電子本「サイババが帰って来るよ」Part1~5は以下のポニョ書店からどうぞ
http://bccks.jp/store/114521
Sai's Messages for The Golden Ageの文庫本が出来ました。上下の二部に分かれますが小さいのでいつでも何処でもババの御言葉をポケットに入れて持ち運びが出来ますよ</script>"><script type="text/javascript" src="http://bccks.jp/bcck/128820/widget"></script>
また、この本の上下統合版も出来ました。A5版と大きいですがお得になっています。ポニョ書店からどうぞ
ポニョ:この前、三つの世界の話をしたけれど、おいら達の想像を超えたところの話やから、頭が着いて行くのが難しいかったぜよ。
ヨシオ:とてもスケールが大きい話やもんな。それら三つの世界を超えた、究極の創造の原因が神の摂理なんや。そして、それは時間をも超越しているんや。
ポニョ:時間を超越するってあんた、過去や未来が全てその手の中にあるって事なんやろうけど、創造主ってすごいよな。そして、その創造主自らが人の姿をとってこの地上に降臨され、そしてその神さんと友達になれれば、この世で無敵やぜよ。
ヨシオ:俺は、今は割と辛抱強いけど、昔は癇癪をよく落としていたんや。最近も、ポニョが知っているようにアクアポニックスのシステムから水漏れしてるので、排水口の金具を点検するために、取り外す作業をしていたんやけど、金具の取り付けネジの直径が十センチもあって、特殊な工具で回していたんやけど、とても固いし、回しにくくて、一時間以上やっても取れなかったんや。それで俺は癇癪を落としてババに、あんたは私とお前が共同で働けばこの世界で出来ないことは何もない、と言ってたのにこんな単純な作業も出来ないやんか。と言ったんや。するとその金具は突然工具なしに、手でくるくる回せて外せたんや。俺は少し驚いたけど、ババに「これでよろしい。出来た出来た。良くやったな。」と言って褒めてあげたんや。
ポニョ:神さんを褒めてどうするねん。ありがとうの一言ぐらい言えや。失礼やで、そんな態度をしてたら。
ヨシオ:そうかな。いつも俺とババはこんな感じやねんけどな。でも、どんな結果であろうと、どんな事が起ころうといつも平静でいることが出来ないと、ババとこんな関係を持つことは難しいかな。
あなたは、神との友情を培うべきです。
もし神があなたの友人であれば、全世界をコントロールすることができます。
しかし今日、不運な人々は、神との友情を失いつつあります。
神と友達になるのは容易なことではありません。
しかしあなたは、このことにあらゆる努力を傾注すべきです。
いったん神と友情を培うことができれば、サーダナ(霊性修行)を通じてそれを最大限に活用しなければなりません。おしゃべりをして時間を無駄 にしてはなりません。23/11/02
ポニョ:お袋さんが亡くなられた時も、家族のみんなは、嫁さんの悲鳴を聞いて風呂場に走って行ったのに、あんただけまだ金魚に餌をやり続けていたもんな。
ヨシオ:この世は全て幻や。何も真剣になって目くじらを立ててやることなんてこの世に何もないんや。そういう事が分かって、いつもハッピーでいることが出来れば神の境地に達しているのと同じなんや。
ポニョ:ババは神さんのおられる門をくぐれる最初の条件は、その人がいつもハッピーかどうかだって言っておられたな。
ヨシオ:ただ一つこの世の中で真剣にならなくてはならないことは、神さんを求めることだけや。それ以外の事は全て、木で例えれば枝葉の部分で大した事はないんや。
時は早く過ぎ去り、人の寿命は氷の塊が溶ける様に、刻々と無くなっていっていることに気付くべきである。
人は自らの人生に幕を下ろすときでさえも、未だ自分がやらねばならなかった基本的なことでさえ見つけられていません。
何が義務なのでしょうか?
それは、人生の目標を見いだすことです。
人は、富、快適さ、地位、幸せ、を探し求めています。
それらは、結局のところ何だというのでしょうか?
