KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

*咲く*~岐路~

2013-06-30 | KOFUKU日記
Flat Five Flowers(渋谷すばるバンド)-Reスタート



【自分から逃げてた、自分に負けてた。そんな自分が凄く嫌いだった。
分かってたんだけど、このままじゃ何も変わらない。
勇気を出して踏み出そう。何か変わるかも。
今だから言える。
あの時逃げてた自分を捨て、全部を受け止めて戦ったから今の自分がいる。】

《関ジャニ∞ 渋谷すばる》



Reスタート (作詞 渋谷すばる*関ジャニ∞)

また今日も騙し騙し楽な方へと向かって日が暮れる
まだ今日も少し時間あるのに見て見ないふり呆れる

そんな自分変えたくて 頭の中で夢見てる景色
体中染み込ませ動け

ここからReスタート 心の傷が 言葉のDoctor そこからどうか
ここからReスタート 心残りが 孤独なSinger ここからどうか
上がっていこうか

また今日も言葉探し音の匂いを嗅ぎ付けて
心繋ぎ止める

この音に全て吐き出して これに乗ってどこまでも行けそうな気がして
一人じゃ何も出来なくて

ここからReスタート 心の傷が 言葉のDoctor そこからどうか
ここからReスタート 心残りが 孤独なSinger ここからどうか
上がっていこうか

やるべき事は分かってんねん 頭の中常に歌ってんねん
やりたくない事も飲み込んで 全て音に変換 この瞬間
顔や態度や声ですぐに分かる自分がほんま嫌やねん
でも全て器用に笑ってこなす自分はもっと嫌いやねん

また今日も言葉探し音の匂いを嗅ぎ付けて

ここからReスタート 心の傷が 言葉のDoctor そこからどうか
ここからReスタート 心残りが 孤独なSinger ここからどうか
上がっていこうか





*******************************





【新しいイノチへ】

花が咲くには、何が必要?

まずは種。

種は大地に埋められ、土をかけられて、そばで何かが動いて気づいても、
ぴくりとも動けず、先の見えない不安を持ったままで、真っ暗な闇に閉ざされる。

何にも見えない中で、孤独を感じるだろう。
自分はこれからどうなるのか?ココから外に出て行けるのか?と。

たったひとり闇の中に長くいると、今までわからなかったことを感じるようになる。
そう、どこまでも孤独を感じると、逆に感じる感覚が研ぎ澄まされていく。

そして埋められた種も気づく、なんだか今日はアタタカイとか
今日はなんだかサムイとか、風の吹いてる音がするとか、鳥が鳴いてるとか。

雨が降って、大地が潤される。まるで命が流れ込んでくるように。
それは、突然で、最初は叩きつけるように思われ、
心地良かった大地がびしょ濡れになり、苛立ち、悲しくなったりする。

でも、また陽がのぼり、暖かさが大地を乾かしていく。
雨の潤いを種の中に宿したまま。

時には大地が凍って、身もココロも凍ることもあるだろう。
自分の内に宿した潤いですら、凍ってしまうこともあるかもしれない。

暗闇の中、感性の研ぎ澄まされた敏感な種は
苦しいとか、悲しいとか、恐ろしいとか、
あったかいとか、なんか嬉しいとかを繰り返し、
時には何もできない自分を呪いながら、そこに静かに生きている。


でも、ある日、覆っていた闇が少しずつ、少しずつ薄まっていき、
ある日、驚く程に眩しい光の中で目を開ける。
そして、自分が知らずのうちに成長していたことを知る。

さぁ、そこからが大変だ。
頭上を歌いながら舞う鳥についばまれそうになったり、
ちいさな虫たちが寄ってたかって葉っぱを食べそうになったり、
いきなり吹き付ける強風に煽られて折れてしまいそうになったり、
長雨につかり、根っこから腐ってしまいそうになったりする。


それでも種は踏ん張るのだ。
辛くて、しんどい思いをする度に、根っこを広げ、大地に踏ん張る。

お日様に向かって顔をあげ、葉っぱをいっぱいに広げ
いつか太陽をつかみたいとばかりに伸びをする。

でも、なかなか手は届かない。
同じ場所に立ち尽くすだけの自分に、心が折れそうになる。
我が身を叩く雨や吹き付ける風にすべてを投げ捨ててしまいそうになる。

太陽がのぼって、大地に沈んで、また登って、また沈んで
何度も、何度も、何度も、昼と夜を繰り返し、同じ思いを繰り返し…

ある日、種は花になる。

ところが不思議なもの。
美しい花を咲かせても、なおも孤独や不安はついてくる。

時間は無情に過ぎてゆき、美しかった花も色褪せる。
美を失っていく恐怖に陥る。
だんだんしぼんで、頭を垂れ、固くなり、生まれた頃のように種に戻ってゆく。
それでも花は「生きよう」と必死で立ち続ける。


そして、いつしかこの世での終わりの時を迎えるときがやってくる。

花が終わりの時を静かに迎え、枯れる寸前、
大地に吸い込まれそうな息をしている。

鳥たちが降りてきて花をつつく。

犬や猫や子どもたちがそばに来てぶつかってゆく。

大きな風が吹いて種を吹き飛ばす。

大粒の雨がその身を大地に叩き落とす。


鳥に運ばれて、風に運ばれて、虫や動物や子どもたちに運ばれて
雨に落とされた種は気がつく、

ああ、そうだったのか。

私を叩きつけた雨は、私に吹き付けた風は、私を凍らせた雪は━━━
あんなに恐れた鳥は、動物は、子どもたちは━━━

あの日々の苦しさは私をここまで育ててくれる愛だった
あの日々の恐れの先にあったものは私を生かし続けてくれた愛だった

最期の時に、あの日々を最後まで負けずに根を張り、
立ち続けた花はきっとこう思うだろう。

私はちゃんと咲いた、と。
あの日々に負けないで綺麗に咲いた、と。

そして出会ってきた、我が身に降りかかったあの日々に感謝することだろう。
あの日がなければ、今日はなかったのだと。
通り過ぎ、触れ合った者たちがなければ、
こうしてあたらしいイノチは生まれるコトはなかったのだと。

