代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

日本史上初の理系主導内閣の意義

2009年09月13日 | 政治経済(日本)
鳩山由紀夫と菅直人が理系人間であることの歴史的意義

 次期首相の鳩山由紀夫は東大工学部卒、スタンフォード大学から経営工学の博士号を取得している博士首相だ。次期政権のナンバー2である副総理にして国家戦略局担当相の菅直人も東工大理学部の応用物理学科卒業の完全な理系人間である。いわば国のナンバー1とナンバー2が理系人間なのだ。これは日本の歴史始まって以来の快挙であり、画期的なことだ。
 この歴史的意義はなぜか、あまり語られていないようだ。ブログで誰か論じていないかと思って探してみたら、kaetzchenさんが論じていた。少々過激であるが、重要な論点なので紹介させていただきたい。

***kaetzchenさんのブログ9月6日記事より引用***

 日本政府は明治の初めから,東大法学部を出た「事務官」官僚を重用してきたため,技術的なことにまるで無知な「事務官」たちが実質的に政策を決定して来たのだ.彼らがまさに「官僚」の代名詞として扱われ,理科系の「技術官僚」たちは冷遇されて来た.
  (中略) 
 中国の「文化大革命」で最も重要視された目的が,この文科系の「事務官」の追放なのであった.専門知識を勉強しようともせず,政策をたらい回しにして何もしようとしない事務官たちを農村へ「下放」し,労働者として働かせた中国共産党の方針は正しいと思う.そして,理科系の精華大学や上海交通大学の博士課程の学生たちを「事務官僚」として大量に採用し (文化大革命の近衛兵は,実は精華大学の附属中学の生徒たちから組織された),より論理的な思考のできる人材を政権の中枢へと持って行った.

 今回の民主党への政権交代が海外から高い評価を受けているのは,実は次期総理の鳩山氏も副総理の管氏も理科系の東大工学部と東京工大の出身 だからである (鳩山氏は Operations Research (科学的分析や作戦計画) という一種の確率論の数学者で,そのせいで「宇宙人」と呼ばれている.管氏も「特許の弁護士」の弁理士だ).あちこちの政治ブログを見ていても,こういう側面に着目しているブログが少ないのが不思議である.極論すると,人事院をぶっ潰して,人員を総入れ替えするくらいの「革命」が日本には必要なのだ!

***引用終わり*******

 私は、この主張をある程度は支持する。kaetzchenさんとは違い、中国のように国家首脳すべてが理系人間になればよいとまで極論するつもりはない(ちなみに、中国共産党の政治局常務委員9名のうち8名までが理工系出身者であり、文系出身者は一人しかいない)。
 しかしながら、日本においても、少なくとも内閣の重要ポストの半数程度は理系出身者であるべきだろう。法学の知識や経済学(ただし新古典派以外)の知識がある人間が、もちろん内閣の主要ポストにいるべきである。しかし、そのウェイトは半分程度で十分だ。まつりごとをつかさどるには、文系脳と理系脳のバランスが大事。現状は、権力が文系に著しく偏向しすぎなのだ。
 
 官僚にも理系人間をもっと多く登用すべきである。具体的には事務官用の公務員試験の問題において、法律や経済学の試験問題の配点のウェイトを落とし、数学、物理学、化学の問題のウェイトを高め、理系出身者を通りやすくする。事務官であっても、官僚は文理両方の幅広い一般教養を持つべきだからである。とくに物理学の素養は官僚には必須である。結果、法学部生が官僚になるのは難しくなり、理系学生の比率が高まるだろう。それでよいのだ。

 とにかく、理系出身者が文系出身者の風下に回って、ひたすら使役されるだけという、現在のような状態は即刻改めねばならない。
 「環境産業立国」だの「科学技術立国」だのといった威勢のよい標語が飛び交いながら、政治家のトップも官僚のトップも、なんら理系的センスを持たない、法学部出身や経済学部出身者で占められているという事態は、とてつもなく異常なことだ。

 文系出身で、自らは研究などしたこともない文部科学省の官僚たちが、日本の科学研究を指導できるわけもないし、日本の科学技術の水準を上げることなどできるわけがない。実際、彼らが頑張れば頑張るほど、日本の研究水準はひたすら落ちていくであろう。文科省官僚の数など半分以下に減らしてよい。お願いだから教育・研究の邪魔をしないでほしい。

なぜ政治家に理系の素養が必要なのか?