人がそれらの世俗的な幸せのみを求めることによって、神からの祝福を得られなくなっているのです。
それらの、一時的なはかない物質的な喜びが、いったい何だというのでしょうか?SS8/95p199
ポニョ:そう言えば、こんな話があるぜよ。ラーマがシータが幽閉されているランカ島に攻め入った時に、ラーマ軍の放った矢が雨のように降り注ぎ、人々が逃げまくっていたけど、その中の一本が不幸にもお母さん抱いて逃げていた赤ちゃんに命中したんぜよ。それでそのお母さんは、赤ちゃんを手から放り投げてそのまま走り続けたんや。それを見ていたラクシュマナはラーマに、お兄さん見ましたか今のシーンを。あの女は自分の子供が矢に射られた途端、子供を放り投げて自分の命を守るために走って逃げていましたね。ここはさすがに悪鬼が支配する国だけあって、住んでいる人々も鬼のような人ばかりですね。と言うと、ラーマは私は違うと思うよ。そのお母さんをここに連れてきて話を聞こうじゃないか。と言ってラーマの前に連れて来られたそのお母さんに、どうして自分の子供を放り投げて逃げ続けたのか聞いたんや。すると、そのお母さんは、こう言った。私はヴィシュヌ神の化身であるラーマ神がこの国にやって来られることを聞き、是非そのお姿を拝み、ダルシャンを得る事が出来るようにお祈りしておりました。私の子供は不幸にも矢に射られて死にました。その子はその時に死ぬ運命にあったのでしょう。でも、私はまだ生きております。ですから、ラーマ神が来られた機会を逃さずに神にまみえることが出来るように、走って矢の雨から逃げたのでございます。そして今こうして、あなた様にお目通りさせて頂いて私どもの祈りが叶い、とても嬉しく思っています。と言ったんや。
ヨシオ:そのお母さんは、この世で何が一番大事なことか知っておられたんやな。子供が目の前で死んでも、その子に執着することなく、神さんだけを見て生きるって並大抵の事では無いけれど、そういう生き様が一番大切なんや。
ポニョ:この世は全て、神様がキャンパスに描かれた絵やもんな。その中の絵が自分を描いた絵かきの事を見ないで、絵の中のストーリーに巻き込まれて泣いたり笑ったりしてるんや。
ヨシオ:それがこのマーヤーの世界やな。このまやかしの世界から自由になるには、神様に全てを捧げるっていう態度が大切なんや。何をやるにも全ては神様のために、という態度やな。
アートマの悦びに満たされたいと願うなら、自分の欲望を戒めなければなりません。
どんな思いが浮かんだときも、その思いがどんな性質のものかを考えてみてください。
自分の胸に聞いてみるのです。
「この気持ちは、私の成長にとって望ましいか、害になるか、どちらだろう。」
神を信じる者にとってまず特に気をつけるべきは、自分の思いによこしまなものが無いかどうかです。
何の思いも無くすことなど、普通の人には無理でしょう。
ただせめて、悪い思いが浮かんだときに、何らかの手があるはずです。
悪い思いにとらわれてはいけません。忘れなさい。
どんな思いも、すぐ良い思いに切り替えるのです。
それから、いつも良いことだけをするように心がけなさい。
そしてどんな場合もその仕事を神に捧げ、自分の務めを神様へのお勤めとしていくのです。
すべての思いを尊い思いに変え、すべての務めを神様へのお勤めとする事によって、神への道を自然に進んでいけることでしょう。
ポニョ:でも、普段の生活の中でそういう態度を取るって難しいで。
ヨシオ:例えば俺たちは日常生活を送っている時に、自分の身体や心の要求を満たすためにいろんな活動をしているって思っているやろ。それじゃ、寝ている時は何のため、誰のために寝ているんや。誰の為に心や身体を休めているんやろ。
ポニョ:そんな事を今まで考えた事は無いな。考えなくても夜になれば眠くなって寝るだけや。誰のために寝るなんて考え始めたら寝れなくなるから、考えない方が良いのが決まってる。何でそんな事を考えやなあかんねん。
