サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

霊的レベルが分かるお話

2015-11-13 00:18:39 | 日記
皆さんは、あらゆるものを神と見なし、あなたの行う一つひとつの些細な行為をも神と見なすべきです。
これこそがバクティ(帰依)の道です。あなたが、まだ霊的な道の初心者に過ぎない初期の段階においては、神の象徴として、神像や絵や写 真を使っても良いでしょう。
しかし皆さんは、徐々にその状態を超越するよう努めるべきです。
あなたは、写真を神として崇めることができます。しかし、神を写真として崇めてはいけません。
神の無限の姿を、あなたの小さな写 真の中にのみ限定してはなりません。
あなたは、自分が帰依を始めたときの、初歩の段階から、より高い段階へと成長しようと努力すべきです。
  最初の段階は花のつぼみのようなものです。
それは一般 的によく見られる初歩的な段階であり、サハジャ=バクティと呼ばれています。
それよりも高い段階は花にたとえることができ、ヴィセーシャ=バクティと呼ばれます。
そして、それよりもさらに高度の、美徳を通 じて礼拝を行なう、果実にたとえるべき段階があります。
これがパラバクティです。
花芽がなければ花はなく、花がなければ果実もない。
したがってその三つのものは帰依の道における 自然な段階であり、順々に熟していくものなのです。KSH

ポニョ:さて、この前は愛の川から増水しても溢れ出さないようにして、神に対して揺るぎない信仰心を持てば英知を得る事が出来ますよ。逆に神を疑えば人生が破綻しますよ。という二つの標語を心に留めながら愛の大海慈愛の海に流れ着きましょうと言うテーマでお話をしたよな。日干しカエルの話が良く分かって面白かったぜよ。

ヨシオ:このように見てみると、ポニョの周りの人間を見回したらその人の霊的レベルはすぐに分かるやろ。

ポニョ:…そうやな。それって人の霊的レベルを見れるよな。その人がまだ神への信仰心を持っていなかったら、まだ愛の川岸にたどり着いていない人たちだって分かるよな。だからそういう人はこの世俗的な世の中の物事に囚われてしまって、物質的な事や、名誉、名声、権力、立場などを追求し、神様の事なんて全然耳を貸さない人になってしまっているな。その結果神の慈愛、恩寵などからほど遠い生活をしているからだんだん干上がってしまい慈愛の川に行き着くまでに日干しカエルになって死んでしまうんや。

またいろいろと世俗的な事を追求してそこそこ満足している人は、もう余り物質的な事や名声や栄誉などに興味が無く、人生って何かなとか?神様って本当にいるんやろうか?とか生きている目的などを知りたく思うようになるんや。それで慈愛の川岸までやって来るんやけれど、まだ川に入ってその身を任せて下って行こうとしないんや。
またある人は、川に足まで浸かるんやけれど自分の財産とか権力とか名誉などを川の堤防の外に置いてあるのでそれが気になって足より深く川に入っていけないんや。だからいつも子供みたいに川の浅瀬でパシャパシャ水遊びをして愛の神さんに全てを任しきれないんや。
また、ある人はやっと首まで川に浸かり神さんと一緒に川を流れ始めたなと思って見ているとまたやっぱり気が変わったと言って川岸に戻り、堤防の外にある世俗的な喜びが忘れられずに、日干しカエルになるのを知っていても、また戻って行く人もいるよな。
また違う人は、愛の川の流れに身を任せて流れていても、自分は本当に海の方に流れているんじゃないか疑いの心が出て来て、一度堤防に這い上がって周りを見回しまた満足して川に戻って来る人もいるな。
また川の流れに身を任せているけれど、自分より速く流れて行く人に嫉妬して水に潜ってその人の足を掴んでその人が流れて行くのを邪魔したり水をかけて嫌がらせをしたりする人もいる。
また、やっぱりこの川は支流で海では無くどこかの汚い湖か池に流れ込んでいるから川を乗り換えようと言って川から飛び出していく人もいるよな。
もっと面白いのは、もっと速く海にたどり着きたいと思って間違った霊性修行をして、上流の方に向かって一生懸命泳いでいる人もいるぜよ。
また神様に全てを任せて、カヌーの上でおいしい弁当を食べながら流れゆく景色を見ながら慈愛の海に向かって流れて行く聖人のような人もいる。そして人が川岸に向かって泳いで行って、もう川下りはや~めたとか言っている人を見つけると、カヌーでサッと近くまで行ってそっちじゃないよこっちだよとか言って正しい方向に流れるように導く人がいるけれど、それはおいらやな。

ヨシオ:そうやろな。カヌーの上で弁当食べながら川下りするのはポニョしかいないもんな。でもいっぱい例を見つけたな。さすがやな。人生経験が豊富や。周りを見回してみると確かにポニョが言ったような人がいるよな。

ポニョ:今のはおいらが思い付いたうちのほんの一部やぜよ。このまま続けると、今回の記事がそれだけで終わってしまいそうになったから途中でやめたんや。でもあんたが言ったように、こうして見ると人がどのレベルにいるかってよく分かるよな。その人のレベルが分かれば、君はまだ干しカエルさん予備軍やね。川はあっち側にあるよ。神の慈愛の水で背中を濡らさないと干しカエルになっちゃうよとか、君はもっと深いところまで水に浸かりなさいよ。「私」「私のもの」というエゴをいつまでも持っていないで神様にお任せしようね、とか言ってアドバイス出来るよな。

