** 春江一也(はるえかずや)*
1962年 外務省入省。68年チェコスロバキア日本国大使館に在勤中「プラハの春」の民主化運動に遭遇。その後、東ドイツ大使館、ベルリン総領事館他を歴任。
著書 「プラハの春 上下」 「ベルリンの秋」 「カリナン」他多数。
** 過日訪れたチェコプラハの景色がまだ明確に残っている時期にこの本を貸していただいた。
参考に読んだ場所、訪れた場所が随所に出てきて、実感としてこの本を読むことができたことは私にとって前代未聞かも知れない。
私が二人の子供を産み終わったころ、1968年「プラハの春」と呼ばれるチェコスロバキアの自由化運動と軍事介入してきたソ連による弾圧がもたらした事件の背景を追いながら、若き日本人外交官と美しい東ドイツ女性 カテリーナ(反体制活動家)との運命的な出会いと終局を描いている。
** 街の中央を流れる モルダブ川に架かる巨大なカレル橋(長さ514m、幅10m)この両サイドの欄干に現在、30体の聖人の彫像が建っている。この一つの「フランシスコ・ザビエル」像の前を外交官、リョウとの待ち合わせ場所に使った カテリーナの娘 シルビア、その頃5.6歳であった彼女はもう、幾つになっているのかしら?(シルビアもまた、リョウに恋してたのですヨ~」
** ヤン・フスの銅像前の旧市街広場、スタレー・メスト、ここで何回も繰り広げられた革命集会、彼は宗教改革で拷問の後、火あぶりの刑で亡くなった信念の人物。
そのずっと後、「プラハの春」自由化運動の挫折で焼身自殺した ヤン・パラフ、が登場したりする。このヤン・パラフ広場がプラハ市内 マーネス橋の畔にあることがわかりましたが残念なことに知らなかったのです。また普通の小さな花屋さんから地下をたどってプラハ城の小さな礼拝堂に行ける秘密の抜け道もあったのですって。
** 他にも度重なる迫害を受け、多くの命を落としたユダヤ人の運命を知ることが出来る旧市街地にある旧ユダヤ人ゲットー、集会所、ユダヤ人墓地等、意外と身近な歴史「プラハの春」の意味を知りえたことがこの本のお蔭であるとともに結果的に充実した旅となりました。
でも、二冊で約1000ページ弱の読み応えある最終あたりで 「カテリーナがまさかヘスに!!」って思ったのでした。
さわやかな秋が訪れました。アチコチ紅葉の便りも見聞きする時期ですね。
1962年 外務省入省。68年チェコスロバキア日本国大使館に在勤中「プラハの春」の民主化運動に遭遇。その後、東ドイツ大使館、ベルリン総領事館他を歴任。
著書 「プラハの春 上下」 「ベルリンの秋」 「カリナン」他多数。
** 過日訪れたチェコプラハの景色がまだ明確に残っている時期にこの本を貸していただいた。
参考に読んだ場所、訪れた場所が随所に出てきて、実感としてこの本を読むことができたことは私にとって前代未聞かも知れない。
私が二人の子供を産み終わったころ、1968年「プラハの春」と呼ばれるチェコスロバキアの自由化運動と軍事介入してきたソ連による弾圧がもたらした事件の背景を追いながら、若き日本人外交官と美しい東ドイツ女性 カテリーナ(反体制活動家)との運命的な出会いと終局を描いている。
** 街の中央を流れる モルダブ川に架かる巨大なカレル橋(長さ514m、幅10m)この両サイドの欄干に現在、30体の聖人の彫像が建っている。この一つの「フランシスコ・ザビエル」像の前を外交官、リョウとの待ち合わせ場所に使った カテリーナの娘 シルビア、その頃5.6歳であった彼女はもう、幾つになっているのかしら?(シルビアもまた、リョウに恋してたのですヨ~」
** ヤン・フスの銅像前の旧市街広場、スタレー・メスト、ここで何回も繰り広げられた革命集会、彼は宗教改革で拷問の後、火あぶりの刑で亡くなった信念の人物。
そのずっと後、「プラハの春」自由化運動の挫折で焼身自殺した ヤン・パラフ、が登場したりする。このヤン・パラフ広場がプラハ市内 マーネス橋の畔にあることがわかりましたが残念なことに知らなかったのです。また普通の小さな花屋さんから地下をたどってプラハ城の小さな礼拝堂に行ける秘密の抜け道もあったのですって。
** 他にも度重なる迫害を受け、多くの命を落としたユダヤ人の運命を知ることが出来る旧市街地にある旧ユダヤ人ゲットー、集会所、ユダヤ人墓地等、意外と身近な歴史「プラハの春」の意味を知りえたことがこの本のお蔭であるとともに結果的に充実した旅となりました。
でも、二冊で約1000ページ弱の読み応えある最終あたりで 「カテリーナがまさかヘスに!!」って思ったのでした。
さわやかな秋が訪れました。アチコチ紅葉の便りも見聞きする時期ですね。