そうしてまた新しいイノチの眠りへと移っていく。
そうしてまた、あたらしい人生に移っていく。





【イノチの在り方は自然の中に生きている】



うん。
うまく言えないけど、私は自然も人も、
全てはこんな風じゃなかろうか?と最近想像している。

あと少しで、ここに来て3回目の夏が来る。
自然をただ真っ直ぐ、今、目の前にあるものを、
そのままのココロを、ただ真っ直ぐに見つめた2年の日々。


思うんだけど、人間てダメな時、あると思う。
いいわけでもなんでもなく、そういう時ってあるなって単純に思う。

2年ここで暮らして、自然の営み見てて、自分振り返って思うのは、
人間は不完全だけど、でも、それって自分でいうことじゃないなって。
人生の中では、いろんなことを始めたり終わらせたりしなくちゃいけないけど
その日々の中で「自分は不完全」ってコトバを使って不安を解消して、
自分に許しという甘えを与えるココロの砦にするのは好きじゃない、
って、ここに来てつくづく、つくづく、感じています。

「人間は不完全」  間違ってない。
でも、だから「不完全でいい」って意味じゃない。
何度も間違っていい、って意味じゃない。
それを履き違えると、何もしない人になっちゃうよ。
何もできない人になっちゃうよ。

この世にある格言を残す人は、みんな頑張った人。
精一杯生きた人。
そういう人だから言えた言葉。
頑張らない人が使っていい言葉じゃない。
私はそう思います。


この2年、私にとって、そんな風にすごく大切なものはなにかを感じた日々でした。
やっぱり、私は人のご縁というものは本当に大切だと思うし、
それそのものが愛なのだと感じます。
だから、人を裏切りたくないし、ないがしろにしたくない。
信頼と言う愛情を限りなく失いたくないな、って思う。
たとえ相手が私を忘れても、私は忘れたくない。
私に何も返してくれなくても、私は発信し続けたい。
心からそう思いました。


でも時には辛くてもこちらから手放さないといけないこともあるんですねー。
私はこっちに来て、一年かかって、ヒトツ、
自分の中ではおおきな事を手放す決断をしました。
私にとって、すごく残念で、すごく辛いことです。

なぜなら、その間にある信頼を失ってしまうことだから。
共に生きたはずの過去を、時間を、愛を全て失ってしまうことだから。
本人のみならず、そこに関わった人にも信頼を手放させてしまうことだから。

今回はそう言う意味で、持っていたものを奪われる結果になりました。
それがもう本当に悔しい。本当に残念で仕方ない。
もちろん、そうならない努力は私は全部やった。
答えも教えた。それでも伝わらなかった。

私は今までそういう風に自分から諦めたことがありません。
だから辛い。

でも…
このままではダメになるから。
本体も周りもダメになるから。

辛いけどやんなくちゃダメなところまできてしまった。
そうする理由はひとつ。
関わってくれた人のためにも自分がしてきたことを決して後悔したくない。
蟠りや恨みみたいな感情は抱えて生きたくない。
何よりもここまで手を差し伸べてくれた人たちを私は裏切れない。

正直こうしたからってダメにならない保証はないんです。
しかも、手放した以上手助けはもうできないし。
ダメになれば、本当の終わりがやってきます。

これを良いように言うなら「最後の望み」と言う行為になるのかなー。
…でも正直、今はもうそこに希望は持ってないです、今は信じてあげられないから…
信頼が失われてしまったら、疑いしか残らないものなんだなって実感。
すごく切なくて寂しくて悲しい。

でも、そう決めることで、少なくても、
自分だけでも蟠りを消すって努力はできるから。
これからは、そのために生きる方を選びたいと思う。
私だけでも、周りを裏切ることはしたくない。


唐突ですが、ダンサーって1日稽古を休んだら、元に戻すのに3日かかります。
人の信頼も同じで一度失ったら簡単に戻ってきません。

その時は些細なことのように思えても、それってとても大きなことです。
だって、信頼を失うってことは、それまでの日々を全部失うのと一緒だから。

でも大概、信頼を失うような事をする人というのはそのことに気がつきません。
そうなってもなお自覚がないから、そうなってしまうのだし。
そうだから、もう捨てて、自分で気づくまでやってもらうしかなくなるし。

でもある日、本当にその人が誰かの手やココロを必要としたとき
振り返ってみて、自分がその人と歩んだ道がないことに気づくでしょう。
すがる手がどこにもないことに気がつくでしょう。

そういう人には必ず助けを呼びたくなる日がやってきます。
でもね、残念だけど、気がついた時には遅いのです。
もうそこには望むものは無いから。
信頼を失うというのはそういうことです。

そうなった時、私が一番辛いなと思うのは、
なにかに気づいていても声をかけてもらえないということ。
一度信頼を失ったら、もう何も言ってもらえなくなってしまう。

最初はうるさいコトバがなくなった事を喜ぶかもしれない。
でも言ってもらえるって、本当にありがたい事なんだよね。
新羅してくれる人がいるって、すごい事なんだよ。


だから殆どの人はその信頼を失わないように努力する。
自分のために、相手のために努力します。
何度もtryしてtryして出来るところまで行こうとする。
だから悔いを残さず生きることができるんだと思う。