ヨシオ:ポニョはとことん現実派人間やからな。典型的なO型人間やもんな。寝て食べて笑って仕事を一生懸命して、人生を送って行くタイプやもんな。俺たちが起きていろんな活動をしたり、寝たりすることは全てアートマンのためなんや。人間として生まれた限りは何をやるにしてもアートマンのためにやるように出来ているんや。
ポニョ:でもアートマンって全てに内在していて、いつもハッピーなのにどうして、そのハッピーなアートマンのために、なんで何かを捧げやなあかんのか分からんぜよ。
ヨシオ:アートマンは自分を自分で見ようとしてこの三界の世界を創造されたんや。だから、俺たちの周りにある全てのものは、その目的のために存在しているんや。アートマンが自分を自分で愛するために、創造された世界が俺たちが住んでいる世界なんや。だから、神様は愛そのものなんや。
ポニョ:つまり、おいら達は、愛するために創られた神様の人形みたいなもんなんやな。
ヨシオ:自分を自分で愛するために創造されたこの世界に俺たちは生きているけど、この世界で先ずやらなければならない事は、全ては愛だって事を悟る事や。そのためには自分の内に深く内省し、そしてこの世界を覆っているマーヤーのカラクリを探り当て、そのカラクリに騙されたフリをして神様の事を愛する事なんや。そういう覚めた態度を取ることが、このマーヤーのまやかしに騙されず生きるコツなんや。その人は夢の世界に住んでいても、いつも目覚めた状態で生活をしているから、この世の中のものに全く囚われないんや。
ポニョ:でも、神さんから見たら、その人は神さんが創ったカラクリに全然騙されないから、面白くない人なんやろな。
ヨシオ:映画館に行って、人はスクリーンに映し出された映画を見るやろ。その映画は悲しい物語やったり、とてもエキサイティングなストーリーやったり、アクションものやったり色々やろ。そのスクリーンに映し出された物語が、俺たちが住んでいるこの世界に展開されるいろんな事件や出来事なんや。
ポニョ:人はスクリーンに映し出されている映画のストーリーを本当だと勘違いして、泣いたり笑ったり怒ったりするもんな。
自らの実体をちらりと見ただけで、人のエゴ〔自我意識、アハンカーラ〕はなくなり、慢心と失意もなくなります。
そうなると、賞賛されて喜ぶことも、非難に悲しむこともなくなります。
そして、どんな嵐でも揺らすことができない山の頂のように、人は堅固になり、揺らくごとはなくなります。
映画館のスクリーンのように、中傷の火や賞賛の雨の影響を受けることもなくなります。20/2/1966
ヨシオ:ところが覚めている人は、他の観客と一緒に映画館の席に座って映画を見ているけれど、その人はスクリーンに映し出された映画を見ているんではなくて、スクリーンつまり銀幕を見ているだけなんや。その人は、目の前で展開されるいろんなストーリーは、白いスクリーンに映し出されたまやかしだと知っているんや。だから、クライマックスシーンで皆が興奮していても、お涙頂戴の場面では他の観客がハンカチで涙や鼻汁を拭いていても、その人は涙一滴流さずに白いスクリーンだけを見ているんや。
ポニョ:冷血人間みたいやな。そんな人とお友達になりたくないな。さっきのお母さんみたいやな。おいらは好きになれないな。そういう人って。
ヨシオ:ババは、人が英知を得るとクール&カームになるって言っておられる。つまり、何があっても動ぜず、いつも落ち着いたハッピーな態度を取る事が出来るようになるんや。そういう人が神に近い人なんや。とは言ってもそういう人は冷血人間だとは言えないんや。というのもその人はいつも見ている白いスクリーンが至福そのものっていうことを知っているんや。それに映し出された映画はその至福を隠すために、神さんがディレクターとなって創られた映画なんや。人はこのような神さんが作られたカラクリに惑わされずに、それを見破り至福そのものである白いスクリーンだけを見て生きて行くようにならないといけないんや。
