サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

インタビュー特集(18)ココナッツの例えの巻

2017-03-02 16:00:34 | 日記

ポニョ:今日のインタビューで、サイババさんは「自分が好きなことをする代わりに、自分がしなければならないことを好きになること」って言いておられるけれど、おいらが好きな言葉やぜよ。だって今のスピ系の人たちは自分が好きな事や、やりたい事だけをやれば幸せになれるって言っているけれど、それってどこに君の義務があるのって聞きたいぜよ。結局グータラな鈍性なオタクのような人だけが喜びそうな言葉やぜよ。

ヨシオ:人のことはホットケーキやって前から言ってるやろ。サイババさんはカリユガ期の人の特徴は、他人の事に干渉し過ぎる事やって言っておられるんや。ポニョはもうちょっと自分の事を心配しろや。そんな人の事ばっかり気にしてたらいつまで経っても神さんの元に辿り着かないで。
ポニョ:はいはい。それでは皆さんインタビュールームに行きましょか。うるさいおっさんは部屋の外で待っといてくれますか?

1983年 1月10日

H : スワミ、私には、よくわからない事があります。スワミは、「金銭を霊的な事柄の一環とすべきではない、金銭が支払われるべきではない」とおっしゃいます。私はそれを承諾して、アメリカのサイ オーガニゼーションでは極限までそれを厳しく守ってきました。しかし、私にはその原理原則がわかりません。 私には、そして大方のアメリカ人にとっては、無料のものは価値がないに等しいのです。一方、お金を支払わなければならないときには、大切に扱って注意を向けます。お金のかかるものには価値があるのです。

サイ: ええ、最初はそれが普通です。しかし、それは長続きしません。価値が与えられるのは突然で、それは花火のように急速に上がります。そして、花火のように落ちるのも速い。金銭の支払いが伴えば、愛情や感謝はありません。あなたは店に行って、欲しい品物の代金を支払います。売り子に感謝したり、謝意を感じたりすることなどありますか? あなたは全額を支払い、それでおしまいです。
グルが、哲学を始めたとします、サーダナの手ほどきを始めたとします。代 金が請求されて、支払われると、急速に関心が広まって、人々は自分も加わら なくてはと思い、入門します。さて、何年か経つとどうなるでしょう? 最近の例では、あの若者です。○○○○(氏名は削除した)という名前でしたか? 世界各地で、人は彼の指示を仰ぐためにお金を手渡しました。彼は今、どこに いますか? 彼の言葉は聞かれません。スワミは、そのようなことはしません。スワミはゆっくり建てますが、それ は堅固で、健全で、持続します。あなたは 14 年前のプラシャーンティ ニラヤ ムを覚えているでしょう。そして、今あなたは、スワミの仕事が、ゆっくりと、 しかし、着実に成長しているさまを見ています。
霊的な事柄は、愛のある状況においてのみ起こるものです。助言や指針や助力が、お金を払ってもらうためでなく、慈愛の中で、愛の中で与えられるとき には、何らかの感謝の気持ちが生じるでしょう。そして、感謝と自信という状況にあっては、何らかの霊的な利益が生じるでしょう。さらには、金儲けの一環としてではなく、愛の中で行為が行われるとき、お金はいずれ入って来るのです。 喩えをあげましょう。椰子の木があるとします。(ここでババは腕を上げた。)木の上には(ご自身の手首に触れて)、ココナッツがなっています。木の下には地面に長く伸びた影ができています。さて、ココナッツを手に入れたいと望む男が、その椰子の木に登りはじめました。男が木に登っているとき、 同時に男の影も木の影に登っているのが見えるでしょう。そして男がココナッツをもぎ取る時、男の影もココナッツの影をもぎ取るのが見えるでしょう。 本物の木に登る男は本物のココナッツを手に入れ、それと同時に、男の影も影の木に登って影のココナッツをもぎ取ります。しかし、もし本物の木に登りたがらず、その代わりに、自分の行動を影の木に登るだけにとどめたとしたら、 影のココナッツから満足を得ることはできません。影の木は世の中を表しており、影のココナッツは世間的な繁栄を象徴してい ます。本物の木は霊的な生活を象徴しており、本物のココナッツは人生の成就を意味します。このように、自分の人生とエネルギーを霊的な価値に捧げる人は、自動的に世間的な利益も得ることになります。

H&シュリーニバース: スワミ! 何という素晴らしい喩えでしょう! 人はお金のためではなく、愛を背景にして仕事をすべきだというスワミの教えを伝える、 何という素晴らしい方法でしょう! 世間的な必要は、自動的に面倒を見ても らえるのですね。

サイ: これはよい喩えですか?

H&シュリーニバース: スワミ、完璧な喩えです!

H : スワミ、日常生活での難問というのはこういうことです。日常生活は小さな選択の連続であり、私たちは最も大きな楽しみや快適さを与えてくれる選択肢を選びます。そうしていると、私たちの一生は快適さと楽しみへと向けられ ます。そんな生活が私たちを解脱へと連れていけるわけがありません。どうしたらいいのでしょう?

サイ: スワミが教える原理原則は、「自分が好きなことをする代わりに、自分がしなければならないことを好きになること」です。すべての行いをスワミのためにすべきであり、すべての行いをスワミに捧げ るべきです。そうすれば、義務と、規律と、信愛〔バクティ〕が、行動の指針 となります。体を自分として見ている限り、あなたの行いは快適さと楽しみの ためのものになります。自分は体ではないということを実感し、楽しみと快適 さを必要とすることから解放されなさい。

H : この質問は、スワミには愚かに聞こえるでしょうが、私には真剣なことです。

サイ: 何ですか?

H : アメリカのサイ オーガニゼーションの活動と問題と成果について、私はス ワミに何通も手紙を書いています。しかし、私は自分の直接的な経験から、スワミは遍在であり、出来事のすべてをご存知だということを知っているので、 問題や出来事をスワミに説明するのは馬鹿げていると、よく思うのです。

サイ: スワミが遍在で全能であることについて、多くのナンセンスが横行していま す! 人は、「自分は何もする必要がない、スワミがすべてをしてくれる」と考え始めます! そうして人は、自分の日々の義務さえもする手間を取らなくな ります。
霊的な生活においては、あなたとスワミの関係はハートとハートのものです。 けれども、世俗の生活においては、スワミは、あなたにやるべき仕事を与えます。それには、世の中で働くこと、世の中での活動を必要とします。あなたは 任務のまさに極限まで、自分の義務を果たすことを要求されます。書くことに 関する限り、スワミに手紙を書くのは、あなたの満足のためです。

H : 私の満足のためですか? スワミ。

サイ: そう、あなたの満足のためです。あなたがスワミに手紙を書くと、その時、 あなたの心は問題から解放されます。それは、スワミが知らないからではあり ません。たとえば、あなたが何か問題点を留保するとします。すると、あなたは罪悪感を覚えます。しかし、スワミに話せば、罪悪感はなくなります。スワミがあなたに与えた仕事において、十分に、完全に、自分の義務を果たしなさい。