磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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教科書に書かれなかった戦争Part 25 忘れられた人びと-日本軍に抑留された女たち・子どもたち-

2009年02月04日 | 読書日記など
『教科書に書かれなかった戦争Part 25 忘れられた人びと-日本軍に抑留された女たち・子どもたち- The forgotten ones』
   シャーリー・フェントン・ヒューイ(著)/
     伊吹由歌子、他・訳/梨の木舎1998年

--「戦争は究極の差別」
彼らにも、差別があり、植民地をつくりあげていた……。
これも歴史的事実……。



人種差別は日本の右翼の特有のものではない。下「」引用。

「「これはお誕生日のプレゼントにするんじゃありせん。日本製なんだから!」
 -略-彼らは自分たちが生まれつき日本人より優れており、日本人は近視で、ひどいデザインの、しかも整備不良の飛行機しかもっていないと思い込んでいたのである。
 真珠湾は最初の衝撃であった。」

原爆投下を正当化する、歴史を知らない人……。下「」引用。

「私の子どもたちはある日、原爆のことに触れ、連合国はこんなことをすべきではなかったといったのですが、私はちょっと待ってと言って諭しました。原爆が落されなかったら、今日あなたたちは、一人として、ここにいることはなかったのです。私は戦争で生き残ることはできなかったでしよう。私たちのほとんどは、原爆が落された時、あと数カ月の命だったのです。」

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そして、最後の方にある同邦人の原爆被災者のことなど全く考えていない人でもあるのでは?

赤痢になったという……。下「」引用。

「ジャップは赤痢(腸に延焼を起こす伝染病)を恐れ、わたしたちは近寄りませんでした。これは素晴らしいことでした。というのも、医者の一人が小型ラジオを持っていて、わたしたちは海外ニュースを聞くことができ、それによって精神を昂揚させることができたからです。しかし、仕事は憂鬱でした。-略-」

いくら、戦争の時にひどいめにあったとしても、本当の平和主義者なら、差別用語は使わないだろう……。

足がガクガクしたという……。下「」引用。

「ヨハナ・ファン・アンホルトは厨房で働いており、時々臓物をもらい受けることがあった。
 牛の内臓全部! しかも生殖器まである! わたしたちは全部肉挽き機に入れ、数百個のミートボールを作りました。もちろん、全員にイキたるには足りませんでしたので、わたしたちは組の人みんなに番号をつけ、抽選をするようにして数百人を読み上げました。わたしたちはいつも飢えていて、足はがくがくしていました。しかし、しまいにはあまりに足が細くなり、がくがくすることさえなくなりました。」

母は亡くなったという……。下「」引用。

「パメラは言う。
 わたしは母を看護したが、母は脚気とテング熱と赤痢で重病で、彼らがさせようとした道普請などの重労働はとてもできない病状だった。わたしたちはコンクリートの上で寝なければならなかったが、もし適切な食べ物と処置が施されていれば、母の病気は絶対にそれほどまで悪くならなかっただろう。戦争の終わる前の五月、母は死んだ。ちょうど五○歳だった。わたしは母を葬らなくてはならなかった。ローマ・カトリックの看護婦たちが母を箱に収め、わたしは母を竹竿で作った台にのせて、手伝ってくれる他の収容者たちとともに運ばれなければならず、自分で得なを掘って埋葬した。」

原爆で亡くなった人は捕虜にもいる……。下「」引用。

「父は長崎と広島で捕虜になっていて、原爆が落された時に居合わせたのである。父の学校は機械工学校でわたしたちを二人とも教えてくれたが、わたしたちは四年近くも教育を受けておらずとても遅れていた。父はのちにオランダ領ニューギニアのソロンに学校を開き遠隔地からの生徒を寄宿させてた。数年後に白血病で亡くなった。」

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