だって明日は誰にでもあるわけじゃないから。
今日で終わらないなんて確信はないし、明日は誰にもわからない。

だから、私は最初から諦めたりしない。
出来るわけないなんて言い訳したりしない。
たとえ今日がダメでもいい。精一杯やったのなら。
何度でも何度でも、出来る様になるために頑張りたい。
そして、必ず出来る様になりたい。

そうじゃなきゃ。
先に道半ばで言ってしまった人の命を継いで生きてる私たちなのだから。
そうでなきゃ。
向こうに行ったとき、残った人に良いイノチを引き継いだって思えない。
だから自分に負けたくないよ。

負けないって、決して何かに勝つことじゃない。
自分の弱さに嘘を付かないで、精一杯やること。
それが私の「負けない(勝つ)」だから。

生きてるペースがわずか過ぎて人に笑われてもいいのよ。
自分の100で走れたら悔いはないの。

精一杯のやり方で生きるのなら
失敗も成功もないし、間違いだってない。
それは全部私のココロにイノチに繋がってる。




【みんなみんなこの世の花】



人生には「岐路」というのがあると思います。

もし、いま自分の弱さに負けて信頼を失ってしまった人がいたら
信頼を取り戻す努力を必死にやって欲しいって思う。願う。

絶対に簡単じゃないよね。
一度失ったら、何をしても疑われる。どんなに心をもってしても。
だって、私がそうだもん。信頼のない人に信頼は持てない。

その疑いを無くすには、努力して信じられるものだと認めてもらわなくちゃいけない。
多分、大変。ものすごく大変。

だけどね。それをやらなかったら、本当に全部を失うよ。
それだけは確かなこと。

だから自分がなにか努力できないことが生まれたら
その分、大切なものが指からこぼれていると思ったほうがいい。
そうして、もう何度でもチャレンジして欲しい。
できるまで、できるまでやる勇気を持ってください。

紹介した歌ではないけれど、何度でもいいよ。
「Reスタート」して欲しい。

そしてこの世界で、あなたの花を咲かせてください。
どうか、あなただけの花を咲かせて。

この歌を堂々と歌える彼のように
restartする勇気を持って欲しい。
自分と戦う勇気を持って欲しい。

それがあなたが知らずのうちに楽を選んで信頼を奪った人への償い。
それが分かっていたのに楽を選んで信頼を失ってしまった自分への償い。
この作業はあなたひとりでしかできないモノです。

だれも何も言わないからって、何も変わらない、
何も起こってないように見えるからって大丈夫って思っちゃダメ。
どんなに波がないように見えても相手は心を波立たせて、あなたを見てる。
あなたがどう頑張って、どう生きるのかを。
信頼を奪われた相手は、あなたが信頼を失っていくか、
信頼を積み上げていく努力をするか厳しい目で判断してる。

その答えの先にもう次はないよ。

だって
あなたが失っているものは愛です。
あなたが失っているものは、あなたの人生。
あなたが奪ったものは人の人生。
そして、アナタのイノチです。
ダレカのイノチです。
この世で一番大切なモノです。

それだけは忘れないで欲しい。
そして、私も絶対に忘れたくない。


だから私もここに宣言して自分に約束します。
どんな小さく、ボロボロでも構わない。
私は必ず「ここで咲く」と。

だからどうか
しっかりと自分を生きて。

私もまた
しっかりと自分を生きたい。






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Flat Five Flowers(渋谷すばるバンド)- FLOWER


FLOWER【作詞*渋谷すばる】

始めまして 始めました 恥蹴ました
ここからだ この体 ココロカラダ
思いのほか遅咲きが踊りますが
あなたへのあの声はあの日のまま

近道なんか出来なかった 遠回りした10年ほど
何一つ 間違いない 歌ってる

誰だってCry 日々乗り越えて
枯れたってTry また咲くの
雨になってCry  ヤケんなってTry
晴れになってFlower
また咲くよ

みんな大人になって みんな大人しくなって
でも思いはあの頃のまま ここからずっと 続くよ一生
お前らも一緒 忘れんな Burn it……

気がつけば息苦しかった 空回りした8年ほど
でも全て無駄じゃない 笑ってる

誰だってCry 日々乗り越えて
枯れたってTry また咲くの
雨になってCry ヤケんなってTry
晴れになってFlower
また咲くよ

いつだって辛い 日々乗り越えて
飛ぶんだってFly もっと上へ
でもいつかきっとCry  それでもまたTry
誰にだってFlower
今咲くよ


【やっとなれたよ、ちょうどのすばるに】
《関ジャニ∞ 渋谷すばる》





生きるという永遠

2013-06-27 | KOFUKU日記


【こもれびきらきら】



久しぶりに病院に行ってきました。
なぜ久しぶりになったかというと、ぴーちゃんの手術や体調不良があって、
その上に担当医の先生が突然にご退職されてしまったから…( ̄▽ ̄;)!!

