KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

晩夏~思い出巡り

2012-08-27 | KOFUKU日記
こちら南国は未だ史上最大の台風15号の強風にゆすられています。
沖縄や奄美など島の方々の安全が守られますように。
また、台風はこれから朝鮮半島に向かうそうですが、
韓国や北朝鮮、中国で台風被害が広がらない様にお祈りしております。



『ちわわンずは台風なので、布団を敷いたまま、まったり~(*´д`*)』



さて、25日、夏休みで戻ってきていた妹家族たちが東京に戻ってゆきました。
東京は27日から新学期です。今頃は始業式の真っ最中でしょう。

私は久しぶりに南国に戻ってきた妹たちとお墓参りをしたり、
山やら海やらにお供させてもらって、数日ですっかり真っ黒になりました。

2日目は南薩を巡り、3日目は母方の墓地へお参り、
その後は海に行ってお買い物に行きました。
4日目は鹿児島の玄関口、鹿児島中央駅の駅ビルアミュプラザでお買い物。
再度、家族で母を見舞ってお別れしました。

妹たちが来てくれなかったら、お日様にもこんなに当たらなかったろうし
普段はそれこそ、行けないところばかりだったので、
私にとってもありがたい日々でした。皆にココロから感謝ヽ(´▽`)/


せっかく鹿児島を巡ったので、廻った場所を少しご紹介。
母方の墓地のある吉野山の下が海なんです。
鹿児島で一番有名な磯海水浴場があります。




『桜島の目の前、磯海水浴場』




『磯海水浴場の真隣、島津家御用邸の磯庭園を磯浜から望む』


ここらは鹿児島市では絶景ポイントの一つです。
なので島津家の別邸があちこちにあります。
九州は比較的、古い建造物が残っている方だと思いますが、
鹿児島は古くより密貿易が行われていたこともあり、
また鑑真さんやフランシスコ・ザビエルに代表されるように
海外とのつながりが深く、島津の殿様がそこから得た海外文化に造詣が深く
またその文化を取り入れていたので、洋風建築などが多く残されています。

私は和洋含め、古いもの、古い建築物が好きなので、
ここら辺は昔からのお気にいりの場所のひとつです。
少し、ご紹介しましょう。




まずは、島津家別邸「仙巌園」別名を磯庭園といいます。
吉野山の麓、桜島を目の前にした広大な土地に島津家の別邸が立っています。

ここは有名観光地で、拝観料が必要な公園なんですが、
ここはデスね、ちっさい頃からの遊び場なんですよ。
隣の美術館やら何やらで、いろいろここで行われる事に
我が家は昔から絡んでいましたので、しょっちゅう来てましたのデス。
感覚的には庭みたいな感じー。
昔はロープウェイもあって、この上の吉野山にある広い公園にも行けたんです。
8・6水害の際に危険だということで封鎖になったのだそうです。



『仙巌園の中。お池から見た別邸 夏はこんな感じ~』


 

『仙巌園の隣にある尚古集成館 薩摩切子の工房などもあります』

  

