磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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岩波新書770 テロ後 世界はどう変わったか

2007年09月03日 | 読書日記など
『岩波新書770 テロ後 世界はどう変わったか』
      藤原帰一・編/岩波書店2002年

テロ後の世界は、ひどくなったとしか言えないとボクは思います。でも、一部の統計資料だけでごり押し論の方もおられそうですね。(-_-;)



「テロの根」を考えない政治家。その通りですね。彼らも言論のテロリストですから、考えないのではないでしょうか? 数の暴力など、ごり押しが基本ですね。

あのような論理をとる人たちが民主主義をとっておられるとは100%思えません。この本は民主主義を考える人たちといっていいかと思います。下「」引用。

「自衛隊派兵や憲法をめぐる政府や国会議員の言葉に、「テロの根」にある根本問題に本気で取り組むという、思想や気迫は感じられないということだ。テロは日本にも脅威になる。だから国際的な実力行使への支援や、国内的な取り締まり強化で対応する、といった取り組みは、対症療法にすぎない。世界の人間の五人に一人は、飢餓や貧困のために「非人間的生存」を強いられているという現実を黙殺して飽食にひたっている日本人は、「文明」社会と言えるのか。「人権と民主主義」は国境で終わるという体制は、「人間(ヒューマニティ)の権利」を否定する虚構の「人権と民主主義」ではないのか。」

飽食の議員。つまり、いつものことに関わる人たち。

日本国内にも、自殺者はすごい数ですね。「絶望」は人を殺す。これはキルケゴールの言葉ですね。その絶望の多くは悪徳政治家がうんでいるといってもいいのでは?

「自爆テロ」の根。下「」引用。

「命を惜しまない少数の「狂信者」がいるというだけではなく、彼らの「信念」を支える広範な人びとの怒りや絶望が見えないかたちで広がっている。その背景にある怒りや憎悪に何らかの対処をしないかぎり、「テロ」をなくすことはできないだろう。」

絶望を弱者に与えている人たちが、民主主義などとは……。
--あきれる論理ですね。

小泉元総理は民主主義とは手続きと詭弁をはいていましたが、マトモに対応できた大手マスコミの方はいなかったと思います。いつものお仲間たちだから仕方がないことでもあります。

アメリカよりも経済が小さな国で、全国ネットが倍もありますね。電気会社という原発をすすめる。その資金がなかったら、半分は倒産。そう書かれていますね。

「愛国心」についても、世界レベルのことも書かれています。下「」引用。

「中央政府に抵抗して憲法で擁護されるべき人権を守ろうとする人々が、「法を守ることこそ愛国心だ」と訴えるとき、愛国心論争は社会のあり方をめぐる、開かれた論争になり得るのだと思う。
 日本では、愛国心という言葉は、あまりにも負の歴史を追い込んでいる。むしろ、人権を抑圧する形で使われた過去があり、愛国心という考えをてこにして人権を守るという発想も経験も乏しい。また、憲法と国旗をめぐる日米の問題状況の差は大きく、一概に比較はできないことは言うまでもない。」

体験主義だけで語る人たちの歴史観が歪んでいるのはどこの国も同様のようです。

「文明の衝突」は間違っていると書かれてあります。下「」引用。

「サミュエル・ハンチントン自身を含めて、ほとんどの者が否定的にのみ引用してきた。すなわち、理論的に過った構図として、実践的には避けるべき帰結として、主として主題化されてきたのである。」

そして現実を書かれています。下「」引用。

「「文明の衝突」は、異なる文明が外敵に対峙し、対立するという像を提供する。だが、それぞれの文明は、実際には、その内部に、文明間の対立に相当する亀裂を抱えている、ということに留意しなくてはならない。」

どの国にもいろんな方がいます。

大切なことは、本当の民主主義をおしすすめることですね。
まともな民主主義で人権をとらない人たちはいないとも思います。
たしかに、やっかいなことですが、これを無視しては民主主義はありえませんね。

米国人が人権を重んじていたら。下「」引用。

「悪いはのビンラディンだが、もし米国が人権に配慮していたならこんな惨事は起きなかっただろう」という現地知識人もある」

二つの世界が現実に存在していることも書かれています。下「」引用。

「アメリカの多くの人にとって、世界貿易センターへの攻撃はアメリカ市民だけでなく、世界への攻撃だった。無差別殺人を行なったテロリストたちは世界の敵と呼ばれた。「世界」とほぼ同じ意味で、「文明世界」(civilized world)という言葉も使う人もいた。
 パキスタンなどイスラム諸国に住む人々の多くにとって、九月一一日のテロ事件以上に、米軍によるアフガン空爆こそが世界への攻撃だった。空爆を行なうアメリカが「やつら」であり、理由もなく空爆にされされるアフガンの人々が「われわれ」だった。」


もし、イラクに平和をアメリカがつくりたいのなら……。

ニュールンベルク裁判でやったことを、イラクでおこなえば、イラクの人たちも受け入れるでしょう。

--まずは、それですね。

人道の罪として、ブッシュ大統領は裁判を受けること。
虚偽の報道など、いくつものことで、アメリカは裁判を受けるのです。

もちろん、イラクの人たちも、裁かれなければなりません。
しかし、それは平和なイラクをつくりだすためなので、たえ難きを耐えてもらいましょう。

--自由・平等・博愛という、民主主義を守るためには、これは必要なことだと思われます。

ありえないことと言われれば、その通りでしょう……。

もし、こんなことができたら、多くの人たちは虐殺されることはなかったでしょう……。











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