にRCA傘下のブルーバード・レコードと契約、翌1939年から「ムーンライト・セレナーデ」「茶色の小瓶」「イン・ザ・ムード」「チャタヌーガ・チュー・チュー」など次々とヒット曲を発表し、バンドリーダー、作曲家、編曲家として絶大なる人気を博した。
第二次世界大戦の勃発にともない1942年に陸軍航空軍に入隊、慰問楽団を率いて演奏にまわった。国内外ツアー他、アメリカ合衆国軍慰問団(United Service Organizations)で演奏した[1]。ミラーは精力的に慰問演奏を続けていたが、大戦末期の1944年12月15日にイギリスからフランスへ慰問演奏に飛び立った後、乗っていた専用機(UC-64)がイギリス海峡上で消息を絶った(最終階級は少佐)。原因として、ドイツへの爆撃から帰還する途中のイギリス空軍の爆撃機が上空で投棄した爆弾が乗機に当たり墜落したとする説の他、イギリス軍機の誤射で撃墜されたとする説、14日に無事にパリに着いたものの、翌日娼婦と事に及んでいる最中に心臓発作で亡くなったのを隠蔽するために行方不明にしたとの説まである。

主な演奏曲

ムーンライト・セレナーデ(Moonlight Serenade)
イン・ザ・ムード(In The Mood)
茶色の小瓶(Little Brown Jug)
真珠の首飾り(String of Pearls)
タキシード・ジャンクション(Tuxedo Junction)
ペンシルベニア6-5000(Pennsylvania 6-5000)
チャタヌーガ・チュー・チュー(Chattanooga Choo Choo) - 世界初のゴールドディスク授与曲
オーバー・ザ・レインボー(Over The Rainbow)
ムーンライト・カクテル(moonlight cocktail)
カラマズーの娘(I've got a Gal in Kalamazoo)
アメリカン・パトロール(American Patrol) - 編曲
(Wikiより)
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