磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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青木文庫48 原爆詩集

2008年11月19日 | 読書日記など
『青木文庫48 原爆詩集』
   峠三吉・著/青木書店1979年

峠さんの『原爆詩集』です。
今までも、紹介していますが、これは文庫本です。



「解説として」なかの・しげはる(著) 下「」引用。

「戦争の惨害から全体として一日も早く救い出すために、そのために原子爆弾は投げ落された。その意味で、原爆投下は一種の慈悲行為であった。なるほど、あれで殺され、焼かれ、死にきれぬほど苦しめにれた人々には気の毒である。けども、それによって日本国民が総体として戦争から解放されたことを思えば、あの原爆こそ日本国民の救い主であった。アメリカによる原爆投下に、われわれは感謝すべきである。原爆を受けずに生きのびることの出来たすべての日本人は、原爆投下者と原爆被爆者とに感謝すべきである。こういうことが、一部の人々によって説得され、一部の人々が、不本意ながらその方へ引かれるという現象が生じたのであった。」

これは、原爆神話といっていいだろう……。

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しかし、このことも忘れてほしくない!

共産主義の一部の人たちは、ソ連や中国の核兵器は平和の武器と主張。
--平和勢力の武器は平和の武器……。

それは単なるゼロサムゲームであり、クラウゼヴィッツの思想である……。
--どちらも、似たような人たちだとボクは思います……。


このような人たちが、永井隆批判を続けた……。下「」引用。

「長崎では、原爆被害とは直接関係のない病気の一人の科学者が、まわりから原爆被害の代表のように仕立てられ、自分からも原爆被害者のようなふりをして、国民の同情を一身にあつめて同じ役割をつとめ、はては国会がこれを表彰するという気狂い沙汰さえ生じたのであった。」

もし、鉄筋コンクリートだったということで、長崎医大病院で被爆とされないのなら、困る多くの被爆者もいるだろう……。

この人たちは被爆者よりも、イデオロギーだったのでは?

そして、永井隆博士が愛妻を殺されたことを、そんなふうに思ってたとはボクは思えない。

ただ復讐の論理で扇動するようなことはしなかった。それは愛妻(キリシタンの子孫)の想いでもあったかもしれない……。

軍国主義に対して、怒りを示した永井隆博士でもあった。

だけど、確かに米軍の非難はしていない。
--それはプレスコードのあった時代であり、できなかったとも言えるだろう……。

もくじ

この本では、『原爆の子』を称賛するが……。

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永井隆はその前に、同様の本も先に出している。

それも、個性的なものであり、長崎(浦上)の地の文化を愛していると想われる子どもたちの本でもある……。

文化的なものである文集と、非文化的な戦争が対比されていると僕は思う……。

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この解説者は最後にこう書く。下「」引用。

「最後にわたしは、峠三吉という名が本名であることをつけ加えておく。
     (一九五二、五、二八)」

わたしは、書いておこう。

「本名は峠三吉(とうげみつよし)であり、(さんきち)ではない」

この本では、さんきちとなっているが……。それは多くの人がそう呼んでいる詩人の名……。

しかし、本人は「みつよし」にこだわりがあったやもしれない。

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