蘆花恒春園
とまりぎ
パンフレットによると、徳富蘆花は明治40年2月27日、当時の東京市青山から東京府北多摩郡千歳村粕谷に移り住み、ここを恒春園と名づけ、自ら「美的百姓」と称して晴耕雨読の生活を送った。
昭和2年9月18日に蘆花は療養先の群馬県伊香保で亡くなった。その遺骸は恒春園に帰り、村人総出でクヌギ林の一角に手厚く埋葬されている。
外からの梅花書屋。廊下は床の板が隙間だらけだ。
冬の寒さは堪えたことだろう。
千歳烏山の街へ出る。
UFOのような電灯の笠を見つけた。
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