幸せについての考察 【桐棺三寸】

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同性愛について

2005-08-24 | 日記 Ⅰ

世の中、正直言って「触れたくないこと」「避けて通りたい話題」というのもいろいろあるかと思います。
そして、こういったことも、そのうちの1つかもしれません。

私には、この方面の「嗜好」は全くないものと思っております。
ただ、なぜか20歳前後の頃、こちらの傾向の方に好かれることが多くありました。

バイト先にくるお客さんなどで、やけに親切にしてくれる「外見上は普通のおじさん」がいたりする…。
そのうちだんだんと「何だかおかしい…」という感じがしてきて、そのうちに食事に誘われるようになったり、「告白」されたり…。
そういった方々には大変申し訳ないのですが、その時は本当に「吐き気」がしたものでした…。

しかし、今にして考えてみると…。
自分がもし同性愛者だったら…。
自分の「傾向」に添う人が周囲にいるかさえ、解らないわけです。

激しい自己嫌悪に苛(さいな)まれてしまうかもしれない…。
もしかしたら、同じ傾向の人とは一生めぐり合うことなどないかもしれない…。
好意を抱いた相手が、こちらに好意を寄せてくれる確率というのも極めて少ない…。
これって、すごく辛いことなんじゃないか、と思います。

「同性愛という概念が、どうしても受け入れられない」
「生理的に受け付けない」
「嫌悪感がある」…
そういう人がいるのも仕方ないかもしれません。

しかし、このような人は、「30人に1人」とも、或いは、その傾向にある人を含めると「10人に1人」とも言われているようです。
「自分は違う」と思っている人の中にも、もしかしたらそうした「要素」を心の奥底に持っているという人もいるかもしれません。

私自身、前述したような経験がありますので、
「もしかしたらその人たちは、俺が自分自身では気付いていないそうしたものを、俺の中から見出したんだろうか、読み取ったんだろうか…」
などと、考えたこともありました。
(それでもやはり、生理的に受け付けませんが…)

確実に存在している、そうした人々…。
出会いを求めたい人たちがいたとしたならば、好奇の目に晒(さら)されることなく集まることができる場があったりとか…。
隠したい人はひっそりと、しかし、オープンにしたいという人は堂々とできたりとか…。

少なくとも、同性愛者が偏見をもたれることのない社会になるといいんじゃないかな、とは思っております。


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コメント (4)
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