『何よりもダメな日本3 核時代の科学技術と社会の原理』
菅孝行・著/批評社1984年
武谷三男・吉本隆明批判が書かれてあります。
--吉本さんがそんな大物とはボクは知らなかった……。
吉本さんはマイナーなことを書いている作家と思っていた……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/7d/0e85f08d6ad596b8ffbf1f524c5c6905.jpg)
科学ブームがあったという……。下「」引用。
「翼賛時代、つまり総動員体制下の時代は、科学及び科学的な思想が抑圧された時代であると考えラテ居る。たしかにそれは一面の真実である。しかし、この時代はもう一方で、かつてない「科学」ブームの時代でもあったことを忘れてはなるまい。
小倉金之助は次のよう書いている。
「実際、そのころ(一九三九年)は自然科学の書物が、洪水のように沢山出版された時代なのです。それといいますのも、一つはノモハン事件以来、軍部がにわかに自然科学の必要を説いたり、科学教育の宣伝を始めましたので、これに追従した出版者が、相当多かったからです。」
武谷と共産党……。下「」引用。
「武谷は共産党の科学技術要領まで執筆し、戦後史における、科学による政治の思想的フレームを確立したのであった。だが、彼の科学観は、純粋な進歩史観であり、今では徹底思想的検討にもたえぬな、ゴジラ化した合理主義である。
しかし、というか、しかも、というか、研究者、教育者としての武谷三男は、一方で先鋭なイデオローグ、アジテータとして、多くの学生たちを運動の実践にかりてながら、他方では、そのために研究者への道を断たれかけて研究室に戻ってきた学生たちに対して筆舌に尽しがたく苦々しい思いを刻みつけた学生ボスであったという。-略-このような、ジキルとハイド的な二面性を演じわけることができたところに、戦後的科学主義の分裂した性格と、それを流通させた社会的な条件の、ゆがみが投影されているといえよう。」
さらに、武谷批判が続く。下「」引用。
「また、原爆投下が伝えられたとき、武谷は、
「……私がうけた強い印象は、ついに人類が原子力を解放したということであった。……科学者として率直にこの喜びとほこりを感じた。」(『素粒子の探求』一九一頁)
とも書いている。武谷はこうもいう。
「実さい、日本軍国主義の野蛮は、困ったことには原爆のような、彼らには全く得体の知れないウルトラ九のものでなければ吹き飛ばなかったことはたしかであった。(『科学者の社会的責任』五五頁)
武谷にとって、軍国主義の野蛮をふきとばすためには、何十万の人民が焼き殺されてもよかったのである。武谷には原爆を作り投下したアメリカ帝国主義の社会体制に対する批判の目が全く欠けている。日本とナチスの「野蛮」だけが絶対悪であり、原爆をつくったアメリカの「文明」は絶対善なのだ。」
いくら何でも、焼き殺されてもよかったとは武谷も思っていないのではないか?
--ボクはそう思うが……。
index
武谷はマルクス主義者だという……。下「」引用。
「冷戦たけなわの一九五○年、対ソ軍事戦略の一環として科学技術育成にとり組んでいたアメリカを、そのくびきの下であえいでいた日本のマルクス主義者武谷三男がどうして賛美するのであろうか。」
武谷はマルクス主義者らしくない人だったなあーと書いた物を読んでは、ボクはそう思う。
しかし、現実はどうかはわかない……。
これは、最近もブッシュや大手マスコミのペテンにやられましたね! 下「」引用。
「石油危機キャンペーンが吹き荒れると、ハシゴをはずされた高度消費社会の消費者たちは、半信半疑であっても原子力技術の導入を全面的に承認するよう強制され、やむなく、という自覚さえあやふやなままにそれを受け入れる破目に陥るのである。」
アメリカの大陸棚にもあるし……。
それは利益にならないから、カウントしてなかったという……。
--やれやれ、また原発が世界各国で作られることになっている……。
吉本批判……。下「」引用。
「たが、吉本は、反核をソ連、スターリン主義の陰謀であると主張して譲らなかった。『反核異論』では、反核を主張する人とのすべてが、スターリニストとして非難されている。ソ連の核に対して反対することを主張する者まで含めて、「反核」論はすべてソ連のさしがねだというのである。その「証拠」として吉本は、多くの反核論者が、反核運動の昂揚の中で、「連帯」支持をとりさげていったなどといっている。だが、そういう事実はどこにもない。」
さらに続く……。下「」引用。
「だが、吉本のみならず「反スターリン主義」の観念にこりかたまった人々は、アメリカを主要敵とすることが絶対に許容できない。その結果、アメリカとの軍事同盟を強化する日本政府の政策との対決をもあいまいにする。結果として、このような「反スターリン主義」とは、反ソ、反共ナショナリズムと軌を一にし、アメリカと日本を美化するものとしかならないのである。」
スターリン主義……。
--とても平和主義とは思えない。
スターリンもヒトラーと同様のクラウゼヴィッツ人……。
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菅孝行・著/批評社1984年
武谷三男・吉本隆明批判が書かれてあります。
--吉本さんがそんな大物とはボクは知らなかった……。