2年半…2年半です。
ここまでかかって、やっと仲良くなって、
もう少し話できる気持ちになってきた矢先…。
ショックすぎる…(´д⊂)

そんなこんなで行ってきました。
新しい担当医は、前担当医の実のお姉さんです。
よくお顔が似ています。

でも、やっぱりですねー
振り出しは一から戻るんだなと実感しました…
今は2年半後に同じ気持ちになれるかわかんないデス。

はー、私にはそんな簡単じゃないんだよなぁ。
そんなに簡単に行かないんだよ。
(´Д`)ハァ…





【のんびりいきますか?】




まあ、ぴーちゃんの病気にしても、先生のことにしても、
こういうことが突然に起きるっていうのは、
生とか死とか過去の出来事とか未来に関わることで
直接的に精神を揺さぶられることなわけだから、
自分のココロってのを新たな局面から見つめる時期なんだろうと感じます。

そういうことに、特に昨年末くらいから敏感になっています。
そのせいか、最近、面白い様にいろんなコトが連動してます。

先日、相方さんの幼馴染のKくんからメールをもらいました。
それは相方さんに関わることで、私が以前から考えているある事に関する内容。
私の中で考えている大事にしてることなので、ここでは言えないけど、
まあ、それがきっかけで、結構長い時間、彼のことや自分の事をお話する機会がありました。

役者と木工作家という在り方は違いますが、ココロで感覚を捉えて、
それをイノチとしてものづくりをするという点では共通のものがあります。
なので、なんと言うか、自分の感覚を伝えやすいし、相手の感覚も捉えやすい。
他の人に理解してもらえない言葉がわかる感じなんですよね。
久しぶりに「言葉が通じた」感覚。嬉しくて、とても有難かったです。


そう言うコトがある度に、私というものを再確認していきます。
私は何が好きなのか?私は何をしたいのか?私はどんな人間か?
そういうものと向き合い、考えるのデス。

私にとって「仕事(役者やウタイビトや造り手であること)」は
純粋に「生きることそのもの」なんデス。
だから、いつ、どんな生き方をしていても、それはガッツリ「仕事」に繋がってる。

多分、これを、なんの説明も必要とせずに「この人はそう言う人」
と理解して認めてくれたのは、ソウルメイトと相方さんだけでしょう。

Kくんも言ってたけど、コレがなかなか理解されません。
まあ、それを感じたことがなければ、わからないかもなぁ。
いや、中には同じ役者であっても解らん人はいますよ?

以前、一緒に仕事としてた役者さんが、裏方やってる私に言いました。

「今やってない人には役者の気持ちはわからない」

正直、自分の世界を作ってくれているスタッフに対して、
「コイツ、よお言うなぁ」とその時は呆れただけでしたが(笑)

あとから相方さんとその事を話したことがあります。
その時、自分に確信したことはですね、
その言葉を言った方の役者生命には終わりがつきまとっていて
私と相方さんの中の役者生命は永遠なんだなって事でした。

その方は、演じてる時だけが、役者でいられるんでしょうね。
相方さんや私は生きていること全てが役者でいることなんです。
その事を、その言葉のおかげでリアルに知ることができました。


まあ、同じ様な感じで、周りの方からも色々言われます。
こういう生き方してると、ドブにイノチを捨てて生きてるように思えるんでしょうね。
もっと才能を活かして何かやるべきだと言われます(^_^;)
それが元気になる道だし、社会貢献するべきだ、と。

そのお気持ちはありがたく感謝し享受しながら私は思います。
気持ちのないものなんか、やっても意味がない、と。
それは、全然、ココロが生きていないからデス。

ココロが生きているという意味ではダメでいる瞬間の方が大事です。
ココロが動いているからです。
まあ、そうは言っても、伝わらないかもなんですが(^◇^;)


とにかく私は自分の選んだ仕事(生き方)に対して、きっとものすごく貪欲です。
多分、きっとそれは、それしか出来ないからだなと感じてます。




【いつでも気持ちはこの時のままだから】



ソウルメイトや相方さんが私や自分を表現するコトバの中に
「俺たちは人である前に芝居(芸術)結婚しちゃってる」
と言うのがあるんですが、「まさに」な表現です。

普通は多分、やりたい事をやるコトが生きがいで生きてる人が多いと思うケド、うちらは違うんですよね。
ただ、ただ、単純に、それをやる為に生きてる。
それをやらなきゃいけないから、働いて、食べる。その為に生きてるんです。
それがあるから、人と関かかわれて、例えば恋愛とかもできるんです。
生きてるど真ん中に「仕事(生きること)」がある。

だから恋愛とかが仕事よりも先行することなんてナイ、と言っていいかもしれない。
すべてが、やりたいことをして生きる、
つまりは自分の魂を形成する世界を作りながら生きてることにイノチをかけてる。
食べていかなきゃいけないから、仕事をするとかじゃなくて。
芝居しなきゃいけない、歌わなきゃいけない、それには生きなきゃいけない。
そのために食べなきゃいけないから、生きる為に働く。

それができなかったら、死んでも仕方ない。究極、そこ。
死んだら歌えない、芝居できないから、必死に生きてる。


ある時、相方が飲み屋でおじさん客に「芝居なんか趣味だろ」としつこく絡まれました。
彼は笑っていたけど、最後に真っ直ぐ相手の目を見つめてこう言った。

「そう、趣味ですよ。俺はその趣味に命かけてるんです。
貴方はなにか命をかけてやってることってあります?」

これは自分らのマジな気持ち。命かけてやってんのだ。

普通、人はこれって出来ない。社会に出て、そう知った。
そんな生死をかけた生き方は怖くてできない。

自分たちだって恐れがないわけじゃないけど、恐れ持ってては出来ない。
それをやるって結構根性も覚悟もいるんだよ。
そういう大きいものを飛び越えて、相方さんや私は生きてたわけだし
今も私はその延長線にいるのだから、そりゃ、普通の生きてるところからは
私の生きている道は見えまいよ。そりゃー理解はされないかもなぁ、とは思う。
とにかく、生きてるってこと自体が、あたしには俳優修行にほかならない。

だから、生きてると、いい時もダメな時もあるけど、
感じてたことを、とにかく全部忘れたくない、って思う。
これは紛れもなく自分が生きる為の糧だと感じてるから。

感じたモノから共感を得て、演じるものにたどり着いていくしか
私が演じる確かな方法はないから、与えられる環境や経験にそれはかかっているし、
何気ない日々で作り上げているものは、もう小さいことのどんなものでも
自分の一番芯になるモノに確実につながってて、そのひとかけらでもあるんです。