 私はこのブログにおいて、今日の世界の不幸を生み出した根源的理由の一つは、新古典派経済学のカルト的世界観の席捲を許してしまったことにあると論じてきた。理科系出身者が新古典派と対決しなければダメなのだということも訴え、自ら実践してきた。(たとえばこの記事

 中国においても、経済学会の中は、ほぼ新古典派が優勢である。しかし中国共産党指導部は決して新古典派の言説を鵜呑みにはせず、経済政策のかじ取りを新古典派に握らせることはなかった。指導部が理系であるが故に、数学を恣意的に悪用した、新古典派のロジックのペテンがわかるのである。

 新古典派経済学者の多くは滑稽なことに、数学を用いているが故に「経済学は、社会科学の王者である」などとのたまい、はばかることを知らない。私に言わせれば、数学を悪用しているが故に、もっとも悪質な学問であり、社会科学の「恥さらし」なのである。

 政治学や社会学や人類学や歴史学など、経済学の周辺に位置する文科系学問分野の学者は、数学を理解できないが故に、経済学を論理的に批判することはできない。社会科学多分野の人々は、それ故、経済学にコンプレックスを感じている。経済学者の言うことがなんとなくウソっぽいなあ、と思っている学者でも、数学が分からないので具体的に批判することはできない。彼らが考えることと言ったら、経済学と正面から対決するのではなく、「経済学のみでは語り尽くせないこともある」などと逃げながら、経済学と棲み分けることにより、細々と自らのニッチを保守するだけなのだ。
 他分野から批判を受けないので、「社会科学諸分野の中で唯一数理科されている学問だ」という経済学者の傲慢さは高まるばかりであった。経済学を批判できないのなら、社会科学の他分野に存在意義などない。
 
 経済学の暴走を制御できる潜在能力があるのは、数学を用いた経済学のウソのトリックが分かる、理系(とくに物理学)の素養のある人間なのである。

八ッ場ダム問題を事例に

 政治家に理系の知識、最低限の数学的素養、論理的思考能力や解析能力がなければ官僚の横暴に立ち向かうのも難しい。
 私はこのブログで一貫して、国交省河川局がダム建設の根拠とする基本高水流量という数値の計算方法が、全く数学を悪用した大ウソである、と主張してきた。(たとえばこの記事)。

 文科系の政治家にはこの理屈が分からない。しかし、私の知る限りでは、理科系の頭脳を持つ鳩山由紀夫も菅直人も、基本高水流量水増し計算のカラクリをよく理解できている。それ故、私は彼らに期待するのである。
 
 たとえば今話題の八ッ場ダムを中止せねばならない理由は山ほどある。その中でも、とりわけ甚だしいのは、治水の必要性に関するウソである。国交省のダム計画の根拠となる利根川の基本高水流量は2万2000トン/秒であるとされるが、この数字が大ウソなのだ。
 要するに国交省いわく、いま1947年のカスリーン台風なみの雨が降れば、利根川の基準点で2万2000トン流れ甚大な水害をもたらすから、上流にダムが必要だというのである。実際には、その数字より少なくともマイナス7000トン、あるいはそれ以下の低い値しか流れないのだ。

 カスリーン台風による水害時に、利根川の基準点では1万7000トン/秒の流量が流れた。当時は終戦直後、利根川上流の森林は燃料目的などで著しく乱伐され、もっとも荒れていた。その後、植林が進み、森林の機能はある程度は回復してきている。森林の保水機能が高まっている分、同規模の豪雨が来ても、水量は1万7000トンを下回る。国交省の言うように、1万7000トンを上回る量が流れるということはあり得ないのだ。
 故に八ッ場ダムも含め、利根川上流で計画されているすべてのダム建設は不要なのである。文系の裁判官は、もちろん国交省の計算過程でのウソを見抜くことなどできないので、これまでの訴訟では、国交省の計算結果を鵜呑みにし、国交省に勝たせてきた。

