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会津若松城

2012-10-17 18:54:03 | 日本100名城めぐり

 会津若松城は1384年葦名氏が 東黒川館という館を造ったのが始まりとされています
  現在は鶴ヶ城公園となっていて 城跡の殆どが国指定史跡になっています


石垣や水掘りが残り 春の桜の開花時期には特に美しいそうです
  



多賀城や仙台城では一部の建造物にブルーシートがかけられていましたが
東日本大震災の影響は 会津にも・・




                        修復中の石垣(白いところ)




それにしても大きな水掘りです




北出丸に入ります




        北出丸の堀沿いに 敵を迎え撃つための「大腰掛け」が残っています




北出丸から本丸へと通じる城への玄関口




ここには 太鼓門(大手門・追手門とも)がありました




太鼓門の上に 兵を昇降させるための石垣(V字の武者走)が残されています  




防備面での 優れた工夫を感じさせます




再び両側に石垣にはさまれた所に出ました




 本丸埋門があったところです ここを過ぎれば天守閣が見えるはず




会津若松城の天守閣です
多くの有名な戦国大名が治めたほか 幕末の戊辰(会津)戦争でも有名です
1589年伊達政宗が入城 その翌年蒲生氏郷が入城し1593年に七層の天守閣が完成
1598年上杉景勝が120万石で会津入りし 1601年関ヶ原の戦いの後 蒲生氏が再入
1627年松山から加藤嘉明が会津に転封




お城ボくん 会津若松市の観光PRキャラクターです




1639年天守閣が五層になり 現在の姿の鶴ヶ城になったそうです
1643年3代将軍家光の弟・保科正之が転封され以後明治維新まで保科氏がつづく
慶応4年1868会津戦争・鶴ケ城開城し 明治7年(1874)会津鶴ケ城廃城
昭和40年に天守閣が幕末時の姿に復元されました




「本丸の案内図」 です クリックすると大きな写真が出てきます
  出てきた写真をもう一度クリックすると 更に大きな写真がでてきます
 



再建された天守は 郷土博物館となっています
開城時間 午前8時30分~午後5時まで(入城は4時30分) 休館日なし




天守閣の石垣(内側)が最初の展示物です




さすがに昔のままの天守台だと怖いかと・・




中は洞窟のようにひんやりしています




食料品の保管にはいい所でしょう




天守閣内の撮影可能な階には このマークがあります
ちなみに 1階(一層)と3階(三層)は撮影禁止でした




 二層 江戸時代の会津の城下を紹介する階です




天守閣の外観は昭和40年に建てられたものですが
城中の展示は 古さを感じませんでした




 会津藩の藩校 「日新館」 を紹介するブースです
  人材の育成の方針のもとに 上級藩士の子弟は入学が義務付けられていました




これからの数枚は 会津の民芸・名産品を紹介するコーナーです




 「会津唐人凧」 会津戦争で籠城していた鶴ヶ城でこの唐人凧があがり
  城内の士気が上がるとともに 西軍はその余裕のある姿に驚愕したとのこと




 「会津の絵ろうそく」 500年前 蘆名氏により漆の木の栽培が奨励され
  その漆の実から採れる蝋を利用したのが始まりとされています
 今でもすべて手作りで作られているそうです
「会津絵そうろくまつり」では 御薬園で雪景色の中 7千本のろうそくが灯されるとか




 「会津漆器」 やはり蘆名氏が漆の栽培を奨励したが始まりとされ
  1590年蒲生氏が領主になった際に 近江から職人を会津に呼び寄せ発展
 一時 江戸の漆器のほぼ100%を占めるようになったこともあるとか
漆器3大産地・漆器5大塗り名でもあるそうです




 「会津の酒造」 会津の良水と質の高い米 寒暖の激しい気候により
  会津は美味しい地酒の産地となっています




殿様の居間が再現されていました




 四層です 季節ごとに会津の四季と城下の賑わいを感じることができます




外堀りも入れると かなり大きな城郭だったんですね~





四層は こうしたパネルでの展示です




いよいよ最上階へ~




もうチョット




天守から西の景色 会津若松市街がみえます




天守から北の景色 会津若松城の北部と西部は現在の市の中心部です




天守から東の景色 会津武家屋敷や東山温泉がある方向です




天守から南の景色 写真中央に南走長屋と干飯櫓がみえています




天守閣を下りると 順路は走長屋(売店)の入り口に
日本100名城のスタンプも この売店の中です




「本丸の案内図」 です クリックすると大きな写真が出てきます
  出てきた写真をもう一度クリックすると 更に大きな写真がでてきます
  平成13年には南走長屋と干飯櫓が復元




売店をすぎて 鉄門の中から天守閣をみています




南走長屋と干飯櫓のなかを見てみましょう




なが~い廊下が出現




鉄砲挟間ですね




 平成25年の大河ドラマは「八重の桜」ということでしょうか
  会津藩と新島八重を紹介するコーナーがありました




こちらは 南走長屋と干飯櫓の造りを紹介しています




石落しですね




干飯櫓をでた所から天守閣をみています
南走長屋は帯郭と本丸を隔てて 敵の侵入を防ぐための重要な建物だったそうです




     鉄門          走長屋        天守閣




 平成23年に屋根瓦が赤瓦にかえられ 幕末当時の姿になりました
  赤瓦は強度があり 会津の厳しい寒さに耐えることができたそうです




 茶室 麟閣は後ほど別にUPします




 御三階跡です 本丸内にあって主に会議等で使われたそうです
  建物は市内の阿弥陀寺に移築され現存しています




本丸の東 茶室 麟閣を出たところからみた天守閣




      干飯櫓です  城内にあった11の二重櫓の中で一番大きい櫓とのこと
                 食糧の貯蔵庫として使われていたそうです






どの角度から見ても美しい~




 「本丸」 です 本丸御殿があったところです




 「本丸の説明」 です クリックすると大きな写真が出てきます
  出てきた写真をもう一度クリックすると 更に大きな写真がでてきます
 
 


 「本丸の平面図」 です クリックすると大きな写真が出てきます
  出てきた写真をもう一度クリックすると 更に大きな写真がでてきます




そろそろ本丸を出て 天守閣を一周したいと思います




 「鉄門」 です 城内から撮影しています
  本丸への表門で 柱や扉は鉄で覆われていることから名前がついたそうです




石垣もたいへん立派な造りです




鉄門からみた天守閣です




大震災の影響でしょうか 天守の西側は工事中のようです




この仕切られたところは何でしょう




「上杉謙信公仮廟所跡」 です クリックすると大きな写真が出てきます
  出てきた写真をもう一度クリックすると 更に大きな写真がでてきます
 上杉景勝が会津へ入封した際に 謙信の遺骨も鶴ヶ城内に移され
鉄門そばに仮の廟所があったと伝えられています




鉄筋コンクリートで外観を再建したものではありますが
この規模と迫力&美しさに とても満足できました 
次回は 「茶室 麟閣」 をUPします  



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