ヨシオ:そうやな。人の霊的レベルがすぐ分かるチャートみたいなもんやな。

ポニョ:霊的レベルが分かるチャートか。一つ目のカテゴリーの人は川岸にまだ辿り着いていない人達で、人生の終わりにはいつも日干しカエルになってまた生まれ変わってくるんや。二つ目のカテゴリーの人達は愛の川岸に辿り着いてはいるんやけれど、川に入ろうかどうか決めていない人達やな。三つ目のカテゴリーの人達は愛の川に入っている人達や。そしてそれぞれのカテゴリーにもいろいろな人がいるんや。こうしてチャートを作ると分かりやすいよな、自分がどのカテゴリーに属するのかが分かって。

すべてが神なのです。この真理を理解するためには、あなたは人間のレベルから神のレベルへと昇らなければなりません。
多様性の根底にあるサット(絶対実在)の原理を知らなければなりません。
姿、形(アカーラ)に基づいた相違性に付け入る隙を与えてはなりません。
あなたは、神と共にいることによって、至福を体験すべきです。
神こそがあなたの真の財産です。
あなたが至福を経験するとき、あなた自身が神になるのです。
他との違いという思いを手放しなさい。すべては神の中にあります。
この一体性を心に留めておきなさい。1/3/03A

ポニョ:ババもこのチャートを使っておいら達を見ておられるんやろか?

ヨシオ:まさかそうではないやろ。だってババにとったら全てはババやから、帰依者と神という違いは存在しないんや。だからチャートなんて見なくてもすぐに誰がどんなレベルか分かるんや。ババにとってはババとババ以外のものという違いは存在しないんや。全ては自分なんや。だから俺たちも出来るだけババに近いものの見方を努力して身に付けないといけないんや。

ポニョ:ババの様な見方を身に付けるのか?それって難しいぜよ。ババが王様で、おいら達は乞食だとしたら、この人生という舞台の上でおいら達はたとえ乞食であっても、舞台に立っている時は王様の様な豪華な服を着て、王様の振りをして演じれば束の間の間は、自分が王様になったような気になるもんな。つまり、ババの様な見方をすればババの様になれるって事なんかな?

ヨシオ:この世界は全てが神で愛から出来ているんや。愛しか存在しないんや。でも人は残酷なニュースや出来事を見てポニョや昔の俺の様に悲しんだり憤ったりして心を乱すんや。今ポニョが言った様にたとえこの世に身を置いていても俺たちの意識レベルを神様のレベルに持って行けばたとえ世界に何が起こっても自らの心の中は常に平安に保つことが出来、その様に心をコントロール出来た者だけが、自分の行う行為に執着せず、全ては神がされているという事を実感出来るから、その人が行為をしてもその行為に囚われる事無く、淡々と水の上に書いた文字の様に人生を歩んで行くことが出来るんや。そうでないと、人は行為をする度に自分の心に一喜一憂した感情を刻んで行ってしまうから、生まれ変わる原因となるカルマの因子を自分の霊体に取り込んでしまうんや。

ポニョ:なるほど。でもあんたが説明すると簡単な事でも難しく聞こえるけれど、要するにこの世は全てが愛である神様そのものやから、何をするにしても、聞いても神さんだという事を忘れずに心を乱さずに行為をしなさいって事なんやろ。

ヨシオ:まあ、そんなとこや。でも愛の川で流れている人やまだ川に辿り着いていない人の話をポニョはしたけれど、そう見えているだけで実際は全ての人が神さんなんや。ポニョはカヌーに乗っていろんな人を助けるんやとか言ってけれど、それってポニョのエゴがそういう風に思わせているだけなんや。実際はそのエゴを少なくするために神さんがポニョにそういう機会を与えて下さっているんや。俺が見たところポニョは人の霊的レベルをチェックするよりこのチャートを使って自分の霊的レベルをチェックした方がええな。だってポニョは堤防の向こう側に美味しそうな料理を作っているレストランや料理屋を見つけると、すぐにカヌーを漕いで堤防に乗り上げてそのレストランに飛び込んで行くやないか。次回はもう少し突っ込んで、全てを神さんだと見える様になる秘訣を話そうか。

霊性について理解することができない範囲にまで深入りする必要はありません。私たちの日常生活において生命の本質は一つで同じです。
貧乏人から億万長者まで、愛の原理は一つで同じです。
愛の具現である私たちは、先ず自分が基本的には神であるということを知るべきです。
あなたが一旦、自分が神の火花であるということを知ったなら、あなたはあなた自身を救うでしょう。
この自然界に名前と形があるために、私たちはこれに内在する神性を忘れてしまいました。
全宇宙が神で満ちているならば、神の社を築くことが可能でしょうか?
あなたのハートが神の社です。
そこであなたは神の顕現を見ることができます。
それは簡単な道です。
億万長者といえども衣食住で満足すべきです。
彼は金を食べることはありません。
だから、私たちが必要とするのは食物です。
食物は神です。
食物は肉体を維持するために必要です。心的な事柄は幻想と空想に満ちています。
今日の人間生活は妄想で満ちています。欲望がその根本的な原因です。15/7/01



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