幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
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存在する価値、有りや無しや

2005-08-11 | 日記 Ⅱ

自由とは、何者にも縛られない状態を言うのではない。
要は、他から縛られるか、自分で縛るかの違い…。

色々な「戯言」(…正に「ざれごと」)が浮かんだり…。
「こう考えるといいんじゃないか」ということに気付いたかのように思えたり…。

しかし、私の思いつくことなど、古今東西、何処かで誰かが遥か昔に既に言っていたことだったりする。
それも、私などよりも遥かに素晴らしい表現で。

冒頭のコトバも、もちろん、そう。
昔それに気付いた時には、何だか「真理の一つ」を発見できたかのように思えたものだったが、もっと高尚な「哲学」として、人類は既に通過していたことだった。
要するに、自分が「無知」だったということである。

私が今、思い悩んでいる疑問や考え方、或いは「人とはどう生きるべきか」などということは、何千年も前に、とっくに解決済みのことなのかもしれない。

そう考えると、私とは、一体何のために生きているんだろうなどとさえ思えてくる。
やはり、生まれたからには何らかの「生きた証(あかし)」みたいなものは残したい。
もちろん、肖像だの、そんなものは残らなくていい。
自分の死と共に、この世に存する自らの肖像も全て消え去ってしまえば、とさえ思うほどだ。

かと言って、「カタチ」として何かを残す術(すべ)は持ち得ない。
せめて、「こんなことをした」「こんなコトバを残した」…
そして、「桐鳳柳雨」という名前…
こういうことは残したいという「欲望」は、ある。

小説「罪と罰」でラスコーリニコフが言っていたように、人類継承のために子孫を残すくらいのことしかできないのだろうか。
それはそれで、大切なことではあるのかもしれないが。

私が今、ここにこうして在ることの意味とは?


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