サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

晩節を穢すな

2017-05-24 16:00:33 | 日記
ある意味で人生は、朝、昼、夜という三つの時期に区分することが出来ます。
朝は両手両足を地面につけて這って歩く四つ足の幼児期です。
昼は二本の足で歩く二本足の青年期です。
夜は弱った二本の足を補助する杖をついて歩く三本足の老年期です。
禁欲生活{学生期}は三階建ての建物の土台であり、その上に家長期という一階、林住期という二階、遊行期という最上階が建てられます。
このように屋敷の土台は学生期です。STPSp250

ポニョ:昨日までギータさんのエピソードを五日連続でお送りして来ました。

ヨシオ:ギータさんの純粋なサイババさんへの思いが皆さんに伝わって来たと思いますが如何でしたか。紹介しきれなかったエピソードで面白かったのは、ギータさんのお祖父さんや大叔父さんがバンガロールでバジャンをしようとされた時に、サイババさんも参加したいと言って来た話や。

ポニョ:そうそう。その時にお祖父さんがあんたが来てくれるのは嬉しいけれど、あんたが来たらたくさんの人がやって来て、人が多過ぎて食べ物やら会場の世話が出来んから遠慮して欲しいと言われたエピソードが面白かったぜよ。結局人が多過ぎて会場を変えたんやったよな。

ヨシオ:サイババさんが来られた時に、会場が狭い家なので人でいっぱいやったんや。しかもマイソールからも十人ほどの帰依者がやって来たんや。どうして今日サイババさんが来るの知っているのと聞くと、サイババさんが夢に出て来て、バジャンに来なさいと言われたと言ったんや。ギータさんのお祖父さんはサイババさんに「あのね、サイババ君よ。君も知っている通り私の家はとても小さいんや。だから君が来ると、たくさんの帰依者たちも君にくっ付いてやって来るので会場に入りきれないんや。しかも君がマイソールの人たちの夢に出て、今日バジャンに行きなさいと教えたんだって。あのね、そんな勝手な事をしないでくれる?会場を見てごらん。人がもう外に溢れてかえっているでしょう。君が来られるのは大変嬉しいけれど、今度からバジャンを歌いに来るのではなく、参加した人たちを祝福する為に、ちょっと寄るだけにしてくれますか。そうすればなんとか人々が会場に収まるから。それとちょっと頼みたいんだけれど、色々と探したんやけれど会場の祭壇に飾るあんたの写真が無かったんや。まだいろんな所を探したりしているけれど、バジャンが始まる時間が近づいたので、写真が見つかるまで悪いけれど、帰依者側に座るのではなく、神様を祀っている祭壇の側に座って写真代りになってくれないかな。帰依者側は人でいっぱいやし。君、神さんやろ。それやったらこっちじゃなくて、今度からあっち側に座ってくれますか。」と言われたエピソードがお腹を抱えて笑ってしまったな。だって神さん本人に、写真代りになって祭壇の横に座ってくれるように頼むってめちゃ可笑しいやないか。

ポニョ:確かに面白いな。でもギータさんとあんたとは全然違うぜよ。ギータさんはサイババさんに一から十まで面倒見てもらっているけれどあんたはいつも放ったらかしやぜよ。あんたは最後にサイババさんから指示をもらったのは、1997年12月11日にこのプロジェクトが世に出ると言われた時やろ。その後、たくさんのマスコミやら人々がやって来て一時的に忙しかったけれど、その後はサイババさんから何の連絡も無いんやろ。多分サイババさんからもう見捨てられたと思うで。

ヨシオ:この世界に神さんが見捨てるような生き物って存在しないんや。俺の場合は今まで何をして来てもそれらを全て神さんに捧げているから、何があってもそれらを受け入れて来たやろ。そういう意味で俺は神さんに大人扱いされているんや。だからいちいち細かい事まで俺に言われないんや。だって帰依者が細かいことまでいちいち神さんに聞いてたらいつになったら神さんと融合出来るんや。それに俺はこの世の何に対しても執着なんて無いんや。俺の義務は全て終わったし、やりたい事も無いし、会いたい人や話したい人もいないんや。望んでいるのはこの世界が平和になる事だけや。俺は人里離れた農場で一人で住んでいるけれど、このまま誰とも会わずに、ある日ポックリ逝っても全然平気なんや。

ポニョ:世捨て人ですな。サイババさんは、人の人生の様々な段階に於いてそれぞれ達成しなければいけない目的があると言われたけれど、あんたはどの段階ですか?