ポニョ:神さんは要するに、おいら達が映画館でその白いスクリーンに映し出された映画を見て、それが本当のように思い込み、泣いたり笑ったり怒ったりしているのを見て、からかって笑っておられるんやな。意地が悪いぜよ。それって。
ヨシオ:実は、この三界の世界は神さんが遊びで創られたプレイグランドなんや。俺たちは神さんのゲームのコマみたいなもんで、双六のボードの上を上がったり下がったりしながら上がりに近づいているんや。
ポニョ:誰かが遊んでいる双六で、おいら達は上がったり下がったりしながら泣き笑いしてるんやな。アホみたいやな。それって。神さんがちょっと遊びで創られたゲームに真剣になって泣き笑いしてるって。
ヨシオ:そういうことや。だから最初に言ったように、この世の中で何一つ真剣にシリアスにやらなければならない事って何もないんや。ただ一つの事を除いては。
ポニョ:映画館に行って席についても、スクリーンに映し出された物語に一喜一憂するんではなく、それを映し出している後ろにある銀幕を見ろってことやな。それって、映画館の入場料が無駄になるぜよ。
ヨシオ:何れにしても、ポニョは映画を見ててもすぐ寝てしまうやんか。いつもマーヤーに惑わされずに目覚めていて、その後ろにおられる神様に気付いていること。それがこの人生をハッピーに歩んで行くための秘訣なんや。
ポニョ:いつも、マーヤーに惑わされず目覚めて気づいていることか。英語で言ったらCONSTANT INTEGRATED AWARENESS やな。略しておいらが大嫌いなCIAや。
ヨシオ:おお!ポニョが久々に能ある鷹は爪を隠すんではなく、爪を出してきたな。
ポニョ:ババの言われた事をコピーしただけや。でもたまにはおいらの叡智の泉から水が湧き出てきて溢れ出すこともあるんぜよ。また直ぐに涸れるけどな。
すべての姿、形とすべての名前は神に属しているというのが、本当のCONSTANT INTEGRATED AWARENESSコンスタント統合意識である。 サチョーパニシャッド
すべての人が、またすべての生き物が、平安と幸福を得ようと努めます。
誰もが人生の目的を知ろうとしています。
しかし、人々はその努力に成功することができないでいます。
強い決意をもって、目標に到達するまであきらめない人は、百万人に一人です。
限りある命をもつ普通の人は、それが自分の手に届かないものだと考えて、全くこの方面の努力をしません。
彼らは、物質的なその場限りの快楽を追及することに一生を費やします。
彼らは、衣・食・住こそが人生の三大目的であると勘違いしています。
その人生は、妻子を中心としたものになっています。
彼らは、人生にはこれよりも高い目的があるということに気がつきません。23/11/02
今日、人間は人生の目標を探求しません。
人生の目標を知ろうと努める代わりに、人間は自分の世俗的生命を心配しています。
動物や昆虫でさえ、自分たちの世俗的生存に関心をもっています。
生命の秘密を知ることは大事なことではありません。
人は、人生の目的を知らなければなりません。
それはとても大事なことです。
私たちの人生の目標は、アートマの原理に象徴された真理に他なりません。
人生の目標を探求する代わりに、人間は生命の秘密を知ろうとしています。
それは不毛な努力です。
これを知るためには、何度生まれ変わっても十分ではありません。
あなたの心を人生の目標に定めなさい。
生命については心配する必要はありません。1/3/03A
人は、はかない物事の追求に深く捕らわれて人生を過ごします。
人は、人生の各成長段階に特有の無益な思考に心を奪われます。
そして人生の最後に、自分は貴重な人としての生を、実にくだらないことを追い求めることで浪費してしまったと気づくのです。
これが人間の本性なのでしょうか?
人間が人生で学ぶべきことはこれなのでしょうか?
