とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

(番外) 小保方理論のその後

2016-05-21 07:20:20 | 日記


STAP現象の確認に成功、独有力大学が…責任逃れした理研と早稲田大学の責任、問われる

STAP細胞の特許出願、米ハーバード大学が世界各国で…今後20年間、権利独占も

 Aは小保方晴子氏が記者会見で「STAP細胞はありま-す !」と繰り返し訴えていた言葉は悲痛な訴えに違いないと感じていました。理研、マスコミはまるで彼女を犯罪者扱いして潰そうとしました。自殺者も出ました。このハーバード大学の発表を関係者はどう受け止め、どう思っているのか。Aは激しい憤りを感じました。日本の科学者のレベルを心底疑いました。特にNHKは特集番組を組んで、まるで犯罪者のように取り扱っていました。あの番組関係者は彼女に謝罪すべきです。この件に関わったすべての人が糾弾される日がくると思います。
 甦れ !! 小保方晴子さん。


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あちこち「SYOWA」 20 聞いて下さい私の人生

2016-05-18 00:16:24 | 日記
聞いて下さい私の人生(動画)★藤 圭子


 人生を語る時、不思議とAはこの唄に返ってしまいます。
 藤圭子の霊がAに呼び出してくれと言うのでしょう。

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あちこち「SYOWA」  19 駄菓子屋とカバヤ児童文庫

2016-05-13 04:05:36 | 日記




 キャラメルを食べて本を集める。これにはまっていた時代がありました。懐かしい「カバヤキャラメル」です。点数集めをして送ると珍しい表紙絵の本が届きました。恐る恐る開いて読みました。読んでみると何だかわかりにくいストーリイで、小学校低学年では理解しにくい内容でした。しかし、本というものが珍しかったので、小遣いをねだってキャラメルを食べ、本が増えるのを楽しみにしていました。田舎の道にカバの形をした自動車が姿を現しました。珍しくて取り囲んでワイワイ騒いでいました。

カバヤ文庫(カバヤぶんこ)は、カバヤ食品の創業時の看板商品だった「カバヤキャラメル」の景品。キャラメルの箱の中に封入されていた「文庫券」(点数カード)を50点集めて、目録で「カバヤ児童文庫」(世界名作小説集)のタイトルを希望してカバヤ本社に郵送すると、希望通りの本が送られてくるというもの。1952年(昭和27年)から1954年(昭和29年)までの3年間、キャラメルの販促キャンペーンとして実施した。(「Wiki」より)

 とにかく駄菓子屋はAにとって夢のような場所でした。



 出雲では「あてもん」と言っていたくじ引きがありました。5円出して小さな籤を1枚引き抜き、なめると当たりとがスカという文字が浮き出てきました。当たると、大きな飴玉が貰えたり、力士や俳優の大型のプロマイドが貰えました。これにもはまってしまい、5円くれ、5円くれ、と言い続け、祖母を困らせました。商売のお金は祖母が管理していました。祖母はAに甘かったのでダメだということはあまりありませんでした。
 ある日、その日の小遣いを貰って飴玉をしゃぶっていると、力士の大きなプロマイドが欲しくなりました。祖母がいないときに悪魔が乗り移りました。全箱の蓋をこっそり明けて10円ほど盗みました。それで「あてもん」をしましたが、見事スカ。小さな駄菓子のようなものを貰いました。それを食べていると後ろめたい気持ちがこみあげてきて、祖母と顔を合わせないようにしていました。

 「おい !! お前という奴はいつから泥棒になったんだ !!」

 とうとう祖母に見つかりました。Aは押し入れの中に閉じ込められて出られないようになりました。

 「お祖母ちゃん、許して、ごめん、許して、ごめん、こめん」と言いながら戸を内側から叩きました。しかしなかなか開けてくれませんでした。泣きつかれて座っていると戸が開き、祖母の怖い顔がぬっと現れました。Aはまた大声で泣きました。
 それ以来、祖母とは口を利かなくなり、駄菓子屋に行く楽しみがなくなりました。

