ターボの薩摩ぶらり日記

歳時記を念頭において

ただ夏野

2005年08月31日 | 俳句雑考

集落のはずれから、夏野を眺めた。
カメラのファインダーをとおしては、見渡すかぎりの大草原だった。
すこしまえまでは、草いきれがひどくて、佇んではいられなかったはずであるが、台風が炎帝をつれ去ったようであり、あたりを観察する余裕がうまれた。
盛夏の萬緑はすぎて、野のいろは黄ばんできている。秋がふかまったとき、どのような花野に変貌するか、そのころに再訪しようと思った。
画像は30日、印西市宗甫で撮す。

   放射路の末は消えつつただ夏野         樟蹊子

春には野道が貫通していたのに、夏草に覆われてしまったという句意だろうか。
最近はくるまの通れないほそい野道は、改装されるか、廃れるかの運命にあるように思えるが、後者のみちだろうか。
かつては、こどもたちが手をつなぎながら「靴が鳴る」と、歌ったみち。


秋の更衣

2005年08月30日 | 俳句雑考

北向地蔵が更衣していた。(参照)
地元には、大切にしないと瘡ができるという言い伝えがある。つむじが曲がっているかどうか、帽子を冠っているのでわからなかった。
北向地蔵はひじょうに珍しくて、大津には日本で唯一の北向地蔵があると、大津市の「隠れ名所紹介」に書かれているそうだ。
画像は27日、印西市大森で撮す。

    雁瘡を掻いて素読を教えけり     虚 子

歳時記によると、雁瘡は雁が渡ってくるころにかかりやすい皮膚病。
季節の移り目にかかりやすい湿疹のようなものだろうか。


むかご料理

2005年08月29日 | 俳句雑考

農家の生垣にむかごが生っていた。
すでに鶉の卵ほどの大きな実もあり、だいぶまえから生っていたはずであるが、いまごろになって気がつくとは、観察力が衰えたものだ。
左のてのひらにむかごを数杯も採って、越前郷土料理風のごま味噌和えにした。
いつもはすこし採って、塩水に浸してから、皮ごと炒って晩酌のつまみにしている。
信州でいつか賞味した醤油味の小鉢物は、訊くまでむかごとはわからなかった。
画像は27日、印西市草深で撮す。

   まつさをな松葉に刺して焼むかご  杏 子

皮をむいて、むかごを焼いてみると、松葉と同じ色に変わった。
ぎんなんも焼くと青みをおびるが、むかごはさらに青が濃くなった。


台風去って

2005年08月28日 | 俳句雑考

台風が去って午後から晴れた26日、一匹の赤とんぼが目にしみた。
カメラを近づけても逃げない。台風におそわれて、精魂尽き果てたのかもしれなかったが、尾と翅をぴんと張っていて、威厳があった。
コオロギがさかんに鳴いていた。台風のくるまえから鳴いていたのに気がつかなかったのか。台風に覚まされて、ことし、はじめて鳴き出したのか。
画像は本埜村笠神で撮す。

     赤とんぼ山を思へば山を見ず       克 己

都会に住んでいて、赤とんぼを見て山を見たいと思ったが、見まわしても山が見えない、という句意だろうか。
赤とんぼを見て故山を連想したが、眼前の異郷の山は邪魔だから見えないようにと、目を閉じたのだろうか。


祷るかたち

2005年08月27日 | 俳句雑考

台風一過。
このあたりの稲田は、ところどころ渦を巻いてい伏せていたが、大きな被害は受けなかったようだ。
大規模な風は渦をもつか、もたないかによって、台風と強風に分かれると、一年まえに知ったが、なるほどと思った。
画像は26日、本埜村飛里橋で撮す。

    夕野分祷るかたちの木を残す          文 子

作者の詩眼には、台風または秋の強風で曲がってしまった木が、祷るかたちにみえたのだろう。
このあたりの稲穂も、祷るかたちにみえた。


百日白

2005年08月26日 | 俳句雑考
感応寺(印西市草深)の緑陰で涼んでいると、隣家から主婦が現れ、寺域の草取りをはじめた。
すでに日記に書いたが、この寺は僧坊が見あたらないのに、日常的に境内が掃き清められ、仏具が磨きこまれ、白桃などが供えられている。
サルスベリが白い花を咲かせていた。
画像は21日に撮した。