これらの活動は、水の泡のような束の間のものです。
それが人に永続する幸せをもたらすことはできません。
そうした取るに足りないことを追い求めることで自らの時間を費やすことは、愚行にほかなりません。7/10/05
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また、この本の上下統合版も出来ました。A5版と大きいですがお得になっています。ポニョ書店からどうぞ
ポニョ:この前、三つの世界の話をしたけれど、おいら達の想像を超えたところの話やから、頭が着いて行くのが難しいかったぜよ。
ヨシオ:とてもスケールが大きい話やもんな。それら三つの世界を超えた、究極の創造の原因が神の摂理なんや。そして、それは時間をも超越しているんや。
ポニョ:時間を超越するってあんた、過去や未来が全てその手の中にあるって事なんやろうけど、創造主ってすごいよな。そして、その創造主自らが人の姿をとってこの地上に降臨され、そしてその神さんと友達になれれば、この世で無敵やぜよ。
ヨシオ:俺は、今は割と辛抱強いけど、昔は癇癪をよく落としていたんや。最近も、ポニョが知っているようにアクアポニックスのシステムから水漏れしてるので、排水口の金具を点検するために、取り外す作業をしていたんやけど、金具の取り付けネジの直径が十センチもあって、特殊な工具で回していたんやけど、とても固いし、回しにくくて、一時間以上やっても取れなかったんや。それで俺は癇癪を落としてババに、あんたは私とお前が共同で働けばこの世界で出来ないことは何もない、と言ってたのにこんな単純な作業も出来ないやんか。と言ったんや。するとその金具は突然工具なしに、手でくるくる回せて外せたんや。俺は少し驚いたけど、ババに「これでよろしい。出来た出来た。良くやったな。」と言って褒めてあげたんや。
ポニョ:神さんを褒めてどうするねん。ありがとうの一言ぐらい言えや。失礼やで、そんな態度をしてたら。
ヨシオ:そうかな。いつも俺とババはこんな感じやねんけどな。でも、どんな結果であろうと、どんな事が起ころうといつも平静でいることが出来ないと、ババとこんな関係を持つことは難しいかな。
あなたは、神との友情を培うべきです。
もし神があなたの友人であれば、全世界をコントロールすることができます。
しかし今日、不運な人々は、神との友情を失いつつあります。
神と友達になるのは容易なことではありません。
しかしあなたは、このことにあらゆる努力を傾注すべきです。
いったん神と友情を培うことができれば、サーダナ(霊性修行)を通じてそれを最大限に活用しなければなりません。おしゃべりをして時間を無駄 にしてはなりません。23/11/02
ポニョ:お袋さんが亡くなられた時も、家族のみんなは、嫁さんの悲鳴を聞いて風呂場に走って行ったのに、あんただけまだ金魚に餌をやり続けていたもんな。
ヨシオ:この世は全て幻や。何も真剣になって目くじらを立ててやることなんてこの世に何もないんや。そういう事が分かって、いつもハッピーでいることが出来れば神の境地に達しているのと同じなんや。
ポニョ:ババは神さんのおられる門をくぐれる最初の条件は、その人がいつもハッピーかどうかだって言っておられたな。
ヨシオ:ただ一つこの世の中で真剣にならなくてはならないことは、神さんを求めることだけや。それ以外の事は全て、木で例えれば枝葉の部分で大した事はないんや。
時は早く過ぎ去り、人の寿命は氷の塊が溶ける様に、刻々と無くなっていっていることに気付くべきである。
人は自らの人生に幕を下ろすときでさえも、未だ自分がやらねばならなかった基本的なことでさえ見つけられていません。
何が義務なのでしょうか?
それは、人生の目標を見いだすことです。
人は、富、快適さ、地位、幸せ、を探し求めています。
それらは、結局のところ何だというのでしょうか?