 過去、土木利権とは無縁に見える社会党の建設大臣も、公明党の国交大臣も、みな文系出身者であるが故に、難しい計算式を並べたてて整然と展開される官僚たちのウソに対抗できず、意気込んで大臣になっても、結局は官僚の操り人形になってしまった。この轍を繰り返してはならない。

 前原誠司さんが国交相の有力候補である。彼はすごく頭がいいので、私も期待して、以前のブログ記事でも国交大臣によいのではないかと論じた。しかし法学部出身であるだけに、ロジカルに国交省のウソを見抜けるのか、一抹の不安が残るのである。鳩山・菅の理系コンビで、ぜひ文系の前原さんをバックアップしてほしい。

 長くなってきました。また続きを書きます。
コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ジョセフ・ナイとの仮想問答... | トップ | 続・理系と政治について  »
最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あまり拘らなくとも (迎 秀昌)
2009-09-13 15:42:15
いいのではないかと思います。

政治家では、サッチャーさんは確か物理学者だったのでは。彼女が渡米した時、グリーンスパンに「M3はどうしてそれほど重視されないのか?」(朧な記憶で多分内容は違ってたと思う)と質問したというが、経済学もそれなりのものだったのではないでしょうか。

目下ドイツで消費税を増税して勝利したメルケルさんも、物理学者だったのでは。

両者に対して、オーム真理教の幹部たちに理系がかなりいたのは、酷い例。

一般に政治は、”あるべき論”を主張する傾向が強いのでは。そこには当然によって立つ価値観によって変わる。
それが単純な正義感に基づくときは、”思い”とは違う結果となることが多い。

科学は、本来は”なりゆき論”だろうから、”よしあしは別として、何はともあれ、「右足を左足が沈む前に出せば、水の上を歩ける」ということはなく、重力の法則で沈む”と言明する。

経済学は、科学とはいえないかどうかは別として、気象学などにも似て、幼稚な段階にあるといえるのではないか。
真空中の鉄球の落下を数学的に表現することは出来ても、空中を鳥の羽根が落下することを数学的に表現することは困難だが、物理学はそれなりに有用だ。
単純化したモデルで経済学が何かを記述することでもまだまだ前途遼遠だ。
アインシュタインが、サミュエルソンに「経済学の定理は常識的なものばかりだ」(この記憶も朧で正確ではない)といった時、サミュエルソンがしばし考えて、「比較優位の考え方は、常識とは違和感を感じるのでは」とか答えたという。

急いで支離滅裂な書かでもの感想を、失礼しました。
返信する
中国共産党中央政治局常務委員会 (Cru)
2009-09-13 16:13:09
政治局常務委員9名のうち8名までが理工系出身者>
文系は二人かと思ってたら李克強が外れてたんですかね。
習近平だけか。

理系大臣には期待したいところですが、補佐する役人が少ないと難しいかもしれません。
技術系官僚をどんどん抜擢するとか出来れば良いのかもしれませんね。
返信する
お読み頂いてありがとうございました (kaetzchen)
2009-09-13 16:30:58
 代替案さん,こんにちは.kaetzchen@goo.jp です.先ほどまで夜勤だったので,とても眠たいので文章が会話調になりますけど,悪しからず.

