『ゆりさんの花物語』
大野允子・作/狩野富貴子・絵/PHP研究所1989年
大野さんも、これまでに何冊か紹介していますね。児童文学作家の方が、じっくり書かれている気がしてきます。子どものこと、読者のことを思われておられるからかもしれませんね……。
この本には作文が登場します。
その作文を読めば、このお話がどういうものかイメージすることができると思います。
「母のウェディングドレス 上島 ふみ
わたしはいま十五歳の中学生
十五歳のときのわたしの母は、大きな町の洋裁店『リリィー』ではたらいていた。
むかしむかしのことだ。
一九四五年八月六日。一発の原子爆弾のために、母は家も両親も妹もうしなった。
学校の先生たち山の中へそかしていたから、小学生の母は生き残って、ひとりぼっちの女の子になった。」
死んだ子も生きに残った子もあわれだったという……。
現実はそうだったと思います……。
見捨ててしまって、戦後復興ばかりいっていたマスコミ。
その陰にはこのような人たちもおられたわけですね……。
原爆孤児になった母は、小さな町の教会のそばの“光の家”の子どもになったという。
シスター・モニカが育ててくれたという。
でも、神様は好きになれなかったという。
それは仕方がないだろう……。
あの原爆を落とした人たちの神様なんだから……。
でも、事実はカトリックはすぐに原爆を批難した。
……人命を尊重する人たちが大量虐殺兵器を批難しないわけがない。
そして、アメリカはカトリックの街・長崎に二発目の原爆を投下した……。
もくじ
大野允子・作/狩野富貴子・絵/PHP研究所1989年
大野さんも、これまでに何冊か紹介していますね。児童文学作家の方が、じっくり書かれている気がしてきます。子どものこと、読者のことを思われておられるからかもしれませんね……。
この本には作文が登場します。
その作文を読めば、このお話がどういうものかイメージすることができると思います。
「母のウェディングドレス 上島 ふみ
わたしはいま十五歳の中学生
十五歳のときのわたしの母は、大きな町の洋裁店『リリィー』ではたらいていた。
むかしむかしのことだ。
一九四五年八月六日。一発の原子爆弾のために、母は家も両親も妹もうしなった。
学校の先生たち山の中へそかしていたから、小学生の母は生き残って、ひとりぼっちの女の子になった。」
死んだ子も生きに残った子もあわれだったという……。
現実はそうだったと思います……。
見捨ててしまって、戦後復興ばかりいっていたマスコミ。
その陰にはこのような人たちもおられたわけですね……。
原爆孤児になった母は、小さな町の教会のそばの“光の家”の子どもになったという。
シスター・モニカが育ててくれたという。
でも、神様は好きになれなかったという。
それは仕方がないだろう……。
あの原爆を落とした人たちの神様なんだから……。
でも、事実はカトリックはすぐに原爆を批難した。
……人命を尊重する人たちが大量虐殺兵器を批難しないわけがない。
そして、アメリカはカトリックの街・長崎に二発目の原爆を投下した……。
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