人がそれらの世俗的な幸せのみを求めることによって、神からの祝福を得られなくなっているのです。
それらの、一時的なはかない物質的な喜びが、いったい何だというのでしょうか?SS8/95p199
ポニョ:そう言えば、こんな話があるぜよ。ラーマがシータが幽閉されているランカ島に攻め入った時に、ラーマ軍の放った矢が雨のように降り注ぎ、人々が逃げまくっていたけど、その中の一本が不幸にもお母さん抱いて逃げていた赤ちゃんに命中したんぜよ。それでそのお母さんは、赤ちゃんを手から放り投げてそのまま走り続けたんや。それを見ていたラクシュマナはラーマに、お兄さん見ましたか今のシーンを。あの女は自分の子供が矢に射られた途端、子供を放り投げて自分の命を守るために走って逃げていましたね。ここはさすがに悪鬼が支配する国だけあって、住んでいる人々も鬼のような人ばかりですね。と言うと、ラーマは私は違うと思うよ。そのお母さんをここに連れてきて話を聞こうじゃないか。と言ってラーマの前に連れて来られたそのお母さんに、どうして自分の子供を放り投げて逃げ続けたのか聞いたんや。すると、そのお母さんは、こう言った。私はヴィシュヌ神の化身であるラーマ神がこの国にやって来られることを聞き、是非そのお姿を拝み、ダルシャンを得る事が出来るようにお祈りしておりました。私の子供は不幸にも矢に射られて死にました。その子はその時に死ぬ運命にあったのでしょう。でも、私はまだ生きております。ですから、ラーマ神が来られた機会を逃さずに神にまみえることが出来るように、走って矢の雨から逃げたのでございます。そして今こうして、あなた様にお目通りさせて頂いて私どもの祈りが叶い、とても嬉しく思っています。と言ったんや。
ヨシオ:そのお母さんは、この世で何が一番大事なことか知っておられたんやな。子供が目の前で死んでも、その子に執着することなく、神さんだけを見て生きるって並大抵の事では無いけれど、そういう生き様が一番大切なんや。
ポニョ:この世は全て、神様がキャンパスに描かれた絵やもんな。その中の絵が自分を描いた絵かきの事を見ないで、絵の中のストーリーに巻き込まれて泣いたり笑ったりしてるんや。
ヨシオ:それがこのマーヤーの世界やな。このまやかしの世界から自由になるには、神様に全てを捧げるっていう態度が大切なんや。何をやるにも全ては神様のために、という態度やな。
アートマの悦びに満たされたいと願うなら、自分の欲望を戒めなければなりません。
どんな思いが浮かんだときも、その思いがどんな性質のものかを考えてみてください。
自分の胸に聞いてみるのです。
「この気持ちは、私の成長にとって望ましいか、害になるか、どちらだろう。」
神を信じる者にとってまず特に気をつけるべきは、自分の思いによこしまなものが無いかどうかです。
何の思いも無くすことなど、普通の人には無理でしょう。
ただせめて、悪い思いが浮かんだときに、何らかの手があるはずです。
悪い思いにとらわれてはいけません。忘れなさい。
どんな思いも、すぐ良い思いに切り替えるのです。
それから、いつも良いことだけをするように心がけなさい。
そしてどんな場合もその仕事を神に捧げ、自分の務めを神様へのお勤めとしていくのです。
すべての思いを尊い思いに変え、すべての務めを神様へのお勤めとする事によって、神への道を自然に進んでいけることでしょう。
ポニョ:でも、普段の生活の中でそういう態度を取るって難しいで。
ヨシオ:例えば俺たちは日常生活を送っている時に、自分の身体や心の要求を満たすためにいろんな活動をしているって思っているやろ。それじゃ、寝ている時は何のため、誰のために寝ているんや。誰の為に心や身体を休めているんやろ。
ポニョ:そんな事を今まで考えた事は無いな。考えなくても夜になれば眠くなって寝るだけや。誰のために寝るなんて考え始めたら寝れなくなるから、考えない方が良いのが決まってる。何でそんな事を考えやなあかんねん。