吉本さんはマイナーなことを書いている作家と思っていた……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/7d/0e85f08d6ad596b8ffbf1f524c5c6905.jpg)
科学ブームがあったという……。下「」引用。
「翼賛時代、つまり総動員体制下の時代は、科学及び科学的な思想が抑圧された時代であると考えラテ居る。たしかにそれは一面の真実である。しかし、この時代はもう一方で、かつてない「科学」ブームの時代でもあったことを忘れてはなるまい。
小倉金之助は次のよう書いている。
「実際、そのころ(一九三九年)は自然科学の書物が、洪水のように沢山出版された時代なのです。それといいますのも、一つはノモハン事件以来、軍部がにわかに自然科学の必要を説いたり、科学教育の宣伝を始めましたので、これに追従した出版者が、相当多かったからです。」
武谷と共産党……。下「」引用。
「武谷は共産党の科学技術要領まで執筆し、戦後史における、科学による政治の思想的フレームを確立したのであった。だが、彼の科学観は、純粋な進歩史観であり、今では徹底思想的検討にもたえぬな、ゴジラ化した合理主義である。
しかし、というか、しかも、というか、研究者、教育者としての武谷三男は、一方で先鋭なイデオローグ、アジテータとして、多くの学生たちを運動の実践にかりてながら、他方では、そのために研究者への道を断たれかけて研究室に戻ってきた学生たちに対して筆舌に尽しがたく苦々しい思いを刻みつけた学生ボスであったという。-略-このような、ジキルとハイド的な二面性を演じわけることができたところに、戦後的科学主義の分裂した性格と、それを流通させた社会的な条件の、ゆがみが投影されているといえよう。」
さらに、武谷批判が続く。下「」引用。
「また、原爆投下が伝えられたとき、武谷は、
「……私がうけた強い印象は、ついに人類が原子力を解放したということであった。……科学者として率直にこの喜びとほこりを感じた。」(『素粒子の探求』一九一頁)
とも書いている。武谷はこうもいう。
「実さい、日本軍国主義の野蛮は、困ったことには原爆のような、彼らには全く得体の知れないウルトラ九のものでなければ吹き飛ばなかったことはたしかであった。(『科学者の社会的責任』五五頁)
武谷にとって、軍国主義の野蛮をふきとばすためには、何十万の人民が焼き殺されてもよかったのである。武谷には原爆を作り投下したアメリカ帝国主義の社会体制に対する批判の目が全く欠けている。日本とナチスの「野蛮」だけが絶対悪であり、原爆をつくったアメリカの「文明」は絶対善なのだ。」
いくら何でも、焼き殺されてもよかったとは武谷も思っていないのではないか?
--ボクはそう思うが……。
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武谷はマルクス主義者だという……。下「」引用。
「冷戦たけなわの一九五○年、対ソ軍事戦略の一環として科学技術育成にとり組んでいたアメリカを、そのくびきの下であえいでいた日本のマルクス主義者武谷三男がどうして賛美するのであろうか。」
武谷はマルクス主義者らしくない人だったなあーと書いた物を読んでは、ボクはそう思う。
しかし、現実はどうかはわかない……。
これは、最近もブッシュや大手マスコミのペテンにやられましたね! 下「」引用。
「石油危機キャンペーンが吹き荒れると、ハシゴをはずされた高度消費社会の消費者たちは、半信半疑であっても原子力技術の導入を全面的に承認するよう強制され、やむなく、という自覚さえあやふやなままにそれを受け入れる破目に陥るのである。」
アメリカの大陸棚にもあるし……。
それは利益にならないから、カウントしてなかったという……。
--やれやれ、また原発が世界各国で作られることになっている……。
吉本批判……。下「」引用。
「たが、吉本は、反核をソ連、スターリン主義の陰謀であると主張して譲らなかった。『反核異論』では、反核を主張する人とのすべてが、スターリニストとして非難されている。ソ連の核に対して反対することを主張する者まで含めて、「反核」論はすべてソ連のさしがねだというのである。その「証拠」として吉本は、多くの反核論者が、反核運動の昂揚の中で、「連帯」支持をとりさげていったなどといっている。だが、そういう事実はどこにもない。」
さらに続く……。下「」引用。
「だが、吉本のみならず「反スターリン主義」の観念にこりかたまった人々は、アメリカを主要敵とすることが絶対に許容できない。その結果、アメリカとの軍事同盟を強化する日本政府の政策との対決をもあいまいにする。結果として、このような「反スターリン主義」とは、反ソ、反共ナショナリズムと軌を一にし、アメリカと日本を美化するものとしかならないのである。」
スターリン主義……。
--とても平和主義とは思えない。
スターリンもヒトラーと同様のクラウゼヴィッツ人……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/8d/c6d6e7d7acce21792cb41738cb72772c.jpg)
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