磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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写真記録 チェルノブイリ「消えた458の村」

2008年05月06日 | 読書日記など
『写真記録 チェルノブイリ「消えた458の村」』
   広河隆一・著/日本図書センター1999年

チェルノブイリ事故で人が住めなくなった地区は広いと聞いていたが、地図など多数のっており、それにその街の写真が掲載されている。やはり広いとしか思えなかった……。こんな写真集が福井や若狭版で作られないことを祈る……。



ターニャという少女がベッドに寝ており、つきそう母……。下「」引用。

「プリプャチ市 事故当時この市にいたターニャは、事故から10年たって発病。甲状腺ガンが肺と脳と移転し、1997年1月に他界した。96撮影。」

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同じ娘を持つ人たちなら、こんなことがないようにと思うことだろう……。

天災は祈ることや、それに備えることしかできないが、原発はそうではないという……。

取材するたびに支援されていたようだ。下「」引用。

「このころ汚染地を取材するたびに、医療品や食品用の放射線検知器など救援物資を運ぶようになりました。一人の力ではどうにもならないほど被害は拡大しています。そこで友人たちに呼びかけて救援団体を作りました。それがチェルノブイリ子ども基金です。取材を進めるにつれて、被害が大変な規模に広がっていることが分かってきました。救援団体の規模もそれにつれ、大きくなっていきました。」

IAEAがそれを邪魔をしたという。下「」引用。

「しかしチェルノブイリ事故で何が失われたのか、まだはっきり分かっていないという印象を、私は強く持っています。事故のせいで死んだ人は31人だと、国際原子力機関(IAEA)や各国の原子力産業、関係する学者たちは今でも言っています。特にこのIAEAがチェルノブイリ事故の被害はたいしたことがないというキャンペーンをして、それが救援の動きに悪影響をもたらしました。」

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広島でもアメリカ軍がどうような言動をして、ヒロシマ・ナガサキへの救援を阻止しましたね。

あの重松逸造……。下「」引用。

「このときの調査団の代表はヒロシマの放射線影響研究所理事長の重松逸造氏でした。しかし日本の私たちが彼が調査団の団長になったということをもって深刻に考えるべきでした。彼は日本の多くの公害病調査の団長をしていて、国や企業に有利な発表だけをしてきました。-略-」

チェルノブイリから広島へ

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標識が折れている写真。下「」引用。

「ポルカシェフカ村 事故直後に何人もの急性放射能障害を出している。ホイキニ地区 ベラルーシ」

死んだ町という感じがした……。

教会の写真。下「」引用。

「チェルノブイリ市 チェルノブイリ教会。今でも汚染地に住む老人たちがイースターの日に集まりミサを行なう。原発から17キロのチェルノブイリ地区。」

されど、街の復活は望めない……。

元シナゴーグは荒れていた。下「」引用。

「チェルノブイリ市 この市には昔ユダヤ人が多く住んでいた。元シナゴーグ(ユダヤ教会堂)は共産党の建物に利用されていた。」

戦争よりも恐ろしい一面もある……。下「」引用。

「ウラスィ村 第2次世界大戦の戦没者慰霊碑。当時村は焼かれたが、村人は森に隠れて生き延びた。原発事故はこの村に止めをさした。ホイキニ地区 ウクライナ」

ラストの著者の文。下「」引用。

「事故の目撃者として最後に、ヨーロッパで大変著名なベルギーの作家シャルル・ド・コステルの小説のなかの伝説的な主人公であるチーリ・ウレンシュピーゲリの言葉を借りて言葉を結びたいと思います。
「広島の罪のない犠牲者の灰が、私たちの心のなかで響いている」
「長崎の罪のない犠牲者の灰が、私たちの心のなかで響いている」
「チェルノブイリのの罪のない犠牲者の灰が、私たちの心のなかで響いている」
 この言葉は永遠に響き続けることでしょう。」








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