 林業の専門家のようですね.私より一回り年下か.アジ研からの受賞,おめでとうございます.私は事情のため,個人情報はあえて出していません (知能に欠ける某「大学教授」がばらまいているネット情報はデタラメ!).林学と言えば,農学部の数学科,私も農業経済学の修士の学生に非線形微分方程式を教えたことがあります.(なぜこれが「複雑系」なんておかしな言葉にすりかえられたのか,最初の博士論文が微分位相幾何学モデルを駆使した発生生物学の Ph.D の私には理解不能)

| 少々過激であるが、重要な論点なので紹介させていただきたい。

 ははは.個人ブログは匿名で書いているので,ホンネで書いています.日ごろ,権威主義で威厳を持たないといけないため,どうしてもブログの文章は多少キレ気味になります.


|  文系出身者は一人しかいない)。

 正確には北京大学出身ですね.私の従兄も大学院に留学していました.北京大学の理科系の学部をまとめて移転したのが精華大学で,一応「総合大学」ではありますが,どちらかと言うと日本だと阪大に近い存在ですね.北京大学も一応理科系の学部は残してありますけど,どちらかと言うと基礎系が多いです.東大や京大や東工大が応用系の工学部を拡大させていったのとは正反対です.


|  しかしながら、日本においても、少なくとも内閣の重要ポストの半数程度は理系出身者であるべきだろう。法学の知識や経済学(ただし新古典派以外)の知識がある人間が、もちろん内閣の主要ポストにいるべきである。しかし、そのウェイトは半分程度で十分だ。

 大卒ではありませんけど,独学で一級建築士を取って,自前の建設会社を立ち上げて,確かにお金に汚い部分はあったけれども,理想論に燃えていた田中角栄の「理科系」としての政治家像はもっと評価されてしかるべきです.実は私の宝物が「回収されたはずの『日本列島改造論』」です.ゼネコンで田中角栄の担当をしていた親父の影響というか「洗脳」のせいもあったのでしょうけどね.


|  「環境産業立国」だの「科学技術立国」だのといった威勢のよい標語が飛び交いながら、政治家のトップも官僚のトップも、なんら理系的センスを持たない、法学部出身や経済学部出身者で占められているという事態は、とてつもなく異常なことだ。

 代替案さんもお分かりの通り,基礎系の研究が実を結ぶにはとてつもない時間がかかります.例えば文科系だとチョムスキーの生成文法理論がそうですね.あれを証明しようとして学者人生を棒に振ったアメリカ人博士はたくさんいます.私も留学先の大学院では基礎系の発生をやっていたので,P4施設に宇宙服を着て酵素を入れて電気泳動をかけてバンドを何と物差しで測るという超アナログな実験をしていました.その時の共同研究者である師匠がノーベル賞をもらったのはつい先年のことです.私の所に取材のメールを飛ばして来たのは留学先のマスコミだけでした(笑) 帰国してもポストは元の省庁の事務仕事だけでしたから,すぐに大学病院へ転任して研修医の修業をやり直しました.でも,私などは医歯薬系ですから,まだ恵まれていた方でしょうね.理工農だと企業に就職し,下手すると開発やMRなどの「文系営業職」に回されてキャリアが生かせなく,自殺した知人を何人も知っています.


| 結果、法学部生が官僚になるのは難しくなり、理系学生の比率が高まるだろう。

 ただ,法学部でも基礎系の法哲学だとか法制史なんかを専攻した人は,比較的私たち理科系に近い,論理的な頭脳を持っていますよ.やはり「西洋哲学」を徹底的に仕込まれたせいでしょうね.逆に理科系でも,教養部でラテン語を学んでいなかったり (医歯薬系でのドイツ語必須なんかやめて,ラテン語必須にするべきです! 生物系の学科もしかり),西洋哲学をまじめに勉強していなかった人はオウムや統一協会や日本会議や Power for Living や幸福の科学や創価学会のようなカルト宗教に引き込まれる確率が高いです.科学哲学の分野ではいつも,なぜ理科系の人間がカルトに引かれるのか,それは高校で習う「数学的帰納法」の根本的な欠陥による,という議論が引き合いにされます.私の恩師でもある,ある科学史家はやはり,ラテン語やギリシア語コイネーの文献のコピーを大量に読ませて,西洋哲学の古典を徹底的に叩き込んでくれました.私の「過激な文章」の根本にはそういった教養部時代の「しごき」があるんです.