だから、何もしてないように見えても、実際、何もできてなくても、全然死んでないデス。
「出来無い」ことを真剣にやってます。これ、私にとって、すごい大事です。
コレが作業。役者としての訓練です。全部、自分の「仕事」に繋がってるんです。

相方さんは生前、毎日「訓練」してました。
自分は心の動きが私のように過敏じゃないからといって、
一人っきりで、いろんなシチュエーションを考えては
リアルにその気持ちになるところまで、それを考えて感じていくんです。
時には大事なモノを失ったり、死んじゃったりってコトも考えるから
元々、感情を引きずりやすい相方さんは結構ダメージを受けてたなぁ。

彼が病気になって、それをご家族に話したら、
「なんでそんなことまでして…」
それが病気の原因になったんじゃないか?位に言われたけど
でも、その訓練が彼にとって、一番大切な稽古だったとわかってたから
わたしは止めることなんかできなかったし、ものすごく大事なことだと思ってた。
今も後悔してない。逆にもっともっとやらせてあげたかった。

私が彼と違うのは、稽古時間を作って敢えてやるのではなく、
日々の全てを通して、それをやってるタイプってだけのコト。
今も変わらず、そうであるということ。

実際、そういう世界が今は近くにあるわけじゃないし
未来にそういう世界に触れる機会があるかもわからない。
でも、私はずっと自分だし、それ以外になれない、と思ってる。




【まっすぐに生きてるよ】



私は今、リハーサルやバックステージのメイキングを見るのが好きです。
もちろん俳優や歌手はその人が存在しさえすれば成り立つモノ。
けど舞台や映像や番組を作るとなると一人じゃ絶対できない。総合芸術の極み。

私はそういう世界を作り上げていくって作業が死ぬほど好きなんだと自覚してる。
演じる側の本人と、それを作りあげる誰かが、見てくださる方々のために
命を込めて作り上げた世界や人物を生かすために
それぞれのコダワリのみで生きてる様な大人たちが四苦八苦しながら、
泣き笑いながら、形にしていく、創る方も創られる方も必死。
わずか数分のシーンのために、ものすごい人の力と、
それを受け止める人の努力がなくては、見てる人に届かないモノ。




【最近のココロ動かす研究対象 関ジャニさん(笑)】


私は昨年秋の終わりくらいから家族の影響で関ジャニ∞さんに出会わせてもらい、
最近特に良く見せてもらってる。
昨日「カンナちゃんに関ジャニにそんなにハマるなんて思わなかった」と言われて
それはなぜかって、2時間ぐらい自分の気持ちを熱く語ったのだが
多分、理解してもらえてないかも(笑)
単純に「私はミーハーじゃないってそう言いたいんでしょ」って取られてるかな(笑)
周りの人は大概そう言う風に感じるのかもね。

この私の持つ感覚を言葉で言わなくても感じられたら、多分、同志だ(笑)
多分、私とモノづくりしてきた人にはそれが理解できると思う。共通する感性があるから。


でも、ファンとはすっごく違うの。ハマってるのとも違うんだな。
全然違うんだよね。うまく表現できないけど。

うん、大好きだよー。非常に高感度持ってるよー。
(≧∇≦*)きゃーってなったり、誰々くん、かっこいい!とか思わない(笑)
グッズが欲しいとか、コンサート行きたい、とか思わない。

だから、残念ながら、ファンの人のそういう感覚に素直に頷けない(^◇^;)
今朝もエイター仕様にカスタムしたお靴を嬉しそうに履いていた
カンナ嬢を「すげえなー ファンってすごいなー」と見ていた私がいる。
(いや、ファンの人のそういう行動は微笑ましくて可愛いと思うんですけど、
自分はどうしても、そういう気持ちはならないのだ…絶対的に…)

私は女性として性的な感覚を含めアイドルや俳優を見ても全く触発されない。
そういうのには、まったくもって興味がない。そう言うドキドキは一切ナイ。
つか、そう言うかっこよさを持った男や女は周りにいくらでもいるので、
特別カッコイイとも思えないという不幸もあると思うが…(^◇^;)

それじゃあ、何?彼らのなにがすきなの?って思うでしょー?
何に惹かれてるの?と言われたら、これしかない。

「才能」

私にとって「才能」とは「魂」そのものを指す。
私はその才能を感じることに、ものすごく興奮する!
そして、そういうものを見たり感じたりすることで、自分をも高めていく。

相方さんもソウルメイトも、そう言う「才能」を持ってた。
一緒にいた一番の理由はその「才能」を創る「魂」を愛したからだ。
まず、それがあって、人との関わりにつながった。
私には、それが大事。その魂が、その人を造っているのだから。

相方さんたちは、当然別格なわけだけど、
時々、この人の才能に触れたい!この人の持ってるものが欲しい!
と思わせてくれる才能の持ち主がいる。
自分の仲間たちはそれを持ってる人が多い。
その才能をめっちゃ尊敬してる。

 

【同じ感覚を感じられる別格な人たち 相方&仲間(笑)】


そして、そう言う人に同じ匂いを感じる。同じ星から来てる感覚。
それが自分に語りかけてくる。
そういうものを感じると集中してその人を観るようになる。
その人持ってるものを知りたい。あの才能の理由を知りたい、と思う。
その人の中にある魅力的な才能を全てを味わいたい。吸収したい。
そして自分の中にそれを取り込んでいきたい、私もアレが欲しいと切望する。

