磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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きのこ雲の下から、明日へ

2007年05月25日 | 読書日記など
『きのこ雲の下から、明日へ』
      斉藤とも子・著/ゆいぽおと2005年

斉藤とも子さんという女優さんが書かれた本です。原爆二世の親たちのことを書かれたといっていいかもしれません……。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「女手ひとつで二児を育てる母にして女優。これだでけでもたいへんなのに斉藤とも子さんは、足しげくヒロシマへかよって被爆された方がたの困難な生活を丹念に聞き取る。
 そして今、被爆者の勇気と斉藤さんの熱意が結晶して、核を考えるときに欠かせない基本資料が成った。これは貴重な書物である。」

基本資料といっても、専門分野で活かされるかどうかは違うような気がしました。

この本を書くにあたったイキサツ。
まず、『父と暮せば』(井上ひさし先生作、こまつ座)の、被爆した娘・美津枝役。

美津枝の産まれた育った街を歩く。そこで被爆者の方たちとの交流。

卒業論文「被爆、そして生きる~被爆を乗り越えた女性たちの生活史~」を書かれたという。

『ヒロシマから、ヒロシマへ』大牟田稔・著と、『原爆が遺した子ら』渓水社の本を紹介されていました。
『原爆が遺した子ら』は日本の原爆記録 14にも収録。

14. 

ABCCは非人道的なことが本を読んでいるとしばしば書かれています。下「」引用。

「原爆によるものとも認められず、「強度の母体の栄養失調が原因。お気の毒とは思うがこれも親子のになう十字架……」と診断を下される。後日、使いの人に、物乞いを扱うように千円を渡された屈辱。」

index

1966年のこと。下「」引用。

「その間にきのこ会では、陳情書「原子爆弾に起因する小頭症の子をもつ親の願い」を作成。広島市、県などに協力を要請した結果、広島大学原爆医療研究所(以下「原医研」)の渡辺所長が、中央医療審議会で小頭症の認定について提案してくれることになった。」

1967年、父母たちは、「近江学園」を見学。
「近江学園」の創立者は「この子らを世の光に」と説いた糸賀一雄。

この子らを世の光に 糸賀一雄・近江学園


山代は、水俣病ととりくむ石牟礼道子とも親交。
会報に「水俣病などの公害をもたらすものも、原爆をわたしたちの上におとしたものも、結局はその招体は同じなのだというとろこになかなか到達しない。」

1983年12月、きのこ会総会に、初めて2名のMSWが参加。
原爆病院の若林節美、広島市民美余韻の村上須賀子。

ラストはこんな表現。下「」引用。

「二十歳までは生きないといわれた人たちが、もうすぐ、六十歳を迎えます。」

このことをいうと、医療関係者は自己の功績のようにいうだろう。
しかし、本当は親御さんや、それを取り囲んでいる人たちおかげが一番でしょう……。
(もちろん、医療関係者のご努力もあることですが。)


戦争になれば、このような子供たちがつくられる……。
そう呼びかける人たちがいます。
不幸をつくった人たちは英雄になったり、大金を手にしたり、エリートとして地位と名声があるという……。

血だらけのその手をわかっていない……。





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