|  文系出身で、自らは研究などしたこともない文部科学省の官僚たちが、日本の科学研究を指導できるわけもないし、日本の科学技術の水準を上げることなどできるわけがない。

 その典型例が,私がいつも批難している,現在は「教育評論家」の寺脇研なんですよ.彼のおかげで日本の教育は四半世紀に渡って総崩れになりました.代替案さんの所の学生でも,例えば秋にAO入試や推薦入試で入って来る学生は教養で落ちこぼれて結局退学になる事例が多いのではないでしょうか?(福島のジャンキー学生もその可能性がある.医学部は全「可」でも国試を受けられますから) 入試制度も昔の一期校・二期校の時代のように,マークシートなどやめて,全て記述式にするべきです.私は現役で一期校・二期校で,仕方なく入った二期校をやめて,共通一次を受け直して一期校に入り直したクチです.だから,両方の特性を良く知っているのです.

 あと,私があちこちで書いているように「本丸は人事院にあり」だと考えています.私の祖父も警察官僚だったので,戦前・戦後の官僚制度については多少知識があります.基本的には人事院の人員を刷新しないとだめです.少なくとも,天下りしそうな技官らを人事院へ異動させて,技術系官庁の内部事情を事細かく「吐かせないとだめ」です.中国の文革のように事務官を全員「下放」しろと言うと,代替案さんには過激だと書かれそうですけど,人事院はそこまで腐っています.これは知り合いの検事や判事や航空・海上自衛隊の幹部や隊員から聴いた話の中でも聞こえてきますよ.特に自衛隊の人事は国家機密ですから,中3の子供を抱えた隊員の家族は戦々恐々らしいです (高校入試が終わった後に異動があったりするから.基地の中の公務員住宅は「無番地」と呼ばれ,関係者以外立入禁止なので下手に井戸端会議もできないとか).裁判官も判事と検事のカップルの場合,人事院がわざと引きはがして (検事側を出世させるため),子供が作れないうちに中年になってしまい不育症と高齢出産に悩むという悲惨な事例をよく聴きます.

# goo 当局から 5000字以内で書けと言われたので,続きます.
返信する
先ほどの続きです (kaetzchen)
2009-09-13 16:34:57
 代替案さん,先ほどの続きです.

|  私はこのブログにおいて、今日の世界の不幸を生み出した根源的理由の一つは、新古典派経済学のカルト的世界観の席捲を許してしまったことにあると論じてきた。理科系出身者が新古典派と対決しなければダメなのだということも訴え、自ら実践してきた。

 代替案さんとちょうど一回り違う私の世代では,経済学というとマルクス経済学が基本で,税制などの行政や国家資産の考え方や銀行の概念について,徹底的に資本主義の欠点を習いました.今でも私は基本的にマル経の思想が正しいと考えています.例えば「経済人類学」のカール・ポランニーなども参照されましたか? 和訳は栗本慎一郎が出しています.


|  中国においても、経済学会の中は、ほぼ新古典派が優勢である。しかし中国共産党指導部は決して新古典派の言説を鵜呑みにはせず、経済政策のかじ取りを新古典派に握らせることはなかった。指導部が理系であるが故に、数学を恣意的に悪用した、新古典派のロジックのペテンがわかるのである。

 それは北京大学へ留学した従兄からも聴きました.彼は経済学部だったんですけど,講義は新古典派つまり資本主義を批判的に,そしてマルクス経済学もきちんと習って来たのだそうです.もっとも新古典派の「数学」なんて言っても「確率微分方程式」なんて,単純に線形の微分方程式に確率のΣをつけただけじゃないですか(笑) 本来ならば,生物現象と同様に,非線形微分方程式で考えるのが基本です.