それを自分の取り入れてく作業がものすごく好きなのだ。
誰かとモノを創る。役者業、これはまさにそれにあたる。
誰かを育てる。演出やプロデュースがそれだ。
モノを書く、モノを創る、すべてそれにあたる。
才能と交わり合う。そこに深いエクスタシーすら感じる。
そこで得たものが自分の才能の中に蓄積されてく、
その満たされてく感覚がすごく好きなのだ。

相方さんの死後、人との交わりが無くなったこともあるけれど
あまり突出した才能に出会わなかった。

ところが、偶然に関ジャニさんに出会ったのだ。まずは歌から。
そこに、自分や仲間や相方さんたちと同じ感覚を深く感じた。

次にこの人が歌っている様を見てみたいと思いDVDでライブを見た。
当然だが、エンターテイメントとしてプロの目線で見てしまう。
でも、そこで、このグループに同じ才能を感じた。
始めて、こういうアイドルとかグループに、才能を感じて、
その出来事自体が「面白い」と認識した。
その才能のおもしろさにドキドキワクワクした。


彼らはセルフプロデュースしてる部分があるのがものすごく解る。
自分がプロデューサーとして、人を創ってきたからわかるけど、
もちろん、その個体そのものの魅力がなくてはならないが、
大体は周りの大人によって、その個体のいろんなものが作られていく。
それが芸能界だったりする。

以前、相方さんやソウルメイトが周りの親しくなった女性に
見ていたイメージと違うと言われることが多々あった。
それはプロデュースしてるコッチにしてみたら最大の褒め言葉だったりする。
こっちとしてはお客がイメージするであろうモノを見越して、
そのキャラクターをお客が萌えてくださるように作りあげるのだから。

だけど、本当に才能のある人は、人に作られているに終わらない。
自分で自分の才能を最大限に生かして、自分を作り上げていく。
自分の世界を自由に生きるために。

関ジャニさんというグループは、私の個人的な感覚によるものなんだけど
そのセルフプロデュースの部分が大きく見える稀有なグループに感じてる。
もちろん、数多くの規制はあるだろうけど、エンターテイメントを創ってる
同じカテゴリーの人間として、感じる波動のようなものがある。

そこが自分と感覚的にとても近いから見てて共感を持てる。
私は演出やプロデューサーでもあるからだと思うけど、
彼らが自分たちをどう演出してくるか、料理してくるかがものすごく面白い。

それを余すところなく受け止めたい。彼らの才能を見つめたい。
それをどう活かして来るかを見たいから、
それには彼ら個人のデータを知らないと理解できない。

そうすると、当然ながら、彼らの個性を共に作り上げている才能たちにも出会う。
いわゆるスタッフと呼ばれる人たちの才能。
彼らは、そのグループの個性を生かすために日夜励んでいる。
その周りにいるスタッフたちが衣装や振り付けや
ライティングとかステージングでどう構成してくるかも見逃せない。

だから、何度も繰り返しみては、なるほど、この振付はこう見せたいのか、とか
この演出はこの人のこういう部分をこうしたいんだな、とか、
この曲はこういう事か、この詞や曲はこういう感じなんだなぁとか
私だったらこうするなぁとか考えてみたりする。すっかりスタッフ目線(笑)
とにかく、その才能たちを感じたい。そして自分の中に取り込みたい。

私は脚本も書くけれど、ある時、トークと歌のショーを作った。
私は元々、人の個性に合わせて脚本を書くタイプだから、
全く知らない人のコトは書けなかったりする。
多分、こういう、集中する嗜好性はそういうところから来てるんだろうな。
その個性を知るために、とにかくその人を観る。観る、見る、みる。
そして、感じる。ひたすら感じる。
もうその人になっちゃうんじゃないかと思うくらい、感じる。
そうやって台本を書く。

そのショーの時、話のプロットだけ覚えてアドリブで進めてくれていいよ、
って言って台本を渡して、みんな話の流れと曲順だけ覚えてやらせたら、
本番では台本とほぼ一言一句たがわずにセリフが流れて、
演じた人間たちが、どんだけ自分らのこと知ってるの?
( ゜Д゜) ス、スゲー!と驚かれたことがある。

そのくらい私は才能を見つめて、その才能を生かすコトが好きなのだ。
もう自分とどうか出来ちゃう域なんだな。うん。
私自身が、病気で大きな舞台に立てなくなり、出来ないことが苦しくて、
自分ができない事実を諦めるのに何年もかかった。
そこから抜け出れた時の理由が、自分ではない人の才能と一緒に交わり、
作品を作ることで、その人の才能と同化出来たコトだったから、
というのもとっても大きいと思う。


相方さんやソウルメイトは私にとって、最大のそういう対象だったわけだけど、
彼らが亡くなってから「この才能は面白い」と始めて思ったのが「関ジャニ」さんだったのだね。
なんせ、引きこもりの見えの上だから、TVと言うのが唯一のエンタメとの窓口だし、
そういうところで、まさか自分と同じ感覚を感じる人を発見できるとは思わず
非常に嬉しかったし、多々目にできるので、本当にありがたいのよね。

東京でこうなってたら、もう使えるコネ全部使って、
何らかの形で彼らの活動に関わる仕事を狙っていってやってると思う(笑)
そのくらい、私には面白い対象。


だからね、好きは大好きなんだけど、ちっとも良いファンでは無いのよね(^_^;)
ある意味で研究対象だったり、学びの対象だったりなだけだから。
でも、芸能人作ってきたから、フリークなファンが大事なのは重々わかる。
こんな在り方申し訳なくなるくらいだ。今度はCDでも買って彼らに貢献せねば(笑)


