ポニョ:今日のインタビュー記事で「仕事をしているのはそうした道具ではありません。仕事をするという目的のために、あなたが道具を使っているのです」という説明が分かりやすかったぜよ。つまり人は道具を使うように神様も人という道具を使われるんやぜよ。
ヨシオ:それじゃ人が悪い事をする時も、神様がその人を道具として使って悪い事をなさるんかって、すぐに質問した人がいたな。
ポニョ:おいらもその疑問が一番最初に思ったんや。でもサイババさんは悪い事は神ではなく悪はエゴ〔自我意識、アハンカーラ〕からのものですと言われたんや。でも全ては神さんがやっておられるのに何で悪い事だけがエゴがやっているんやろか?
ヨシオ:ナイフを強盗が持って人の家に押し入ったら人を脅す武器になるけれど、それと同じナイフを外科医が持ったら人の腫瘍などを取る手術する為のメスになるやろ。俺たち人間の肉体も、神様の道具になれるように努力しないといけないんや。
ポニョ:つまり人の身体って道具と一緒やから全てを神様に捧げている人は神様がメスのように良いことに使われるけれど、そうではなく自分が使うんやと思っている人はエゴが強く、そういう人は獣的な傾向も強いからから、同じナイフでも凶器になったりするんやな。何となくわかったつもりになって来たぜよ。というわけで早速インタビュールームの方に行きましょか。サイババさんがお待ちかねでヤンス。
1983年 1月14日
H : スワミ、重要な質問が二つあります。日常生活における私たちの仕事のこと、 そして、ローマでのシンポジウムの準備のことです。
御講話の中でスワミは、「すべての行為を行っているのは神だということを 認識すべきであり、人は自分が行為者となることで、その行為を背負うべきではない」とおっしゃっています。さらには、「人間の限られた力に頼る代わりに、神の力を頼みにすべきである」ともおっしゃっています。スワミがこの二つのことを御講話の中で話されるということは、その指示は万人に向けられているということですか?
サイ: 神があなたを通して働いている、という視点をとらえなさいという事を言っているのです。
H : スワミ、それはどういう意味でしょうか? それは、日々行われる実際の行為に、どう当てはまるのでしょうか?
サイ: あなたは自分が行為に従事していると考えていますが、行為をしているのは あなたの体であり、あなたの心であり、あなたの知性です。しかし、それらを通して働いているのは神です。行為の源は、あなたの中のアートマのみです。 アートマは神です。
H : それでは、「私がやっている」と考える代わりに、「私」というのはただの言葉であり、進行中の行為と動きの一切は、ヒスロップから来ているのではなく、 実際には神がしているのだと自分に言い聞かせ、それを意識すべきなのですね?
サイ: 特定の仕事をするために、神があなたの知性と心と体を自らの道具として使っているのです。あなたはペンで書いたりハサミで紙を切ったりしますが、 それらの仕事をしているのはそうした道具ではありません。仕事をするという目的のために、あなたが道具を使っているのです。それと同じように、あなたが「自分自身」と呼んでいる道具、すなわち、知性と心と体は神の目的のために神に使われているのです。
H : それは毎日の生活して行く上でいつもそういう事を思うって実用的なやり方でしょうか? 「私の心と体はいつも神の道具として神に使われている」と、常に自分に言い聞かせるのですか? それは一日を通して生活や活動をしていく上で、実用的な方法でしょうか?
サイ: そうです。これは事実で、これは実用的です。
AC : しかし、スワミ! それでは、悪も神が行っていることになってしまいます。
サイ: 最初はおそらく(明らかにそういう風に思う)かもしれませんが、その後は、そうではありません。悪を行うのは神ではありません。悪はエゴ〔自我意識、アハンカーラ〕からのものです。
AC: 私が死ぬ時・・・
サイ: (言葉を挟んで)あなたは誰ですか? あなたは死にません! 体は脱いだり着たりする衣服のようなものです。
AC: それでは、体が死んだら、私は他の体をまとうのですか? なぜ? なぜですか?
サイ: 欲望が残っているからです。欲望は種のようなもので、芽を出します。欲望が人を再び生まれさせるのです。欲望を絶ちなさい。そうすれば、もう生まれてくることはなくなります。心〔マインド〕は欲望の束です。
AC: しかし、この創造された世界、体、心は、アートマの投影ではないのですか? 心、体、知性は創造物であり、アートマの投影ではないのですか?
サイ: 創造物はアートマからのものです。アートマ、すなわち、神は、陽です。体 は陰です。それが結び付くと行為が生じます。それがなければ無です。
AC: アートマがあり、それからアートマの投影としての創造物がある・・・
サイ: 違います! そこで間違いが起きるのです! 創造物はアートマの投影ではありません。アートマ、すなわち神は、創造物のあらゆる繊維組織に浸透してい ます。姿形は外見にすぎまん・・・。アートマは、エネルギー、神、神聖エ ネルギーであり、それが姿形をもたらします。そして、それが姿形の実際です。
(この後はACとの個人的な会話となったので省略する)
H : これらの任務のすべてを果たすには、スワミ、大量のエネルギーが必要です。 人間のエネルギーは低いので、スワミは神のエネルギーを頼みにするようにと おっしゃいます。どのようにしてですか?
サイ: そう、人間のエネルギーは低く、神のエネルギーには限りがありません! あなたは神です!
H : それは、人間のエネルギーの限界を感じたとき、それを偽りとして拒絶し、 代わりに、自分を神と見なす、すなわち、無限のエネルギーである神と見なすようにするという意味ですか?
サイ: そうです。拒絶しなさい! あなたの影を見てみなさい。あなたは座っていて、そこにはあなたの影があります。あなたが立ち上がると、あなたの影も伸びます。あなたの影は人間のエネルギーです。あなたは神のエネルギーです。あなたが立ち上がるとき、神の仕事をするとき、あなたのエネルギーは大きくなります。
1983年 1月15日
H : スワミ、「神のエネルギー」対「限りある人間のエネルギー」・・・
サイ: 神のエネルギーがあるだけです。
H : しかし、私の人間のエネルギーのように思えるものは、私にとって十分だとは思えません。たとえば、中央アメリカに行くことであるとか。
サイ: すべては神です。エネルギーは神だと知りなさい。そうすればすべて良くなります。
H : ああ! 人間のエネルギーが弱くなったら、それを手放して、神のエネルギー こそが真実だと理解するのですね! 数年前に、長いドライブの時少しお疲れのように見えたババが、一瞬にして花のように活き活きとなられました。
サイ: この体を人間の体と同じと思ってはなりません。これは帰依者のために身体の姿や形のように見えるものにすぎません。スワミには、帰依者のためのこと以外、何もありません。欲望もありません。この体は姿形に見えるものにすぎません・・・。 物質があります。人間がいます。神がいます。物質 = 利己性。人間 = 利己 性 + ヘルプ(他人を助けること)。神に利己性はなく、まったくの愛のみです。利己性は土台として健康と繁栄に不可欠なものです。健康でなかったら何ができますか? これらのための仕事はしなければいけないのでしょうか? これらのための仕事はしなければいけません。それから他人を助けなさい。 その時は神だけになります。
H : しかし、スワミ。その必要な世俗の「利己性」の仕事においても、そこには 「私」〔神我〕が存在するのですね? 世俗の仕事をしているのは、確かに神の みなのですね?
サイ: そのほうがいいでしょう。それが一番の方法です。あなたはスワミのための道具、スワミがスワミの目的のために使っている道具、スワミの教えなどを語るアメリカの会長にすぎません。