 あと税理士試験を受けるために,数学科から経済大学院へ進学した悪友の修論を添削して気付いたのが,経済大学院の新古典派の「教授」たちというのは,グラフのパターンの一覧表を持っているらしく,データから導き出された表計算ソフトのグラフに一番近いグラフを選び,その元の方程式を適当に論文に載せてお茶を濁していたんだとか.ゼミで彼が教授に突っ込むと,さすがに数学科の出身ですねと,完全に白旗を上げられたのだそうです(笑)


| 私に言わせれば、数学を悪用しているが故に、もっとも悪質な学問であり、社会科学の「恥さらし」なのである。

 あれは「数学」じゃないですよ.「数楽」です(笑) 魔法陣を繋げた「超数」みたいな「こけおどし」に過ぎませんね.数学オリンピック日本予選出場経験のある私が言うんですから,マジです.経済学部の教養でやらせる「経済数学」もレベルが低すぎます.就職活動が早まったせいで,大学側から圧力をかけられて仕方なく単位を出している教員が大部分じゃないでしょうか.


|  政治学や社会学や人類学や歴史学など、経済学の周辺に位置する文科系学問分野の学者は、数学を理解できないが故に、経済学を論理的に批判することはできない。

 社会人類学に関してはそうでもないですよ.明治や早稲田の政経出身者はさておき,人類学者の多くは理学部動物学科の霊長類学出身者が多いです.新聞記者の本多勝一も農学部農林生物の出身ですよね (梅棹先生のおかげで朝日新聞に押し込んでもらったし,薬学部出身なのに国試も受けずに農学部へ編入したという伝説があります).例えば,代替案さんのブログを読んでいて,比較的似たような考え方を持っている人として,山口県立大学の安渓遊地さんを紹介します.彼も動物学科でサル学をやっていた人ですよ.彼は植物学者の奥さんと大学の近くの山奥に農地を借りて農業を営んでいます.そしてゼミの学生を連れて来て,農作業を手伝わせて「生物とは何か」という体験授業をしているそうです.文科系の学生はとにかく実地体験がないから,話が抽象的になるという話です.


| その後、植林が進み、森林の機能はある程度は回復してきている。

 そうでもないですよ.先日の山口県の防府市の土石流災害が典型例ですけど,戦後に植林された植物のほとんどは針葉樹です.つまり落葉広葉樹でないから,土壌が微生物によって形成されない.従って,保水率は禿山の時と針葉樹林はどっこいどっこいです.一度,土壌学の論文を読まれて,試算されてみて下さい.恐らく,国交省の技官はこういうデータを秘匿しているのではと疑念を持ったりします.どうせ文官の事務官には,生態学の難しい非線形微分方程式なんか判るもんかとバカにしているんですよ.


|  私はこのブログで一貫して、国交省河川局がダム建設の根拠となる、国土交通省による基本高水流量という数値の計算方法が、全く数学を悪用した大ウソである、と主張してきた。

 これについては,私のブログで紹介した,新藤宗幸さんの『技術官僚』という岩波新書がかなり批判的に書かれていますね.私も国費留学生の間は一応官僚の身分だった税金泥棒だったので,彼が書かれている内容は身に染みます.


|  前原誠司さんが国交相の有力候補である。彼はすごく頭がいいので、私も期待して、以前のブログ記事でも国交大臣によいのではないかと論じた。

 彼は「頭がいい」と言うよりも「場の雰囲気を読む」「コミュニケーション能力が高い」だけだと思いますよ.私なんかが過激にロジカルに突っ込むと,恐らく何も答えられずに退散するのではないでしょうか(笑) それと彼のイデオロギーが気に食わない.彼は徹底的な「極右保守主義者」なので,正直言って国民新党にでも徒党を引き連れて出て行ってもらいたいです.

# 長くなってすみません.なお,気象学についての雑談を http://blog.goo.ne.jp/fs30-3 にて連載しています.パソコン上で天気図を数学的に解析するのは良い暇潰しになります.また,ブログ全体は「少女マンガ」や「野良猫」のような息抜きに走っています.仕事の話は「サイエンス」だけですね.
返信する
迎 秀昌さんへ (kaetzchen)
2009-09-13 16:46:32
オウムや幸福の科学や日本会議などのカルトへ「理科系の学生が勧誘される」理由は単純で,上に書いた「西洋哲学の訓練を受けていない」ことが一つ.高校数学の「数学的帰納法」が如何に矛盾に満ちたデタラメかは意外と知られていません.数学的帰納法のあらさがしができる中高生がいたら立派です.彼らはロジカルな哲学的思考が完ぺきにできますから,絶対にカルトへは走りません.

