桜が咲く頃までには

家族と歩む、ちょっと病気の主婦の日記です

まだまだ、まだまだ

2017-12-15 02:01:52 | 日記

今日はまた、電池切れを起こし、取り乱しました。

 

電池切れを起こすことそのものはしょっちゅうですので、それ自体をどーのこーのと言っていたら私は人生をやめるべきです。それは受け入れるしかない。

しかしながら、電池が切れていてそれを承知で平然としていられるほどの状況ではなく、薬を飲み、必要であればお風呂や水分補給などをしなければなりません。電池が戻るまで、薬が効いてくるまで、耐えるしかないのです。

私にとってふたつ難しいことがあります。

まずは判断力。補充する薬の量が足りなければ電池は戻りませんから、どのくらい飲むかべきかの判断を求められます。基本的には主治医に相談して決めていますが、定まっていない現状もあります。

また少なければ少ないほど良いとされる薬なので、そう簡単に「あ!電池切れかかってるぞ!ぽいっ!」と安直に飲めるわけでもないのが難しい所。まずは電池が本当に切れかかっているのかを確認しながら、量を調整するのです。

ところが、電池が切れかかっているということは思考も停止するのです。もうね、ぐっちゃぐちゃですよ。同じ人間かなと思うくらい健忘も激しくなるし、まともな思考なんてどこ吹く風です。それは、さすがに自分でもわかるんですよね。あーだめだなあって。

そんな中での判断なので、失敗することは間々あります。

 

もうひとつが、動けないということ。

電池が切れたおもちゃに、自分で電池を交換しなさいよと言ったらそいつは無茶でしょうなとなる、はず。

それそれ、まさに私それなんです。

薬が手元にないと、それすらおっくうになってしまう。体におもりがついたように、ただひたすらに地面にへばりついてしまうのです。

 

それでも「ああ、仕方ないなあ」と受け入れられることも多いのですが、一番問題なのは「起こされた時」の電池切れなのです。

勝手に起きるぶんには何とかなる。これは不思議なんですけれども、眠れもしないし、起きるのもおっくうなんですけど取り乱すまではいかないんですよ。

ところが、めざましでも、娘にでも、主人にでも、何の形でも電池切れと起こされるが合わさった時はとんでもなく思考が混乱するのです。

 

今日、それが起こりました。

結局、ヘルパーさんに来ていただくまで耐えることもできず、イライラしていました。

またやっている、自覚もありつつ、止まらないのです、イライラが。

何にイライラしているのか、とにかくどうしたらいいのかわからない自分にイライラしているのです。

そして涙もろいとか、そういう異常な精神状態にも気づいています。でも止まらないのです。

 

こうした中で、私が家族がどう行動すべきか、また家族で考え直すことになりました。

起こってしまったものは仕方がない。予防ではなく、事後についていろいろ決めることにしました。

 

というのも、ヘルパーさんにいろいろアドバイスをいただいたからです。

ヘルパーさんというのは、もちろん個人差あるのは承知ですけれども、尊いお仕事で、プロフェッショナルですね。

 

手始めは、

幼稚園のお迎えは延長保育を申請しておいてその間で迎えに行けばいいように、少なくとも今日はしておきましょう、と。

なかったんですよ、その発想。確かに、動けなくても2時間くらいのどこかでお迎えに行けばいいと思えば、体も心も楽です。その発想、幼稚園サイドも無かったし、私だけがいけないわけではないんですけれども。そんなことから構築し直しなのだとびっくりしたものです。

生活そのものが健康な人向けに作られていて、なのに手を打たないままそれに準ずることができなければ私はダメなんだと、それでは行き詰まるのは当然ですよね。

 

そんなこんなで、今日はいろんなことを考えました。

いろんな支援も、やせ我慢していたものもあって、なんとなく世間様に申し訳なくて。それも申請に行くことにしました。

今こそ、手助けが必要な時に、受けなければならない。それはむしろ義務だと思いました。

私がはい上がれればいつか世間様のお役に立つ日が来るかもしれませんし。希望は捨ててはなりません。

 

まだまだ、病気とのおつきあいはへったくそです。

でもまだまだやることはありました。

諦めてはいけないなと、今日の失敗が良い経験になるように、決意を新たにした日でした。


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