でも、おかげで、自分が「芝居と結婚してた人間やったわ」
という事をリアルに思い出させてくれて、そのイノチをつないでくれてる、
ものすごくありがたい存在で感謝してるのですっ。
ありがとう、関ジャニ∞さん!感謝、感謝(笑)





【だらりん…そんな日も…ね(^◇^;)】



だから、ここんところ、もう生活はすごく底辺に来てるんですよ。
いろんなことが限界に近かったり、いろいろしてて。
でも、そのできなくなったことから、自分がはっきり見えてきてて…。

なんで自分はこの家に生まれたんだろうとか、
どうして相方さんだったんだろうとか、
どうしてその仕事だったんだろうとか、
そういう理由がね、本当にストン、ストンと降ってくるんです。

今まで歩いてきた人生とか、なぜそうでなくてはならなかったのか解る。
誰より役者でいることが好きなのに、工房仕事も大好きで
プロとして衣装や小道具なんかもやらせてもらえたり、
音響や照明もやらせてもらったり、アナウンスやったり、
演出もやらせてもらって、プロデューサーからマネージャーまでやって
脚本家としてもやらせてもらって、ショーも舞台も作ってきて
果てにはショーカフェも劇場も作ったわけだから、
そりゃさぁ、この生き方しか出来んよ(笑)

だから、私はなぜここに生まれてきたのか、今すごくわかるんですよ。
私は生まれるべきところに、生まれて、やるべきことを選んだのがわかるんです。
それはね、やっぱり、自分がこういう、なんていうか人から見たら死んでるみたいだけど(笑)
その実「永遠なる生き方」をしてっからだろうなぁ、ってコトも今分かるんです。

多分、私は「他の物にはなれない」ンでしょうなぁ。
そういう自覚が出来つつあります。
私の周りにいる人もそうなんだと思うケド。
「この生き方しかできない」
多分、一生、こんな調子でしょうね。

未来はどうなるか全くもってわかんないけど、
何をしてても、多分、役者でウタウタイなんでしょうね、私。
だって、何してても、引きこもりですら、そこにしか繋がらないんだもん。

それだけの為に生きることしかできないんだと思います。
相方さんもソウルメイトも最後までそうだったから
きっと自分も最後までそうです。


なので、私、ちゃんと生きてますよ(笑)
しかも 永遠に ですから。

しかも、自分の中に二人人がいますから。
簡単に腐ったり死んだりできません。

だからこそ、嘘なく生きたい。
ダメな時はダメなようにでいい。

そして、頑張ってるみんなに負けないように生きていきたいです(´∀`)




SO SAY WE ALL!~ここにそう願う(22日朝*追記あり)

2013-06-22 | これからの世界


【ただ吸い込まれるような空の青さが胸を締め付ける時もある】


戦争も、たいした困難も大概の人が知らない日本において
世界の平和を考える、なんて大層なことは言えないよ、と私は思ってる

遠くの死と隣り合わせの国の人々の命の重さもはかれないで
この惑星の未来を考える、なんて大それたことは言えないよ、と私は思ってる

そんなに軽く口で言えるような事の根っこにある真実なんて、
アタシは本当にちゃんと知りゃあしないと知っているから。

だってアタシは知らないことを知ってるようになんか言いたくない。
それは、そこにある人たちへの冒涜。そんな風に私は感じてるから。
アレコレ言いたくない。簡単に「批判や批評」なんて言いたくない。

アタシは小さい。
ちっぽけで、力もなく、心の病抱えて人とも交われない
そんなアタシが何ができるかって言ったら
それはもうヒトツしかない。

「望み」そして「祈ること」

では、世界の、この星のために何を願い祈ろうか?


「生命平和憲法」←(クリックで詳しい説明に飛びます)
と言う考え方があるそうだ。

心友がシェアしてくれた。彼はこれを確立しようと頑張っている。
崇高な理念を掲げたオルタナティヴな憲法の草案。
国や企業の自然破壊をゆるさない「いのちの憲法」
憲法第9条は一字一句変えず「いのちの憲法」の理念を加味したモノ
内容はこんな感じ。




生命平和憲法

もう軍隊は 持たない
戦争は 二度としない
平和を愛する 世界の人々を信じ
共に生きようと われらは誓った
no moreヒロシマ
no moreナガサキ

  日本国民は 国際平和を誠実にもとめ
  国権の発動たる戦争と武力による威嚇
  または武力の行使は 永久に放棄する
  陸海空軍その他の戦力は 保持しない
  国の交戦権は これを認めない


もう地球を 壊さない
海を 二度と汚さない
いのち愛しむ すべての生きものたちと
共に生きようと われらは誓う
no more チェルノブイリ
no more フクシマ

  日本国民は 環境保全を誠実にもとめ
  生態系に甚大な汚染と破壊をもたらす
  原子力の開発は 永久に放棄する
  原子力発電所は 保持しない 
  国の核保有は これを認めない






世の中のすべての意識をヒトツにすることは難しいかも知れない。
私自身、異なるコトはたくさんある。

そしてこの国は、多くのこの星の人々は
「約束」を掲げ「決め」ないと平和が保てない
切なさの残る生き物になってしまったコトは否めない。

結婚然り、国籍や戸籍然り。
もとより、そんなものはこの世になかったのにね。
いつしか「約束」って美しい言葉に便乗した契約をするようになってしまった。
所有。印を残さないと安心できなくなった世の中。
仕方ないのか? なんてったって私らはエゴで出来てるからなぁ。

本当はもっとおおらかな世の中ならいいと思う。
本当は人の差別区別なく、暮らせたらいいと思う。

先日、マツコ・デラックスさんが言っていた。

「お墓ってずっと見てくれる人がいなくなる可能性もあるし
身寄りのない人だって、お金のない人だっているわけだから
いっそ一つの自治体に一個ずつ大きな穴を掘って
火葬したら、みんなそこに入れてしまえばいい。
そして、お墓参りはそこに来て手を合わせればいい。
そうすれば、皆、自然の中に帰って行けて
祈ってもらえない人もいなくなる。」


