磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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夕焼けの子どもたち-子どもにおくるエッセー集-

2009年02月22日 | 読書日記など
『夕焼けの子どもたち-子どもにおくるエッセー集-』
   那須正幹・著/岩崎書店1990年

残念なことですが、どうも、ボクには納得できない文章が多かった……。



那須の母は、島根県で学校の教師だったようだ。

那須は父に質問したという。下「」引用。

「「あなたは、戦前、教え子にたいして、天皇のために死ねと教えてきた。しかるに、今日、その天皇もあなたも、のうのうと生きている。この責任につて、どう感じているのか」
 すると父親はこうこたえた。
「自分は、敗戦の日、陛下の玉音放送をきいた。陛下は、戦争をやめ、国家再建のため、忍びがきたを忍び、耐えがたきを耐えよとおおせられた。だから、今日まで、陛下の臣民として、おことばどおり生きている」
 それは、ごまかしにすぎない。天皇もあなたも責任のがれをしている。と、ぼくは追究したけれど、結論はでませんでした。」

父親に死ねということなのでしょうか?
死んだところで、責任をとれるとはボクには思えませんが……。

平和なシステムをつくることですね。
--昭和天皇は、これを成功させた……。
これこそが、重要な責任だとボクは思う……。

今の与党は、戦争システムをつくりあげている……。
--それをマスコミは黙認している……。
憲法九条は空洞化されている。

INDEX

クラウゼヴィッツ人の思考は、戦争の延長戦だろうとボクには思える……。

この思考から逃れられないと、平和などいう資格はないだろう……。
--ボクはそう思えて仕方がない……。

「いじめられのすすめ」というタイトル……。 下「」引用。

「あれ以来、ぼくはいじめられることに一種の抵抗力ができた。そして、一番だいじなことは、自分はもう、どんなことがあっても、いじめる側の人間にはならないぞという、信念みたいなものができあがったということでしょう。-略-」

社会問題を個人の問題にすりかえてもらっては困ると思う。
自殺者までも出ているものを、経験からこのように語る……。

積極的平和=構造暴力をなくしていくこと!
目に見えない暴力も許してはならない。
--いじめている側にも不幸なことであるということも、文化人なら理解してもらいたいものだ。

そして、差別とは差別される側は感じるが、差別している側は何の痛みも感じないものであるという……。

index

「原爆を描く」というタイトル。下「」引用。

「いずれ、もう一度、広島の原爆に挑戦してみるつもりです。」

ヒロシマとは挑戦するものだろうか?
--山登りのようなものだろうか?
一般の平和運動されている方たちが、ボクは素晴らしいと思う……。
その一人が、佐々木禎子さんであり、そしてその家族だろう……。

ボクはヨーコ・オノが、「愛のないところを、平和じゃない」ように云われたことは正しいとも思う……。

作家仲間の吉本直志郎さんと釣りに出かけたという。

文学などが、釣りなどという娯楽といっしょなら、つまらないものだ。

もっと、ダイナミックなものだろう……。
--そう教えてくれたのは、司馬遼太郎だ……。

「戦争はいやだ」下「」引用。

「さあ、これから四十年間、日本は平和でいらるかどうか。それを決定するのは、政府でも日米安保でもない。きみたちの一人ひとりが、戦争を体験した世代とおなじように、いや、もっと強力に、
「戦争はいやだ」
と、大きな声で叫びつづけることだと思う。沈黙したとたん、戦争はたちまち、きみのまわりに忍びよってくるにちがいない。」

そう叫び続けたところで、戦争推進の共犯者はいっぱいいる。

「だれも戦争なんかしたくないのです」

そう言いながら、戦争をすすめている人たちもいる……。

やはり、積極的平和=構造的暴力をなくしていく……。
そんな姿勢でないと平和を求めているとはボクには思えない……。







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