もう一つ言えることは,もともとカルト宗教の勧誘方法は統一協会のマニュアルをもとにしています.私自身,高校時代から「反原理運動」を組織して,かなり過激な乱闘もやらかしたという経験があるので分かるのですけど,彼らは「超学歴主義のピラミッド社会」が理想なんです.よく考えると共産党も書記長は常に東大の出身ですし,創価学会も偏差値の低い創価大の出身者以外は出世できない構造になってます.プロテスタントの日本基督教団でも,福音教会に Power for Living という統一協会のスパイが入り込んで,牧師を洗脳しつつあって,毎回教団総会は牧師同士のケンカになっています.

要するに,学歴という物差しをもとにしたイデオロギーがなくならない限り,カルトはつねに妖怪人間のように発生し続けるのではと危惧しています.
返信する
皆様コメントありがとうございました ()
2009-09-15 01:07:51
 迎さま、kaetzchenさま怒涛のごときコメントありがとうございました。返信を書き出すと長くなりそうだったので、新しいエントリーでも続編を書きました。次のエントリーもあわせてご笑覧ください。

Cruさま
>文系は二人かと思ってたら李克強が外れてたんですかね。習近平だけか。

 習近平は理系です。李克強だけが唯一の文系です。

kaetzchenさま

 いろいろな情報を紹介して下さってありがとうございました。勉強になります。

>入試制度も昔の一期校・二期校の時代のように,マークシートなどやめて,全て記述式にするべきです.

 同感です。少なくとも国立大学はセンター試験なぞやめて、記述式一本で行くべきですね。

>そうでもないですよ.先日の山口県の防府市の土石流災害が典型例ですけど,

 前の記事で述べた、「保水力の回復」はあくまで利根川流域のことです。利根川上流は、戦争中に本当に荒れましたので、今の状態は相当にマシです。中国地方に関しては、「そうでもない」という点は、その通りかと存じます。
返信する
数学的帰納法の基本的欠陥? (順天堂)
2009-09-15 22:46:17
kaetzchenさま、もしよろしければ、数学的帰納法の基本的欠陥についてご教授頂けると幸甚です。
私の高校数学レベル脳では、しかるべき前提の下で、数学的帰納法は演繹的に正しいと思っておりましたもので。
あるいは参考書籍(URL)でも結構です。
返信する
自然科学と技術 (デルタ)
2009-09-16 00:22:49
まさにオウムとかの世代なので、私も思い当たることを。
といっても、私は応用理学系の工学部出身なので、違った光景に見えています。
理学部的には、哲学的な背景の欠陥から……つまり「勉強不足」から、ということと見られているようですね。
工学部的には、逆でなかったかな。古典教養的な意味での「不勉強」にkaetzchenさんは顔をしかめられると思うけれど(爆)、私たちは全く別な、世俗的なところで、もがいてました。
(エンジニア的には、ラテン語よりもブラジルポルトガル語や韓国語を勉強するほうが実質的だし……爆)
……もっとも、数百人いた同期生にカルトへ流れた人がいなかったので、確かなことを言えないですが。
前提;工学の前提として、「機能」を実現する営みであるというドグマがあります(「工学」の定義といっていいかも)。そのために、求められる機能とは何かを常に問い、またそれが社会的なニーズに合っているのかを同時に問います。そうして、仕様を定め設計に入るのです。
が、あのころ(80年代後半~90年代前半)は工学にとって一筋縄に結論を出せない時代でした。そろそろ遺伝子工学が本格化してたし、もんじゅの事故、とどめには阪神淡路震災で道路の橋脚が折れる、なんて光景も見ました。
とすると、王道的な工学の思考法に揺らぎが出てしまいます。
例えば、
遺伝子工学でどのような機能を得るか(その機能を得るために、遺伝子操作が絶対必要か?)、
あるいは遺伝子工学の社会的意義って?という具合。
このあたりのことは、泥臭く「技術倫理」の問題として、個別に折り合いをつけるしかないなと、多くの人は諦観してたのです。そういう凡庸な人間(苦笑)ばかりの世界でしたから、カルト的な思考につながらなかったのだろうな、と振り返って思うのです。
あのとき……形而上学的な(というのか「統合的な」)倫理の拠り所を探していたら、カルト風にならざるを得なかったと思います。彼らの唱える反技術的な態度は、当時の工学部にうっすらとありました。
もっとも、それがいい面でもあったんですよ。正式な統計を見たことがないですが、私達の世代は、原子力工学の世界に就職した人間が極端に少ないはずです。「あんな現場では、幸福になれないよ」……そう口々にいっていたものです。