『高麗橋(こうらいばし)のガス灯 薩摩切子で出来ています』
『尚古集成館の工房で作られている薩摩切子』






『異人館。元は外国人指導者の宿舎です。大好きな建物です』




『磯くわはら館』



『明治頃の磯地区の様子 真ん中に異人館、となりが紡績工場
その向こうに磯庭園が見えます』


限られた中、皆の希望や体力的な事もあって多くは廻れませんでしたが、
南薩から市内の北側までは、一応さらりと巡れた気はします。

今回、懐かしい場所を車でトロトロと巡りながら、
一人で昔を懐かしんだりしていました。

今の家族を載せるのもアレなので、懐かしい家族写真を載せてみようかな。




『最愛の母、若き日のもの。
私は母にそっくりと言われるが甥っ子の方が似てると思う』



『私が2年生の時の写真 父の妹を送りに行った飛行場で写した一枚。
写ってるのは父と私と今回戻ってきてた、すぐ下の妹と母』



『妹じゃありません。着物着てますが、紛れもなく弟ですヽ(*´з`*)ノ』



姪っ子曰く「Mくんは城田優くんにソックリだよね~♪」マヂで言ってる?Σ(゜д゜lll)
そう言う東京の甥っ子、姪っ子こそ、めっちゃ外人系、美人系なんですよ。
今回、一緒に街を歩きましたが、中2で既に178センチの外人系美少年&
160センチ、スタイル抜群、超美人の姪っ子、目立つ目立つ(^ω^)
海ではイイ年したお兄ちゃん達が「可愛い、めっちゃ可愛い」
と言っては、とっかえひっかえ覗きに来てましたよ。

まあ、親である我が妹は高校生の時「ミス」でしたし、
ファンクラブもありのカワイコちゃんでしたからねぇ。
その頃の妹は今で言えば宮崎あおいちゃんみたいな顔でしたのよ。
やっぱりねぇ、蛙の子は蛙だね。

でも、妹は姪っ子は私にそっくりだ!と言います(^◇^;)
ちなみに、鹿児島の甥っ子も私にそっくりだ!と皆言います( ̄▽ ̄;)
(ちなみに鹿児島の甥っ子は、関ジャニの横山クンに似てると皆、言うそうで…)
あたし風味があるっつーだけで、100倍以上可愛らしい
姪っ子ちゃんにも甥っ子くんもエライ迷惑な発言です(笑)

まあね、人様から見て、どうあろうが、
あたしには全員カワイイんですケドー( ̄ー ̄)
(世界一のおばバカですから)




『最後は日頃お世話になっている地元の妹(三女)でつ。
妹が来ているニットのベストは5年生くらいの時に、
母と一緒に編んであげたもの。懐かしいのォ』



こんな家族の住む家に育ちましたのデスわ(*´∀`*)
庭には公園並みの父の手作り遊具が並び、
ママゴトやお人形遊びの道具は父と母があっという間に作ってくれました。

その庭の奥の角には大きないちじくの木がありました。
大きな実がたわわにみのる樹でした。
私はその木がお気に入りでした。




『いつか庭にいちじくの木を植えたいなぁ』



庭を囲む遊具のそばの家の壁には父の手作りのアパート的な小屋があって
犬や猫やほかの動物が一時期は100匹くらい共存してました(マジです)
お母さん犬のおっぱい吸ってたもんね(笑)
家の縁の下で子犬を産んで、一ヶ月くらい経つと
お母さんが私たちに見せに引き連れて歩くのが楽しみでした。

大きくなって遊具がいらなくなると
私用の小屋を作ってもらって、そこで暮らしてたし(笑)
爺ちゃんも小屋を建てて、そこで暮らしてました。

春には庭で窯を作り、セイロを置いて、もち米を蒸したり、
郷土の伝統のお菓子を作ったり、石臼と杵で餅をついたりしました。
七夕の笹飾りをしたり、お正月を迎えるのに父が門松を作ってました。
道具も、着るものも、食べ物も、薬も、もう何から何まで
基本、なんでも作っちゃう家庭だったかと思います(*^_^*)


そういえば、あちこちに向かう途中で
道々に咲いている芙蓉の花を見て思い出しましたが、
昔は庭の真ん中に咲くこの花を見て、
時間を感じていたのを思い出しました。



『酔芙蓉の花です』

酔芙蓉の花は朝は真っ白の花が開きますが、
昼になると淡いピンクになって、夕方、濃い赤ピンクに染まるのです。
その色で大体の時間が分かるので、時計がいらないのでした。
どれもこれも懐かしい思い出です。
今回、妹家族と一緒に巡れてよかったな~。