  百日白近江の空こそ縹色    十 王

歳時記に百日紅の例句は多く載っているが、百日白はさがしだすのに苦労した。
広辞苑によると、縹色は薄い藍色。引用句は唐崎あたりの、夏でもソフトな景色の吟詠と想像するが、縹を見たことがないので、あやふやなイメージしか描くことができない。

草むしり

2005年08月25日 | 俳句雑考

炎天下、農婦が荒れ地で草をむしっていた。
画像は21日、印西市和泉で撮す。

   草むしる終生寡婦の名に跼み     夏 子

最近、この日記に意味不明のコメントが寄せられるようになっていた。
そのうちに卑猥な内容になり、削除したかったが、善意のコメントまで削除してしまうのではないかと懸念して迷っていると、内容はしだいに露骨になり、日記そのものが荒れた感じになった。
元どおりの畑にするには、まず、除草作業が欠かせないと考え、思い切って過去にさかのぼって削除した。善意のコメントは残すことができた。


覇王樹

2005年08月24日 | 俳句雑考

民家の玄関の脇にサボテンが樹っていた。
強烈な太陽のひかりを浴びて、棘をきらめかせて傲然とかまえていた。
住人は闇夜に酔っぱらって帰り、玄関をまちがえてサボテンと鉢合わせし、痛い目に遭ったことはないのだろうか。
画像は22日、印西市草深で撮す。

   炎天の覇王樹多面随いてゆけぬ    海 市   

広辞苑をひくと、サボテンの漢字は仙人掌と載っており、別名はハオウジュ(覇王樹)。
実物にたいしても、別名の漢字のイメージにたいしても、とても随行できないという心境句と受けとった。


樹上の南瓜

2005年08月23日 | 俳句雑考

樹上に南瓜が実を結んでいた。収穫の時期をむかえているようだった。
まえに「進軍ラッパ」と題して、南瓜の蔓の伸び放題なことを書いており、おなじようなモチーフのため気がひけるが、樹上の南瓜ははじめて見る光景なので、ぜひ書きたい。
蔓はたしかに草むらから幹を這い登っていた。
右側と左側は里芋畑であり、背後は南瓜畑なのかどうか、樹木にさえぎられて一瞥しただけではわからなかった。
あまりにも暑いので、草むらを押し分けてすすみ、たしかめようという気にはなれなかった。
画像は21日、印西市和泉で撮す。

   朝の僧南瓜の蔓を叱りをり     章

引用句からは禅林が思い浮かぶ。
南瓜の蔓だけが戒律をやぶって、自由気ままにふるまっているのだろう。


虹の畑

2005年08月22日 | 俳句雑考

秋耕どころか、すでにみどりの芽が出ている畑があった。
ひでりつづきのためか、管にあけられたこまかな穴から、水が煙のように撒かれていた。
近づくと、つめたい水煙がほてった肌に触れて、きもちがよかった。
見る角度によって、ちいさな虹が現れた。
畑の野菜らしい芽はぎざぎざになっていた。農婦が現れたので、訊いてみると、人参の芽だった。
画像は21日、印西市草深で撮す。

   話途中なれども客に虹を指す   誓 子

客の話の腰を折るつもりはなかったのに、虹を発見したとたん、リアクションとして、虹を指してしまったのだろう。
話を再開したとき、内容が深刻であったとすれば、展望がひらけたのではないだろうか。


秋耕

2005年08月21日 | 俳句雑考

もう10日以上もまえ、旧盆に入らないうちに秋耕が始まった。
このあたりでは西瓜、南瓜、玉蜀黍などの収穫の終わったあとを徹底的に耕し直し、畑の土を餡のようにする。
画像は10日、印西市草深で撮した。