同じ学科に数理工学の教室があったので、あまり合意したくないですが、応用数学(経済学もまぁ似たものですね)には、言っておられるような意味での欠陥があります。もっと技術屋的な目で見れば「評価パラメータを一義的に定義できない。結局は恣意的な選択になる」という欠陥があり、コメントにすら困る「研究」が出てきます。モデリング像の定義、そのモデリングに対し合理的な評価パラメータの設定……、そのあたりをおろそかにしている例が多くて。
その点、鳩山サンの専門にも、1エンジニアとして「方法論からして」疑いを持っている……、私としてはそんなところです。
また、菅さんは……、世代的に、私たちの世代のエンジニアが持っているこの種の悩みに無縁な人だろうな、とやや疎外感があります。そして、ある種の「暴走」を感じます。言動の論理が機械論的すぎるというのか。

(余談)
数学的帰納法の基本的欠陥
……論理展開が演繹法によっているのに、「帰納法」といっていること……私は、欠陥とかよりそちらのほうが気持ち悪いです(苦笑)
そのためか、「逐次法」という表現をする人もいますね。私の中学時代の数学の先生のひとりが、そうでした。
返信する
漸次法、でしたね (デルタ)
2009-09-16 01:35:19
逐次法、なんて言葉はないです(汗)

漸次法 でした
返信する
管理者不在につきしばらくコメント欄を閉じます ()
2009-09-17 23:15:17
 このブログに、他人の個人情報を書き連ねて、汚らしく個人攻撃をされるコメントが続きました。いろいと考えましたが、ちょっと見るに堪えられない内容でしたので、削除させていただきました。
 
 コメントの議論の内容とは無関係なところで、個人情報をあげつらねて、個人攻撃をされるような書き込みは、今後、削除させていただきます。管理者本人への攻撃は私が対応しますが、このブログのコメント欄の一般参加者に対する誹謗中傷の類は、ブログ管理者の責任で削除させていただきます。
 もちろんコメントの内容に対する批判などはどんどんしてください。

 このブログのコメント欄の書き込みは、特定個人を傷つけない範囲(ただし権力者や御用学者は除く)と限定させていただきます。

 討論(dialogue)は、弁証法的(dialectical)でないと面白くありません。議論の醍醐味は、それを通して生じる認識のアウフヘーベンにあります。
 揚げ足とり、論理的でない罵倒、自分の主張を押しつけようとするだけの恫喝的発言は、弁証法的な認識の発展がのぞめないので、討論とは言えません(朝ナマなどで田原氏がやっているのが、まさにこれ。あの態度を反面教師といたしましょう)。

 というわけで、議論は楽しくいたしましょう。
 しばらくブログ管理者が不在になります。コメント欄は常時開放していたのですが、不在の間、また誹謗中傷の類の書き込みがされる可能性がありますので、管理者が戻るまでコメント欄とトラックバック欄を一時閉鎖させていただきます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

政治経済(日本)」カテゴリの最新記事