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あちこち 「SYOWA」 18  生老病死の「生」

2016-05-06 22:34:18 | 日記
 Aは、1944年(昭和19年)3月5日生まれ。
 そして、長年、「生老病死」の「生」は生まれいづる苦しみだと理解してきました。最近は、それは生きることの苦しみだと俗な解釈が優先していて、Aは真の解釈に苦しんでいました。最近、ほぼ納得できる解説に接することが出来ました。ああ、そうだ、そうだ。こうなんだ。と霧が晴れたようにさわやかになりました。





「 赤ちゃんはこの世に生まれてくるときに、それまでの心地よい羊水の中から地上の大気の中へと出てきます。その時に生じる衝撃は、エラ的呼吸から肺呼吸へと移る時の苦しさであり、平均36,5度の羊水から20度前後の外界へ出るときの冷たさがあります。
そして産道を抜けるときの苦痛を味わい、生まれること、生きることは、こんなにも苦痛なものかという原体験として無意識に沈ませていると言われます。人はその原体験を引き受けて生きていく宿命を負っているのではないでしょうか。

人の最初の「生まれいづる苦しみ」という負の体験から、母親は、どのようにして赤ちゃんを救いだせるのでしょうか。 赤ちゃんを安心で包んでくれるものは、やさしい語りかけと、 肌と肌の触れ合いに尽きるでしょう。赤ちゃんは羊水に包まれているときに最も安らいでいました。そのときの羊水の温かさと同じ温かさのものが自分に触れる。赤ちゃんにとって、どんなにか心安まることでしょう。

赤ちゃんは、自分が生まれでた世界は安全で、 自分は温かくやさしく迎えられることを知って安心します。「ここって、けっこう、よいところみたいだな」と、きっと気持ちが落ち着くことでしょう♪(「BTU福岡」のHPより http://www.btu-fukuoka.com/)」

 Aは、「糸巻の聖母」が好きです。この世の絵画の最高傑作と思っています。
 十字架を思わせる糸巻き棒に、幼子イエスは夢中だ。そのさまを聖母マリアが愁いに満ちた表情で見守っている。後に磔刑(たっけい)となる彼の過酷な運命を察したのだろうか。聖母子と前景の岩はダ・ヴィンチが描き、背景は後世の加筆とされている。・・・これは解説文の引用ですが、聖母マリアの愁いの表情そして宙に浮いたとまどいの右手には母親の愛の普遍性が表現されていると思います。

 
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あちこち「SYOWA」17 日本万国博覧会(大阪万博) 

2016-05-05 16:35:33 | 日記
日本万国博覧会(大阪万博) EXPO'70 OSAKA JAPAN




日本の発展の極み。Aは当時そう思いました。草木もなびく大阪万博。全校生徒を引き連れて見学に出かけました。どこから見たらいいのかさっぱり分からず、ただひたすらに案内地図を片手に人波に押されながら動いていました。月の石が見たい。ただそのことだけは念頭にありました。しかし、アメリカ館は館の周囲に幾重もの列が出来ていました。2時間くらい待ってやっと入ることが叶いました。
 中に入ると整理員がいて「立ち止まらないでください」としきりに注意していました。そういう言葉ではなかったかもしれませんが、とにかく「早く、早く」と促していました。周りを見ると、いつの間にか一緒に歩いていた同僚が見えなくなっていました。
 それで肝心の月の石ですが、小さいケースに入れられていて、大きさは拳大だったかと記憶しています。これが月から持ち帰った噂の石か。という感じで、感激というところまでは・・・。
 それから一人であちこちのパピリオンを巡り歩きました。建物は素晴らしいくても貧弱な展示もありました。逆に外観は貧弱でもこれは何だ !! と驚くような展示もありました。概して大型スクリーンを駆使した展示が多いような・・・。そういう漠然とした印象しか頭に残らなくなりました。・・・バスでの長旅の疲れがどっと出てきました。
 そうだ、モノレールに乗ろう。Aは一周切符を買って乗り込みました。薄暗くなっていた会場を高い位置から眺めていました。素晴らしい夜景でした。これが一番の傑作だ。「調和」だ。ハーモニーだ。「進歩」? それはそれでよく分かりましたが、バーチャルな感じがしました。
 もう一度家族と一緒に来たい。死んだ父にも見せたいと思いました。ふと見ると、向かい側の席に父が座っていました。ああ、お父さんも来てたんだ !! そう呟きました。 すると、その人の姿はふっと消えました。


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