そんな思い出に浸っていた中、25日で鹿児島に戻って一年目を迎えました。
早かったな、この一年も。何もしてないけど、あっという間の一年でした。

自分が思っていた以上にココロの痛みは深かったみたいで、
戻って、半年位経って、勝手に少し落ち着いたかなーと思っていたんです。
それでメールなんかでアレコレ人と話したりする様にしてたんですが、
そう言うところで、自分の土台がまだ全然グラグラしているために、
自分で自分に新たに傷を作っちゃう様な感じになってしまって。

なんかねぇ、私には何を言ってもいいと思う人もいるのかな?(^◇^;)
これまでがとっても元気で、今も見えてるところが
ぜんぜん元気そうに見えるからなんでしょうね。
傷が見えないから厄介なんだよね。
でも、いろいろと言ってくる人にかぎって、
私のココロの病も知ってる人ばっかりだから
そう言う意味でも、そう言う人達の接し方に疲れたりしちゃって。
まあ、甘えてるな、弱くなってるなって言う自分の反省点なんですが…。
まあ、それだけ、自分も周りの人も自分に必死って
ことなのかな~と思うけど、時々、そういう事に酷く疲れたりして。

そんなんで、この夏は気落ちから寝込んだりすることも多くて、
いつしか、これだけは頑張って来たブログの更新や
手紙すらも全然書けなくなってしまいました。
気持ちがどうしても、そこまで届かなくて、動かないのです。
今は皆さんに申し訳ないなと思いながらご無沙汰しています。

今回、家族と小さな旅をしていても、
越してきた時以上に色んなことが出来なくて。
家族と一緒ですら、ある程度しか出歩けなくなっている自分に気がつきました。
そんな自分でもちょっとびっくりでした。すっごい疲れちゃうんです。
半分は動く気力が出ず、車で待機だったもんなぁ。
みんな迷惑&心配かけて( TДT)ゴメンヨ。

そんなこともあって、医者からはとにかく
心を休ませなくちゃダメだって言われています。
もうしばらくは療養の日々が必要みたいですね。
まあ、外界と接したいと思えるまで、ゆっくり待つしかないかな、と思います。


そうそう、そんな私の毎日なんですが、
つい最近、家族が増えたんですよ。



そう、にゃんこちゃんヽ(´▽`)/

どうやら捨て猫みたいで妹と甥っ子が拾ってきました。
まだ、子猫ちゃんです。
名前は『にゃん』と呼ばれています。
私は「シャムにゃん」と呼んでいます。
ご飯をもらってなかったみたいで、
痩せっぽちですが人懐っこくて可愛い子です。
顔がちっさくてねぇ。

現在、まろくんと一緒に私のアパートでチビ達とは別居中。
今週はちわわンず全員とご対面の予定。
さてさて、どうなることやら(^ω^)

しかし、晩夏も晩夏…
何とか、秋までには手紙書かなきゃ…
頑張ろ…
( ゜ー゜)ノ)"ガンバレ、アタシ!




natsuyasumi part2

2012-08-23 | KOFUKU日記



『南国の夏はこんな色~ヽ(*´∀`)ノ』


(。・ω・)ノ゛ コンバンゎ♪

遅い夏休みのやって来た我が家、
本日は帰省した妹家族と父方の方の墓参に行ってまいりました。



『こちらのお墓はいつ行っても、花一杯です。地方の方はその豪華さ・綺麗さに驚くそうな』
(ちなみにコレは参考画像ですー)


なんと、訪問は20年ぶり以上じゃないかと思われます。
だって東京に出てから、行ってないもんね(^◇^;)
久方ぶりに行った本籍地は昔より綺麗になって非常に穏やかでございました。

ご先祖様にご無沙汰のお詫びをして、お線香あげて。
そしたら一瞬だけ大雨が降りまして(^^;
きっと泣いて喜んでくれたのかもなぁ。

お茶とお菓子も上げて。
やっぱりお墓参りっていいですのー。
知らない家族とちょっと交流できた気になります。

人間ね、向こうの世界や生まれ変わりがあるとして考えても、
生きてる時より、死んでる時間の方が長いからねぇ(^◇^;)
きっとホントは向こうの人のことの方をよく知ってるのかもね。


