りりあんのめーぷるしろっぷ

季節感あふれる身辺雑記。

今のうちに

2008-01-19 | Weblog
久しぶりにテレビで坂東玉三郎丈を拝見。
番組は『プロフェッショナル 仕事の現場』でした。化粧前で耳たぶに水白粉を塗りながら、耳たぶにもお化粧を?というインタビュアーの質問に答えて、隙のない化粧をされる理由を説明されていました。いわく、舞台というのは観客を夢の世界へ誘うものだと思っている。(女形の素の耳たぶを見て)観客が一瞬でも現実に戻され、想像力を削がれてしまうようなことがあってはいけない。

玉三郎さんには何度も夢の世界を観させていただきました。鷺娘しかり、娘道成寺しかり、六歌仙の墨染も溜息が出るほど美しかった。いずれも甲乙つけがたい演目でしたが、衝撃度の点で私がとくに忘れられないのは、「松竹梅雪曙」という舞踊劇でした。
玉三郎丈が八百屋お七を人形振りで演じるというのが呼び物のこの舞台。国立劇場の2階後方(といっても、劇場の造りのおかげで、遠くとも観やすい席でした。ロビーも広々していて、お薦めの劇場です)で観ていたのですが、舞台も終盤にさしかかる頃、舞台上が一瞬まっくらになり、ついで一条のスポットライトが髪を振り乱し、頭を垂れたお七を照らしだしました。人形遣いに扮する黒子3人に抱きかかえられ、前のめりになったお七がきっと振り仰いだ時の白く小さな顔――もはや文楽人形にしか見えませんでした。
2階席は満席ではなかったように記憶していますが、気がついたら私も含めて、ほぼスタンディング。私はいつの間にか、こぼれてきた涙を拭きながら、金縛りにあったような感じで、半鐘を叩こうと櫓をのぼるお七を見つめていました。
後にも先にも、舞台を観て、あんなに泣いたのはあの時だけです。幕が降りたあと、脱力状態で椅子に座った時、なんであんなに泣けたんだろうと不思議でした。お七の心情に感情移入したというよりは、玉三郎丈の人形振りの見事さにのめりこんで観ていたと思うので。無理に説明すると、圧倒的な美を前にして打ちのめされたとでもいえばいいのでしょうか。絵画の前で金縛りにあうような、そんな感覚だったように思います。
この一九七八年一月の舞台からまもなく、玉三郎さんが八百屋お七を踊るのはもう体力的に難しいかもしれない、というようなことを発言されました。その時は、人形振りは、反射神経も不随意筋も抑制する必要があって、想像する以上に体力を消耗するのだろう、などと素人ながら考えたものでしたが、今回「プロフェッショナル」で、玉三郎さんが限られた体力を極力いたわりつつ、凄まじいまでの覚悟をもって舞台に臨まれている姿を見て胸をつかれました。その一方で、役作りに悩む仁左衛門さんを出過ぎることなく、それでいてしっかり支えている姿には和みました。今でもいいコンビなのでしょうね。

つい先日読了した橋本治著『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』に、三島の最愛の女形にして不世出の女形といわれた六世中村歌右衛門丈について書いた文章がありました。本の内容についてはここでは説明しませんが、友人に「歌右衛門は見ておいたほうがいい。七〇代の役者が芸の力で初々しい娘に見えるから」と薦められ、代表作の「藤娘」を観に行きました。残念ながら、私の乏しい想像力・感性では、役者の「老い」を超えた芸の力を感じることはできませんでした。
なので、少しでも歌舞伎や玉三郎さんに興味のある方には、今のうちに観ておくことをお薦めします。若い頃より今のほうが凄みがあっていいよ、と言っている友人もいますから。


新年のご挨拶

2008-01-01 | Weblog
当地は、雪と時折の雷という荒れ模様の年明けとなりました。
雪の降る中、近くの神社へ初詣に行ってまいりました。
舞い落ちる雪のスクリーンの向こうに鮮やかな紅。
あまり丈の高くない山椿の木に花が一輪咲いていました。
可憐な椿の花の健気さにしばし見とれて、帰宅。
お雑煮を食し、静かな元旦の朝を迎えました。

気まぐれこの上ないブログで、平生から更新は遅れがちでしたが、新しいことを始めた9月以降はとくに更新が滞ってしまいました。にもかかわらず、ブログを訪れてくださった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。過ぎてしまえば、昨年は草稿の段階でぼつになった記事のなんと多いこと・・・今年はどうなりますことやら。まことに心もとない次第ではございますが、本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。