ヨシオ:ポニョはとことん現実派人間やからな。典型的なO型人間やもんな。寝て食べて笑って仕事を一生懸命して、人生を送って行くタイプやもんな。俺たちが起きていろんな活動をしたり、寝たりすることは全てアートマンのためなんや。人間として生まれた限りは何をやるにしてもアートマンのためにやるように出来ているんや。
ポニョ:でもアートマンって全てに内在していて、いつもハッピーなのにどうして、そのハッピーなアートマンのために、なんで何かを捧げやなあかんのか分からんぜよ。
ヨシオ:アートマンは自分を自分で見ようとしてこの三界の世界を創造されたんや。だから、俺たちの周りにある全てのものは、その目的のために存在しているんや。アートマンが自分を自分で愛するために、創造された世界が俺たちが住んでいる世界なんや。だから、神様は愛そのものなんや。
ポニョ:つまり、おいら達は、愛するために創られた神様の人形みたいなもんなんやな。
ヨシオ:自分を自分で愛するために創造されたこの世界に俺たちは生きているけど、この世界で先ずやらなければならない事は、全ては愛だって事を悟る事や。そのためには自分の内に深く内省し、そしてこの世界を覆っているマーヤーのカラクリを探り当て、そのカラクリに騙されたフリをして神様の事を愛する事なんや。そういう覚めた態度を取ることが、このマーヤーのまやかしに騙されず生きるコツなんや。その人は夢の世界に住んでいても、いつも目覚めた状態で生活をしているから、この世の中のものに全く囚われないんや。
ポニョ:でも、神さんから見たら、その人は神さんが創ったカラクリに全然騙されないから、面白くない人なんやろな。
ヨシオ:映画館に行って、人はスクリーンに映し出された映画を見るやろ。その映画は悲しい物語やったり、とてもエキサイティングなストーリーやったり、アクションものやったり色々やろ。そのスクリーンに映し出された物語が、俺たちが住んでいるこの世界に展開されるいろんな事件や出来事なんや。
ポニョ:人はスクリーンに映し出されている映画のストーリーを本当だと勘違いして、泣いたり笑ったり怒ったりするもんな。
自らの実体をちらりと見ただけで、人のエゴ〔自我意識、アハンカーラ〕はなくなり、慢心と失意もなくなります。
そうなると、賞賛されて喜ぶことも、非難に悲しむこともなくなります。
そして、どんな嵐でも揺らすことができない山の頂のように、人は堅固になり、揺らくごとはなくなります。
映画館のスクリーンのように、中傷の火や賞賛の雨の影響を受けることもなくなります。20/2/1966
ヨシオ:ところが覚めている人は、他の観客と一緒に映画館の席に座って映画を見ているけれど、その人はスクリーンに映し出された映画を見ているんではなくて、スクリーンつまり銀幕を見ているだけなんや。その人は、目の前で展開されるいろんなストーリーは、白いスクリーンに映し出されたまやかしだと知っているんや。だから、クライマックスシーンで皆が興奮していても、お涙頂戴の場面では他の観客がハンカチで涙や鼻汁を拭いていても、その人は涙一滴流さずに白いスクリーンだけを見ているんや。
ポニョ:冷血人間みたいやな。そんな人とお友達になりたくないな。さっきのお母さんみたいやな。おいらは好きになれないな。そういう人って。
ヨシオ:ババは、人が英知を得るとクール&カームになるって言っておられる。つまり、何があっても動ぜず、いつも落ち着いたハッピーな態度を取る事が出来るようになるんや。そういう人が神に近い人なんや。とは言ってもそういう人は冷血人間だとは言えないんや。というのもその人はいつも見ている白いスクリーンが至福そのものっていうことを知っているんや。それに映し出された映画はその至福を隠すために、神さんがディレクターとなって創られた映画なんや。人はこのような神さんが作られたカラクリに惑わされずに、それを見破り至福そのものである白いスクリーンだけを見て生きて行くようにならないといけないんや。