   秋耕のねんごろなるにたづね寄り     汀 女

引用句からは、日焼けした農夫の鍬を打つすがたが眼うらにうかぶ。
これまでに一度ならず体験しているが、農夫にみちを訊ねると、指で土に地図を描き、ねんごろに教えてくれた。
善意によるのはまちがいないが、そのあいだは、ほどのよい休憩時間になるようでもあった。


塀のうえ

2005年08月20日 | 俳句雑考

よく日焼けした少年がふたり、塀のうえで本を読んでいた。
塀のうえは、どう考えても読書にふさわしい場所とは思えなかった。読書に没頭すれば、落ちないともかぎらない。
そのうちに、ふたりは揃って飛び降りた。まもなくスイミングクラブのバスが来て停まり、少年たちは乗った。
塀のうえは、バスが現れるのを遠望するのに、ふさわしい場所なのだった。
画像は19日、印西市西の原で撮す。

  日焼して子のたくましき反抗期      柊 車

塀のうえで本を読んでいる少年たちに、そのほんとうの目的を知らないで注意したら、どう反応しただろうか。
こどもたちの反抗は、老婆心に対しての場合が、すくなくないように思う。


梅干

2005年08月19日 | 俳句雑考

農家の庭で媼が梅を干していたので門をくぐった。
以前、干しているのを見たときは、梅が紅色だったが、黄色だったので訊いた。
「紫蘇の葉は、使わないのですか」
「むかし、教わりましてな、三日三晩ヨツユニホシテ」
ヨツユニホシテの意味がわからなかったが、耳のうしろに補聴器がみえたので、それ以上の質問はさしひかえた。
焼酎のお湯割りには、紫蘇の味も匂いもしない黄色い梅干が適いそうだと、生つばを湧かせていると、媼は梅をひとつひとつ順ぐりにひっくり返しながら、
「九十になりました」
と、ぽつりといった。
梅干が90個に達したという意味だろうか。梅干の数は一見して90個どころではなかったので、卒寿を迎えた述懐であろう。述懐にしては、淡々とした口調だったが。
画像は17日、印西市草深で撮す。

   梅を干す三日三晩の空晴れて    丈

帰宅して調べたところ「ヨツユニホシテ」の意味は「夜露に干して」だった。
詩的な表現だと思って感心したが、梅を干すときの基本的な心得なのだそうだ。


庭師の聚落

2005年08月18日 | 俳句雑考

門ごとに庭を覗いてみて、競いあうように豪華な造りなので、目を瞠っていると、「造園工事一式施工」といった看板が、あちこちに掲げてあるのに気がついた。
庭師の聚落に紛れこんだようだ。
路傍の片陰の置き石に、庭師の長老らしいひとが座って涼んでいたので、辞をひくくして訊くと、総合的に造園業を営んでいるのは3軒。
「看板がたくさんありますが」
「なに、おなじ看板ばかりだね」
いわれてみれば、四辻や電柱に掲げてある看板もあった。
しかし、看板を出さないで、農閑期だけの庭師も多そうに思えた。たいていの家が庭に凝っているので、そう考えた。
煉瓦造りの塀に、嵌込みのプレゼンテーションがあった。新しい枯山水の見本なのだろうか。
塀のなかでは、大きな松が威厳を保っていた。入念に手入れがしてあった。
画像は17日、印西市戸神で撮す。

   住吉や白布を敷きて松手入  西 歩

大阪の住吉神社の境内における属目吟だろうか。
箏曲の「住吉」がきこえる、という句意にも受けとれそうだ。


供花満ちて

2005年08月17日 | 俳句雑考

募域に多くの花立てがあり、いずれも供花が満ちていたが、驚かなかった。
このあたりには園芸農家が二十数軒あり、東京の太田市場などに切り花を出荷していると、知っていたからだった。
画像は盆過ぎの16日、印西市松崎で撮す。

   供華を以て落暉避けつつ詣るなり   草田男

同じ作者に「むらさきになりゆく墓に詣るのみ」という句もある。