アタクシ、この夏ちょいと病んでこもり気味だったんで、
車に乗って遠出するのも、外に出るのも久方ぶり。
せっかく南薩地方に行ったので、妹たちと観光地巡りなぞして参りました。



『指宿(いぶすき)そこは日本のワイハ(*゜▽゜*)』

桜島をバックに湾岸を走って一路、日本のハワイ、アロハの街「指宿」へ。
ここは官公庁の制服がまぢで「アロハ」の街なんざんす。
しかも同じアロハでおもてなしの茅ヶ崎とかの洗練されたアロハでなくて
極彩色のあっかるーいアロハですのよ。



『指宿温泉の水で作られたご当地サイダーもワイハにアロ~ハ~o(^▽^)o
バックは開聞岳にイッシーでござる。
ちなみに活火山のあるこの土地はどこ掘っても温泉がでますのよ』

 

『南国ムード満点の風景&マンホール♪』


指宿の道の駅で買い食いなんかしながら、お次は池田湖へ。



『池田湖にはイッシーがいるんだよん♪』



『ついでに大ウナギもいるんだよん♪』



さらに旅は続き、開聞岳を見ながら、本籍地へ。
南薩の道は花・花・花~♪




『デイゴ これ蜜が美味しいんだわ~。』




『ハイビスカス 花にお湯かけてお茶にするよ』




『ブーゲンビリア 玄関先にてこんもりと咲いていることが多し』





『じいちゃんオススメのポイントから撮影』

お墓参りをしまして、昔、ひいじいちゃんが作った橋やら
建物やら何やらを見ながら本籍地の真隣、行きつけ神社の釜蓋神社へ。



『いま一番人気のパワースポットだよ~』

今日はなにかお祓いがあった様子で神主さんが来てました。
いつもは無人です。

甥っ子&姪っ子たちは神社を囲む海でしばし散策。

 

『若者たちは絵になりますなぁ。今の6年生、デカっ!』


その後は開聞岳は唐船峡にあるそうめん流しでご飯。



『今日は市営そうめん流しではなく民営の長寿庵に行ってみました』

ちなみに「回るそうめん流し発祥の地」です。
こっちの人は、そうめん流しといえば回ると思っています。
私も関東に出てから、竹に流す「流しそうめん」を知りました。


それからお土産物屋さんや物産館をめぐって帰宅。
一ヶ月以上ぶりの物産館でしたが、ニンニクとかピーナツとか、
秋近い作物が並んでおりました。今度じっくり見に行こうと思います。

そんでもって、明日は母方の墓参にまいります。
今度は市内なので、近辺をめぐるのかな。
ちょっと地元観光に来た気分でござる(笑)

明日はじゃんぼ餅たべよーっとヽ(*´з`*)ノ


natsuyasumi

2012-08-22 | KOFUKU日記


『桜島が目の前の海釣り公園で海を満喫中』


お盆もすぎて夏休みもあと少し。
南の国は残暑とは言え、夏真っ盛り。
太陽ギラギラっす(・∀・)



『カンナちゃんから相方さんへのお供え。綺麗な色のお菓子です』



『アタクシはお団子なぞ製作。田舎味です』



この夏は周りから色々な衝撃波をもらってしまい、精神的疲れから、
かなり元気なしなしの状態で過ごしてますワタクシです(´・ω・`)

医者にまで、もうとにかく休みなさい、と言われる程に、
心の緊張の糸が張り詰めちゃって居るらしいです…。
先生曰く、人間が一番怖い、、、うん、そうね、、、、。

そんなんで、未だ残暑見舞いもかけずじまい。
皆さん、ごめんなさいです。
そんなんだから風の中にちょっとだけ感じる秋にホッとしたりしてね…。
でも周りはまだまだ夏ですわ。




「太陽の木漏れ日もきらっきら~~~♪」



多くの皆様のおうちでは、大人のご家族の夏休みはすんだかと思いますが、
夏の後半を迎えて、本日、東京住みの妹が家族4人で久しぶりに里帰りしてきました。

うちの甥っ子ちび君6年生(既に160近く有り)は、自分の住んでいる場所で、
仲良しの同い年の姪っ子6年生の「ももちゃん」(既に160センチ超)と
お兄ちゃんの中学2年生(既に180センチ)「とーき君」に会えて大喜びです!

