女の子になる方法、教えます!

性同一性障害になやむ若いMTF当事者に向けてのメッセージです

トランスは主観、トランスは航海

2019-10-06 06:21:49 | GIDパラダイム
虚構
ストーリー


トランスを決心するとき、一番の苦痛を何ととらえるか、変えたい一番のポイントは何か、人によって異なると思います。
人によっては
体であったり、装いであったり、社会的な立場であったりすると思います。私はトランスを終えて、「関係性」だったのかなあと思ってます。平たく言うと「周りの人から女性だと思われる、女性として扱われる」ことなんだったと思います。
私が、トランスして一番気持ちが安らいだのは、女性として外見がパスされたことではなく、手術を終えたときでもなく、ノンカムで友達ができたときでした。ノンカムであるボランティアの活動で役割を果たせたときでした。
私にとって
女になれた
のは
ノンカムの環境で女として社会や友達と影響を与え合う存在になれたことでした。


そして、内心これこそが
本当のトランス!


と考えていました。


一ヶ月ほど前、あるきっかけで、友達と関係をつくることが難しい、他人の気持ちを推し量ることが難しい方にであうことがあり、その方の苦しみを考えているときに、ふと、


もしかして友達と共鳴できている、影響を与え合いながら人と関われている、一緒に同じ感情を感じ合ってる


と私がよく感じている至福の瞬間って、私自身の主観にすぎない、私の独りよがりにすぎない感覚なんだと気づいてしまいました。


人はわかり合えるのか


というよくある命題に対しての模範解答は、
「わかり合えるということは証明できないが、わかり合おうとしつづけることが人の営みだ」


ということになるでしょう。(学生時代に教科書でそんな文があったような)


ミラーニューロンで科学的に共鳴し合うことはあったとしても、それはそういう感覚を起こすことができるということにすぎません。


さて、では、
外見を変える
と同様
女性として周りの人たちとポジティブに影響し合えること
も主観や錯覚であり、相対的なトランスの一要素にすぎないのだとしたら、


いったい本当のトランスはなんなのでしょうか。


トランスは主観


そう考えると、100人いれば100通りのその人にしか経験できない尊いストーリーを紡ぎ出すことなのかも知れません。
勇気が出なくて
悔しい思いをして
絶望と無力感からなんとか脱出して
けれどもばかにされ
同情され
あるいはばれないように人とのかかわりを制限して
過去の話題や子どもの話題を巧妙に避け
他人を巻き込み
国や家族や友達に支えられながらお返しもできず


そんな無能な
そして愛おしい、人間らしい輝きを瞬間瞬間に放ち続けながら、毎日をもがいている
とてもすばらしい人としての営み


あなたしかできない、あなただからできるその尊い営みがトランスなのだと思います。
そしてそれは性同一性障害の人だけでなく、すべての人にあてはまることでしょう。


かなり以前北海道時代活動していたころに講演会で
トランスは航海のようなもの
と聞いて、山登りのようなものをイメージしていた私は違和感があったのですが、今は航海がとてもぴったりきます。





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