ラヂオアクティヴィティ[Ra.] 第二部・国境なき恐怖 182広島とチェルノブイリ大惨事は似ている 「ということは、アメリカも七三一部隊と変わらないということか」 「当然、そうだよ。アメリカはそのデータから枯葉剤をつくり、ベトナムで使用した。ベトちゃん・ドクちゃんって知っているかい? アメリカが正義の国のわけがないだろう? マイクたちの頭の中以外はね……」と、弁護士。 広島の人たちに援助を与えようとした赤十字社の人たちまで妨害したなんて、なんて卑劣なやつらなのだろうと失望した。 「ソーシアちゃん」 谷本は呼びかけた。 「ごめんなさいね」 「おばあさんが、あやまることはないわ」 「いいえ、私たちが事実を知り、もっと運動をしていたら、あなたたちの何人かは救われたかもしれないわね……」 谷本は残念そうである。 「被団協の近藤さんに話を聞きました」 男性アナウンサーの声である。 「それでは、私が代わって伝えます。広島県被団協の近藤幸四郎事務局次長は厚生省傘下の放影研を信用していません。「良心的な学者だとか、研究者だったら、放影研へは来ないですよ。だから、あの人がチェルノブイリの調査責任者に選ばれたのは、最初から、ある結論を出させるためだったのではないか、と私は思います」近藤さんの言うところは、明快でしたが、ちょっと信じられないことですが……。放影研の責任者がチェルノブイリの調査をするというのなら、結果はおのずから明らかだと言うのです」 どうしてそんなことがあるのだろうと博士は耳をそばだてる。 「調べてみると、重松氏はチェルノブイリだけでなく、日本国内の疫学的調査の中心にもなっています。その例をあげると「環境庁の水俣病調査中間報告……「頭髪水銀値は正常」、論議必至。環境庁は水俣病の健康被害調査・研究の総括的な評価を日本公衆衛生協会に委託してきたが二十二日、昭和五十五年の研究開始以来十一年ぶりに中間報告をまとめた。……昭和五十五年に放射線影響研究所の重松逸造・理事長を班長とする委託研究班が発足し、活動してきた」(一九九一年六月二十三日付読売新聞)。重松氏は水俣病の調査責任者で、水俣病被害者とチッソの因果関係はないと発表したのです。「黒い雨「人体影響認められず」広島県、広島市共同設置の「黒い雨に関する専門家会議」(座長・重松逸造・放射線影響研究所長)は、十三日、「人体影響を明確に示唆するデータは得られなかった」との調査結果をまとめた。ここでも重松氏は調査責任者で、原爆の黒い雨と健康障害の因果関係はないとしたのです。イタイイタイ病の調査責任者も重松氏でした。そしてここでも公害企業とイタイイタイ病との関連は言えないとしました」 まだ、あるのかと博士は驚いて、開いた口もふさがらないでいる。 「岡山スモンの記録「前厚生省スモン調査研究班々長重松逸造。結局は後で原因と判明したキノホルムに到達することができませんでした」重松氏はスモン調査の責任者でしたが、キノホルムの因果関係はないと発表していたのです。そして一九九三年一月十三日、岡山県の動燃人形峠事業所が計画している大規模な回収ウラン転換試験の安全性を審査していた「環境放射線専門家会議」(重松逸造委員長)は、ゴーサインを出しました。じつにあらゆる公害問題においての政府・企業の利益になる決定に、重松氏が責任者となっているのが分かります。これではチェルノブイリの被害調査も、なるほど近藤さんが話すように、最初から答えが出ていたことになります」 みんなは信じられなかった。 そんないい加減な調査をした人が何の処罰もされていなくって、国連の諮問機関の委員長になっているなんて……。 「そんな人がチェルノブイリの調査をしたなんて、私たちは知らなかったのです。こんな学者が世の中に存在していること自体、知らなかったのです」 谷本のハンカチを握る手が小刻みに震えていた。 「広島もチェルノブイリと、同じなのですね……。谷本さんも、私と同じ被害者でしょう。悪魔のような人たちも手を結んでいるのですから……。私たちも手を結んで戦うことが必要でしょうね」 ソーシアは力強く述べた。 「そうですね。広島とチェルノブイリ大惨事は似ています。原爆ぶらぶら病という患者もいましたが、チェルノブイリでも同じですし、突然死を迎える人もいるそうですね。白血病の人たちも多いそうですね」 それにアメリカ軍がきたとき、原爆病(症)という病名が使用できなくなった広島・長崎。チェルノブイリでも、同様のことが起きたという。 「そうです……。まだまだ援助が欲しいのです」 ソーシアは訴えた。 テレビの下にはまた募金の住所がテロップで流される。 チェルノブイリ子ども基金
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