ヨシオ:その前にサイババさんがどのように言っておられるのかを書き出せば

人は五十才になるまでに、五つの行動期間を完全に制御し、六十才までに欲望、怒り、貪欲、迷妄、傲慢、嫉妬という六つの弱点をすべて克服していなければなりません。
弱点を克服すれば七十才には、七聖仙の一人のように、七つの音、七つの海のように尊ばれます。
八十才にはヨーガの八段階をたどり終え、八方位を司る神のように輝きを放ちます。
九十才には九つの信愛の道をたどり終え、九つの貴重な宝石のように光り輝きます。
百才には五つの知覚器官を支配する者となり、神性を完全に体験し、神となります。STPSp250

ポニョ:五十才からの目的は述べておられるけれど、それより若い時の目的は述べておられないぜよ。

ヨシオ:ギータさんが二十才になった時に、サイババさんは「君は今日誕生日だね。ところで何才になったんだい?」と聞かれたんや。それでギータさんが「二十歳です」と答えると、サイババさんは「二十ってどんな数字から成り立っているんだい?」と聞かれたので「2と0です。」と答えると、「その2の意味を知ってるかい?」と聞かれたんや。普段、そのような質問をサイババさんが帰依者にされた時に、帰依者がどれだけ頭をひねって考えて答えてもサイババさんは「そうじゃない、答えはこうだ」と言われるので、「知りません。スワミ、教えて下さい」と答えるのが一番賢い答えだと長年の体験から知っているギータさんは、「知らないから教えて下さい。スワミ、お願いします」と答えたんや。するとサイババさんは「二の意味は、信仰心と誠実さなんだ。今日君は二十歳になったよね。次の十年間、今日私が言った意味をよく考えてそれを実践しなさい。」と言われたんや。そして十年後の三十才の誕生日に同じ質問をされて、「三十の三の意味は思いと言葉と行為を浄化しなさいという意味だ。君が二十歳の時に私が与えた課題を、過去十年間真面目にやり続けていたら簡単な事だ。」と言われたんや。そして四十才の誕生日の時にも同じ質問をされて、「四十の四の意味はダルマ、アルタ(富)、カーマ(欲)、モークシャ(解脱)の意味で欲望を解脱の方に向けなさい」という意味だと言われたんや。

四つのプルシャールタ(人生の目的)である、ダルマ、アルタ(富)、カーマ(欲)、モークシャ(解脱)は、ダルマによってアルタを得るということ、カーマはモークシャへと向けるべきであるということを、人間に教えるために敷かれています。
ところが、人はダルマとモークシャを無視し、カーマをアルタへと向けています。
価値の感覚が逆になっているのです。
たとえば、人は太陽が昇ると喜び、太陽が沈むと幸せを感じます。
なぜなら、昼間は働くことができ、夜は休むことができるからです。
人は、太陽が日々昇っては沈むことによって自分が地上に存在する時間を短くしていることに気づいていません。
地上は、自分が所有していると主張するものをすべて置き去りにして発たなければならない大きな宿泊所であるということを、人は自覚していないのです。21/11/85

ポニョ:おいらの次の段階は七十才やから、七十才までに七仙人のようにならないといけないのかな?それって絶対無理やぜよ。知ってる?七仙人って、肉体を持ったまま天国に行けるぐらい、霊的なレベルが高い仙人やぜよ。

ヨシオ:肉体を持ったまま天国に行きたいという欲望を持っている王様がいたやないか。ヴィシュワミートラ仙が無理やり連れて行ったけれど、天国の主インドラ神に断れたんや。だからポニョでも無理やり頼んだら、肉体を持ったまま天国に行けるかもしれないで。

ポニョ:一体誰に頼んだらええんやろうか?

ヨシオ:サイババさんに決まっているやろ。隣のおっさんに頼めるか?

