集落のはずれから、夏野を眺めた。
カメラのファインダーをとおしては、見渡すかぎりの大草原だった。
すこしまえまでは、草いきれがひどくて、佇んではいられなかったはずであるが、台風が炎帝をつれ去ったようであり、あたりを観察する余裕がうまれた。
盛夏の萬緑はすぎて、野のいろは黄ばんできている。秋がふかまったとき、どのような花野に変貌するか、そのころに再訪しようと思った。
画像は30日、印西市宗甫で撮す。
放射路の末は消えつつただ夏野 樟蹊子
春には野道が貫通していたのに、夏草に覆われてしまったという句意だろうか。
最近はくるまの通れないほそい野道は、改装されるか、廃れるかの運命にあるように思えるが、後者のみちだろうか。
かつては、こどもたちが手をつなぎながら「靴が鳴る」と、歌ったみち。