実家の妹と甥っ子親子はシェアメイトのカンナちゃんと共に
東京で行われる関ジャニさんのコンサートやカウントダウンに
毎年参戦(と、表現するらしい)しているので、
東京の妹のおウチに毎回お世話になっているため、
従兄弟たちはとっても仲良しなのであります。

甥っ子たち二人はそれぞれ虫や自然の研究をしたり、
「アキバ系」の趣味(フィギュア集めとかゲーム)が共通で、
二人でアキバ系の会話をしたり、秋葉原での買い物が楽しみだし、
姪っ子ももちゃんも昨年からジャニーズコンサートに参戦開始!
(ももちゃんは嵐のファンらしい・笑)
甥っ子とはお互い、関ジャニさんと嵐さんのファンクラブに入って居て
一緒にコンサートに行っては盛り上がっておるのですわ(*´ω`*)
イトコ同士、仲が良いっていうのはいいコトです。


今回は、来年は甥っ子が受験、姪っ子も中学進学と重なるので
帰ってくるのはかなり難しいという事で、
旅行がてら、ご先祖のお墓参りと、
かなり高齢の寝たきりの母に会いに来てくれました。
母も喜んでいると思います。

お若い方々は鹿児島の自然を満喫したいと張り切っておりまして、
ホテルに到着してすぐに釣りをしているとのことです。
また、お墓参りやらなにやら、あちこちで見聞予定。
追い追い、写真をご紹介していこうかな。


 
『2日ほど前の南国ちわわンずの皆さんのご様子』


あ、私ですか?先ほどご挨拶と一緒にお食事だけ済ませまして早々に帰宅。
自宅にてちわわンズとお家でお留守番中ですーーー。
ちわわンずも吠えまくってご挨拶(^_^;)

現在、ワンコ一匹足りません…。
うちのアダルティなレディたちが揃って女の子になっちゃいまして、
昨日くらいから、ウチのアダルトボーイ*キューティまろたんがイケイケに…(ーー;)
野獣化したので、現在、別居中なんですわ(^◇^;)

まあ、4,5日すれば、激アツのカップルから
いつものほんわか仲良しさんに元通りですけどね。
バラバラの場所にいるんで、ちょっと心配…。
こればかりはタイミング悪しでございましたわ(^_^;)

東京は27日が2学期の始業式だそうです。
25日の夜に飛行機で帰るそうですが、
あと3日、楽しんで頂きたいものです(^^)




『野獣期間中のため、現在、別荘にて夏満喫中のまろたん』


しかし、まろたんがいないとさみしーなー。
なんか3,4匹いなくなった感じー。
早く帰ってこーい!(゜Д゜)ノ





南国徒然

2012-08-09 | KOFUKU日記






2012長崎平和の日に寄せて
長崎原爆の犠牲となられた方々、いまも苦しんでおられる方々、
それを見守るご家族の皆様の心の平安と世の平和を心よりお祈りいたします。






『ちびちびファミリーは今日もお元気!お庭に出る準備中です』


さてさて、昨日はついつい愚痴ってしまいました(^◇^;)
気持ちが落ち込んでると、人間やっぱコントロールきかなくてダメだねぇ。
もう少し、人間、精進せねば…。

しかしまぁ、この2ヶ月、まともにやりたいことで出来たことは
このブログを書く事だけでした。それでも何日もかかったけど。
でも、今日は直ぐに次をかくことができて、それが嬉しいデス(*´∀`*)