全く同意。
私はそんな世の中が心底、理想だ。

だけど、今の世の中はそんな風には行かないらしい。
まあ、確かにね。そんな世の中なのは否めない。
決め事があって、それで均衡を保ってる。正しい。

それで平和に愛し合えるなら、全てをヒトツにしなくてもいい。
それぞれの立場から、同じ方向を見て認め合って、譲り合えばいい。
それにつながるなら決めたらいじゃないか、と私も思う。

この草案は私が常に感じてるモノを言葉にしたものだ。
そう言う意味で私はこの言葉たちに支持をする。
そう言う意味で「同性婚合法化」にも支持をする。

少しでもいい、未来に人が自然を愛でて暮らせる世であればと願う。
今よりも人が愛し合える未来であるようにと願う。
相方さんもソウルメイトも、そして私を愛してくれる人たちは皆
自然を愛し、全てを愛している人たちだから。
そんな皆の生きた証としても、そんな世界を残したいと願う。

偶然にも夏至。
夏至と冬至の日にはキャンドルナイトが行われる。
夜、7時から9時の2時間を電気を消して過ごそう、というエコイベント。
東京では東京タワーの明かりも消され、周りの家の方々も
一斉に電気を消して、真っ暗になったりする場所もある。
でも地方ではまだまだ浸透していない様子。

311以降、もう少し定番になるかなと思ったのに。
私は叫び歩き、その姿で威圧感を与えるデモなんかより、
一時間でもいい、企業も人も出来るところは全部電気を止めて
キャンドルナイトして原発はいらないって意思表示にすればいいのに、と思う。

経験のない方ほど、一度でいいからキャンドルで1、2時間過ごしてみてほしい。
多分、闇の深さは光を感じるためにあるとしみいるように解るから。
キャンドルの灯りで2時間過ごして、電気をつけてみれば、
どんなに眩しい世界に生きてるか分かる。

そういう経験としてだけでなく、自分の中に湧き起きる
光と闇の感情を外側から感じるきっかけにもなると私は思う。

311の時、節電で関東は毎日あちこちで街も家もキャンドルナイトだったけど、
あれは被災した方々の苦しみを理解するのに大きな力を貸してくれた。
この明りを消して過ごすわずかな時間はすごくすごく意味があると思う。

平和憲法にしても、キャンドルナイトにしても、この地球をもっと愛そうってコト。
ここに暮らす、すべての世界と人をもっと愛そうよってコト。

どっちみち、あと100年後には自分はここにいない。
多分、ほとんどの人はいなくなる。

で、あれば、生きてるあいだのわずかな時間を愛のために、
この世で次に生きていくの人のために使ってもいいんじゃない。

そんな風に思ったりする。




【海の傍、大地を踏みしめる】



相方さんと私の大好きな米ドラマに「ギャラクティカ」と言うのがある、
生きる場を失った人類が船団を作り、生きていける新しい星を探す。
人間にそっくりの機械人間達との戦いのなか、
神とは、真理とは、人間とは、イノチとは何かを問う。
多分、311と言う国難を体験し、この発展した土地で、
すべての関わりに高慢になった日本人には何かを感じざるを得ない作品。

そのドラマの中で兵士や民が何かを決めるときに必ずいう言葉がある。

【So Say We All!(そう、ここに願う!)】

私はこの言葉が好きだ。
なぜなら。この言葉の中には、自分の意思が見えるから。
そして、自分を取り巻く人たちへのココロが見えるから。

出来ることなら、何かを決めるとき、胸を張って、仲間を見つめ、 
すべてのことを受け入れ、未来を信じて、「ここにそう願う!」
と、皆でたからかに言える民になれたら。

So Say We All!
ここにそう願っている。

その後のぴーちゃんとちわわンず♪

2013-06-14 | KOFUKU日記


【雨の季節になりました】


6月になり、すでに半分が過ぎました( ̄▽ ̄;)
がっつりと紫陽花の季節です。
関西・東京方面は空梅雨の様子ですね。
こちら南国はドカ雨はないものの曇が多く結構梅雨っぽい感じ。
しかしながら、晴れの日は完全に「夏」
昼間はかなり日差しが暑くてもうヤバイです…(;´Д`A



さてさて、うちのちわわンず達は相変わらずお元気で(^▽^)ゴザイマース


 


【雨の日はちわわンずもおウチでまったりん♪】
【ピピたんは不思議なところにハマっている…】
【まろたんはお気に入りの場所で爆睡…zzz】




【チビ達も雨の日はネムネムちゃん】
【さすがなかよし兄弟、シンメで寝てます(笑)】





【時々、じいちゃんと海に走りに行きます】




【夕暮れ、皆でお山を鑑賞】




【暑いので縁側で風にあたってます】



さて!お次は、ご心配頂きましたぴーちゃんですが
5日に無事に抜糸をいたしまして、無事一週間が過ぎ、ほぼ完治かと思われます。



たくさんの方にお祈りいただきありがとうござました!
術後はびっくりするくらい元気になって若返った感じです。
それだけ、体に影響があったんだなぁと思うと振動買ったろうなぁと。
手術に踏み切ってよかったです。


私は相変わらずの引きこもりぶりですが
立て続けに心労が大きかったせいか、なんか痩せました(^_^;)
まぁ、図らずもダイエットできてヨカッタでございます。


こんな感じで6月を過ごしております。
まずはご報告まで(´∀`)