ポニョ:神さんは要するに、おいら達が映画館でその白いスクリーンに映し出された映画を見て、それが本当のように思い込み、泣いたり笑ったり怒ったりしているのを見て、からかって笑っておられるんやな。意地が悪いぜよ。それって。
ヨシオ:実は、この三界の世界は神さんが遊びで創られたプレイグランドなんや。俺たちは神さんのゲームのコマみたいなもんで、双六のボードの上を上がったり下がったりしながら上がりに近づいているんや。
ポニョ:誰かが遊んでいる双六で、おいら達は上がったり下がったりしながら泣き笑いしてるんやな。アホみたいやな。それって。神さんがちょっと遊びで創られたゲームに真剣になって泣き笑いしてるって。
ヨシオ:そういうことや。だから最初に言ったように、この世の中で何一つ真剣にシリアスにやらなければならない事って何もないんや。ただ一つの事を除いては。
ポニョ:映画館に行って席についても、スクリーンに映し出された物語に一喜一憂するんではなく、それを映し出している後ろにある銀幕を見ろってことやな。それって、映画館の入場料が無駄になるぜよ。
ヨシオ:何れにしても、ポニョは映画を見ててもすぐ寝てしまうやんか。いつもマーヤーに惑わされずに目覚めていて、その後ろにおられる神様に気付いていること。それがこの人生をハッピーに歩んで行くための秘訣なんや。
ポニョ:いつも、マーヤーに惑わされず目覚めて気づいていることか。英語で言ったらCONSTANT INTEGRATED AWARENESS やな。略しておいらが大嫌いなCIAや。
ヨシオ:おお!ポニョが久々に能ある鷹は爪を隠すんではなく、爪を出してきたな。
ポニョ:ババの言われた事をコピーしただけや。でもたまにはおいらの叡智の泉から水が湧き出てきて溢れ出すこともあるんぜよ。また直ぐに涸れるけどな。
すべての姿、形とすべての名前は神に属しているというのが、本当のCONSTANT INTEGRATED AWARENESSコンスタント統合意識である。 サチョーパニシャッド
すべての人が、またすべての生き物が、平安と幸福を得ようと努めます。
誰もが人生の目的を知ろうとしています。
しかし、人々はその努力に成功することができないでいます。
強い決意をもって、目標に到達するまであきらめない人は、百万人に一人です。
限りある命をもつ普通の人は、それが自分の手に届かないものだと考えて、全くこの方面の努力をしません。
彼らは、物質的なその場限りの快楽を追及することに一生を費やします。
彼らは、衣・食・住こそが人生の三大目的であると勘違いしています。
その人生は、妻子を中心としたものになっています。
彼らは、人生にはこれよりも高い目的があるということに気がつきません。23/11/02
今日、人間は人生の目標を探求しません。
人生の目標を知ろうと努める代わりに、人間は自分の世俗的生命を心配しています。
動物や昆虫でさえ、自分たちの世俗的生存に関心をもっています。
生命の秘密を知ることは大事なことではありません。
人は、人生の目的を知らなければなりません。
それはとても大事なことです。
私たちの人生の目標は、アートマの原理に象徴された真理に他なりません。
人生の目標を探求する代わりに、人間は生命の秘密を知ろうとしています。
それは不毛な努力です。
これを知るためには、何度生まれ変わっても十分ではありません。
あなたの心を人生の目標に定めなさい。
生命については心配する必要はありません。1/3/03A
人は、はかない物事の追求に深く捕らわれて人生を過ごします。
人は、人生の各成長段階に特有の無益な思考に心を奪われます。
そして人生の最後に、自分は貴重な人としての生を、実にくだらないことを追い求めることで浪費してしまったと気づくのです。
これが人間の本性なのでしょうか?
人間が人生で学ぶべきことはこれなのでしょうか?
これらの活動は、水の泡のような束の間のものです。
それが人に永続する幸せをもたらすことはできません。
そうした取るに足りないことを追い求めることで自らの時間を費やすことは、愚行にほかなりません。7/10/05