ポニョ:なんでいきなり隣のおっさんが出て来るんや。あんたの会話は極端やぜよ。

ヨシオ:その七仙人がサイババさんに挨拶に来たのを、カスツーリさんがドアから覗き見したエピソードが「真、善、美」という本に載っていたよな。サイババさんが光り輝く七仙人達に囲まれて、確かその中の一人の仙人のひざの上に頭を乗せられて横たわり、リラックスしている様子が本に書かれていたよな。

ポニョ:サイババさんにひざを貸すぐらいやったら、おいらでも出来るけれど、突然サイババさんの部屋に現れたり、光り輝いたりするって絶対無理やぜよ。

ヨシオ:頭はすでに半分光り輝いているやないか。それにそんな事を別に焦ってする必要なんて無いやろ。サイババさんはこれは目標だと断った上で言われているんや。達成が無理やったら十年間遅らせればええだけの話やないか。

ポニョ:という事は、次の十年をかけて欲望、怒り、貪欲、迷妄、傲慢、嫉妬の悪い性質を克服すれば良いという事やぜよ。

ヨシオ:それが出来れば自然に七仙人のレベルに達する事が出来るんや。

ポニョ:おいらの場合は食欲が問題やぜよ。それ以外はなんとか大丈夫やけれど。

ヨシオ:それじゃもう七仙人のレベルとほとんど変わらないやないか。食べるのが好きな七仙人がいたっておかしくないやろ。

ポニョ:それって仙人のカテゴリーに入れてくれないと思いますが…。でも希望は湧いて来たぜよ。あと一つって感じやもんな。

ヨシオ:ポニョは、普通の人が克服するのが難しい悪い性質を簡単に無くすことが出来るやないか。でも普通の人は比較的無理無く食欲をコントロールするけれど、ポニョの場合はそれが難しいんやな。

ポニョ:でもサイババさんから見たら、全ての人は欠陥人間なんやろな。

ヨシオ:サイババさんは、全ての人のハートの中をいつも見ておられるんや。でもギータさんのようなきれいな心を持ったEHV人間価値教育の指導者でさえも、サイババさんに時にはひどく叱られる事があるんやで。ギータさんの双子の子供がいつも競って車の助手席に座りたがるので、ギータさんは口から出まかせに「助手席はサイババさんの席だから座ってはいけない」と言ったんや。すると子供達は「そうだったんや。サイババさんはいつも助手席に座っておられるんや。それじゃ僕たちはいつも後部座席に座らなくちゃ。」と言ってお母さんが口から出まかせに言った事を信じ切ってしまったんや。その件があって四年後、ギータさんが久々にアシュラムに行き、サイババさんに会った時、サイババさんは突然ギータさんに「自分が信じてもいない事を子供達に言うな。子供達が小さい間はそれを信じているからそれで良いとしても、大きくなってお母さんが口から出まかせに言ったという事を知ると、お母さんの言う事を全く信じなくなってしまって子供達をコントロール出来なくなる。それにお前の車の助手席に私がどうやって座る事が出来るんや。いつもCDやらカセットテープやらガラクタを置きっぱなしで、乱雑なままやないか。そこに私がいつも座っているって一体誰が信じると思っているんや。」と言われたんや。

ポニョ:おいらの車も走るゴミ箱と呼ばれているんや。だってミラにドアポケットが付いていないからゴミを捨てるところが無いんや。だからゴミをどこにでもポンと捨てちゃうのだ。でもサイババさんはなんでも知っておられるよな。助手席にガラクタを置いていることまで。おいらの車もゴミだらけだと知っておられるんやろか。でもおいらはギータさんのように絶対に口から出まかせの事を言わないズラ。

ヨシオ:そうやろ。普通の人が難しい事をポニョは難なく簡単にやってのけてしまうところがすごいよな。ポニョは晩節を汚さずに神さんと融合出来そうやな。

ポニョ:晩節を汚さないかもしれないけれど、車は汚いぜよ。行け!走るゴミ箱ミラ!

良い行為だけが悪い性質を無くしてくれるのです。
心を清めるために良いことだけをするようにギーターは教えています。
しかしそれだけではありません。
本当に心を清めるためには、すべての行為を神に捧げなければなりません。
皆さんの行為をすべて神に捧げて下さい。
その時はじめて本当に心は清められます。SGc33

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