磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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被爆を生きて-作品と生涯を語る-

2011年12月24日 | 読書日記など
『被爆を生きて-作品と生涯を語る- 岩波ブックレット No.813』
   林京子・著/島村輝・聞き手/岩波書店2011年

図書館の説明文。下「」引用。

「長崎での被爆を描いた「祭りの場」以来、被爆体験を抱えて生きる意味を問い続けてきた作家、林京子。戦時下の上海での幼少時代、引揚げ後の被爆から、福島原発事故で再び「核」が突きつけられた現在までを作品と重ねて語る。」



「帰国子女」の林京子? 下「」引用。

「林さんは、お生まれは長崎ですがり、まだ物心つく前にお父様のお仕事の関係で上海に移られた。一九三2年の第一次上海事変の時はまだ二歳だったわけです。そして、敗戦の直前、原爆投下の直前に長崎の方に引き揚げられてこられるまで、一五年近くを上海ですごされました。いまのことばで言えば「帰国子女」ということになるかとも思います。-略-
林 いま、「帰国子女」とおっしゃいましたね。ですが、私は「帰化人」のような気がしているのです。-略-長崎に通う工員さんたちが歩いていました。私たちの姿をみたその人たちが浴びせた言葉が「ヤミ屋」でした。私は「ヤミ屋」が何のことだが分からず、闇の中を歩いているからかなと思っていたのです(笑)。そうしたら母が、「日本人って変わったわね」と言ったのです。それまでの日本をとても美化していた母は、思いをそのまま口にしたんですね。」

「原爆ファシスト」と林京子は、中上健次に言われた。
--ファシストかどうかは、感情ではなく定義で決まるでしょうね……。ボクはちがうと思います。

林京子と中上とのちがい。下「」引用。

「林 そうですね。彼がいつも言っていた言葉は、「壊せ、壊せ」でした。同人の場を離れて個人的にお茶を飲んでいる時に、壊した後の目的は何か、と聞いたのです。そうしたら、「自然発生だ」と。いかにも彼です。だから、彼が目指しているものと私が目指しているものとは違う。私の場合には「書く」以前に破壊がある。物心ともにです。」

泣く「トリニティ・サイトの「グランド・ゼロ」地点」世界初の原爆実験の場所。下「」引用。

「朝だというのに。空にはカラスの影もないし、スズメの影も何もない。
 歩いていくうちに、私、全身がガタガタ震えてきて……。子供の時に泣きじゃくることがありますよね。一生懸命こらえていますから、声は出ませんけど、あの泣きじゃくる状況です。みっともないからと思ってこらえてこらえて。なぜこういう感情になったか、自分でも分からないのです。
 果てしなく広がる広野には立木一本ない。全く音がない、風がない、草の実がはせる音もしない。大地が死んでいるという実感でした。-略-」

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福島第一原発事故と肥田舜太郎、菅谷昭。下「」引用。

「原発事故が起きて二日目ぐらいでしたか、さまざまな報道に納得が出来なかったので、肥田舜太郎先生に電話をしたんです。-略-最後にもっとも気になっていることを聞きました。
 日本政府の指示は、原発の二○キロ圏内に居住する人たちへの強制退去、三○キロ圏内の居住者には退去勧告ですね。それに対してアメリカは八○キロ以内に住んでいるアメリカ人全員に退去を勧告しました。私は先生に、この三○キロと八○キロの違いについて聞いたのです。
 すると先生は、人の命、人権に対する認識の度合いの違いです、と即答なさいました。私は深く納得しました。
 この間、福島の原発事故が命にかかわる問題だとテレビではっきりおっしゃたのは、松本市の菅谷(すげのや)昭さんだけです。菅谷さんはお医者さんとしてチェルノブイリに行かれて甲状腺ガンの子供たちの治療に当たられた方です。その方が、これは人の命の問題です、三○キロまでは強制的に避難させるべきです、とおっしゃった。私が命という言葉を聞いたのはこの先生お一人です。この国では、弱者は見捨てられていくのだ、と思いました。」

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