ラヂオアクティヴィティ[Ra.] 第二部・国境なき恐怖 181関東軍七三一部隊と民間人医師 女のアナウンサー。 「そして日本の医者や学者がABCCに協力しました。この人々はABCC傘下におかれた厚生省国立予防研究所を通して、参加しました。当時、この国立予防衛生研究所には、アメリカの要請を断れない事情があったのではないか、と話す人もいます。それは日本軍が戦争中に中国で行った生物・化学兵器の研究と関係しています。関東軍七三一部隊は、ハルビン近くで、多くの中国人、ロシア人、朝鮮人の捕虜を生体実験にかけて殺しました。そこではペストやチフスの菌をつかった細菌爆弾の開発や、同時にワクチンの開発も行っていました。日本が敗戦してアメリカ軍は戦争犯罪人として多くの日本人を処刑しましたが、アメリカは日本の生体実験のデータが欲しかったために、この七三一部隊に協力した学者や医者たちについては、裁判にかけることを中止しました。戦後、七三一部隊に協力し、部隊で生体実験していた学者は、日本の血液産業やワクチン産業の中心的な役割を果たし、また医学界のトップに立った者もいました」 今度は、マイクは単なる噂とは思えなかった。 そして耳を澄ました。 「ところで、この人々はまた、厚生省傘下の国立予防衛生研究所に入りました。広島大学の柴田進午教授は、初代から七代目までの予防衛生研究所の所長のうち六人までが七三一部隊協力者だったという報告をしています。さて広島では、ABCCの傘下に国立予防衛生研究所支部が置かれました。この機関に広島の学者たちの多くが協力しました。またABCCには、日本側評議会がおかれ、評議会の委員には、原爆症研究に関係の深い有力学者や医師が名をつらねました。広島大学の杉原芳夫教授は「日本の評議会の存在が、ABCCの研究の正当化を保証し、加害者の調査を承認させる“かくれみの”の役割をはたしている」と批判しました。杉原さんは「ABCCだけには解剖させない」と遺言して死んだ被爆者の解剖資料を、日本人医師がABCCとの協定によって、ABCCに提供している例があると報告しています」 博士「頭が痛くなってくるほど、僕は混乱している」両手で頭をかかえていた。 男性アナウンサー。 「原田さんたち広島の医師が直面したのは、原爆の被害者の治療という未だに経験したことのない難問題でした。そこで分野の異なる医者たちが集まって、情報を交換しあう集まりをもつことを思いつきました。土曜日に集まったため、土曜会と名づけられ、その後長く続くことになります」 女性アナウンサー。 「新聞やラジオで報道してはならないという「プレスコード」というものがあり、一介の医師にとって被害調査は非常に困難でした。於保さんは結局いい方法を考えました。広島市に提出される死亡届に、被爆者の場合には被という字に○をかこんだものの判を押すように頼んだのです。そしてその膨大な量の死亡届を調べて、於保さんは、何月何日にだれがどんな症状で死んだとか、かかった医者がだれだったとか、というのを全部カードに起こしました。それを統計にとったら、広島ではやはり被爆者のガンの発生率が高いことになったのです。今度は間違いなく、裏づけのあるデータです」 こんななかで、熱心に仕事をした臨床医を尊敬すると勉は思った。 「一九五六年、於保さんはそれを発表しました。タイトルは『原爆被爆者における悪性新生物死亡の統計的観察』でした。この「悪性新生物」というのはガンのことをさしたのです。於保さんはガンという言葉をストレートに用いると、被爆者に影響が大きすぎるだろうと考えたのです。息子の信義さんは話します。親父は悩んだみたいですね。被爆者で生きている人はたくさんいるから、その人たちがショックを受けると……。それで、悪性新生物という名称にしたのでしょう。ABCCは、その結果を馬鹿げていると否定しました。信義さんは、父の源作さんがガンの調査をしているときに、ABCCの人を批判しているのを、次のように記憶しています。つまり源作さんと雑談しているときは、ABCCの学者は、広島でガンが多発していることを認めるそうです。しかしそのことで記者から質問されると、ガンの多発はないと断言したのです。ちがうことを平気で言うのです。於保源作さんは「二枚舌じゃないか」と怒っていたのを、信義さんは覚えています」 男性アナウンサー。 「於保さんはだけではありません。やがてABCC内の日本人研究者石田保広氏が、調査の報告を、おそらくABCCの許可なしに発表します。この件について原田東岷さんが、次のように述べています。「一九五六年からABCCは、ガンの統計をとりだし、そして五九年に『ネイチャー』誌に出したのですよ。その中にガンが増えているという統計が出ているのです。これを解析したのはABCCの疫学の石田保広で、彼はこれを出したためにアメリカ原子力委員会の逆鱗に触れて、インドに左遷された。はっきり言い過ぎるというのですね。しかし結局事実というものは、隠しおおせるものではないのです」白血病患者の症例は、原田さんがはじめて一九四八年十二月に見つけます。その後一九五二年に、広島赤十字病院にいた山脇卓状医師が『広島における原爆被爆者の白血病現率及びその一部の臨床的観察について』という論文を発表し、その中で原爆と白血病を関連づけました。原爆の爆心地から一キロ以内に住んでいる人のうち、生き残っていた人のなかで、白血病の発生率は一時、平均の百倍にもなったと、原田さんは話します」 画面には、谷本という元英語教師が映っている。 「広島は占領地であったし……。そう、焼け野原だけで、一からやり直すだけじゃなかったのよ」 つらそうに語った。 「アメリカは正義じゃない」 マイクはそう呟いて涙した……。 「その殺人兵器を研究していた七三一部隊の学者が、国の重鎮になったというわけ?」 「そういうことらしいわね」 と、おばあさん。 「どうして、そんなことをした!」 「それは、アメリカがデータを欲しかったからでしょう……」 ミス・ホームズは冷静に述べた。
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