こういう日々を過ごすと、ペンを握るって、すごい事なんだと思います。
字が書きたいように書けるってすごい。
だから、ほんとパソコンさんが居てくれて助かってます。
ぴこぴこ押すだけで、こうして文字を書いてくれるんだもん。
ありがたや~。(`・ω・´)b テンキュ-パソコンさん!
ということで、今日もパソコンさんの力を借りて書こうと思います。



『カンナちゃんのチワワ絵日記より 桜島とちわわンず(笑)』


すぐに凹む私とは打って変わって、うちのちわわンずはとてもお元気でーす!
めでたく4ヶ月めを迎えました~ヽ(´ー`)ノ

5月9日(生後一ヶ月目)にはこんな↓だったチビ達も…


『初めてのプライベートビーチ訪問!外が暑くてびっくりしているチビ達(^◇^;)』


4ヶ月目にはこうなりました~。



風羽(ふう)君
決して柴犬とかシベリアンハスキーではありません(^_^;)
チワワらしくありませんが、とても端正なよかにせ(イケメン)君です。
体全体が筋肉でできているマッチョちび。
食い意地のはり方が尋常でなく、そのガッツリぶりに男感じます(笑)
大きさは若干まだ小さめですけど、重量は既にお母さんの重さ
(3キロ)を超えていると思われますが(; ̄ェ ̄)まだまだベイビーなお方~。




観優(みや)ちゃん
こちらもチワワらしくない、チワワちゃんです(^_^;)
さすがに女の子らしい一面、そのハイテンションぶりは
爺ちゃんいわく「尋常じゃない」(^◇^;)
いや~、テンション上がったら、もう走る走る、飛ぶ飛ぶ~。
いつ壁に激突して、大怪我でもするんじゃないかと、心配。
とか言って、みんな走るんですけどね(; ̄ェ ̄)
その中でも一番テンション高くなる方です。
現在は2キロ弱位でしょうか。




朗真(ろま)君
正真正銘の超マイペース。3びきの中で一番クマちゃんぽいチワワちゃんです。
おっとりさんで、他の2匹と違い、じゃれても爪も一切出さず、
噛み付くこともなくぽわぽわ~んとしてますが、急にキレます(^◇^;)
そして、寝たい時にぱたっとねる。ほかの子が暴れても、自分の気持ち次第。
おっとりのくせに、一番吠えるし、遠吠えもします。
まあ、この子達、生まれて2週間目には「ワン!」といい、
「あおおおおおおおん」と遠吠えしてたんですけどね(笑)
みーやんと同じくらいの2キロ弱くらいです。

3びきで居ると怖いものはないらしく、じゃれまくって、
いたずらしまくり、暴れまくる、暴れまくる(⌒-⌒; )
一時間でも留守番させると、帰ってきた部屋は壮絶な有様です…。

ところで、みなさんは「メリダとおそろしの森」観ましたか?
あれに出てくる食いしん坊でやんちゃの三つ子ちゃん。
うちの三つ子ちゃんはあれにそっくりです(^◇^;)
いたずらの仕方から、食いっぷり、行動まで、ほとんど同じです。
なんつってもクマになった時が激烈に似ています。
なんせ、顔がマックロけで、花の長いクマ顔なので
似すぎていて、もう見るたんびに笑えて仕方ありません。
こんな感じです(ノ∀`)


Brave YouTube Banner


Disney?Pixar's BRAVE - "One Family" TV Spot


Freedom Broch! 19 Classic Bagpipe Hits in One Compilation!


こんな感じに動いているのをご想像ください(笑)





『洗濯物が気になるふう君』



相変わらず、メガチワワ道(でっかすぎるチワワ)をひた走っています。
まあ、おっきいコトはイイコトだ(笑)
しかし皆さん、朝も早くから、夜の遅くまで、大運動会の日々、
眠る人間のBodyは奴らのスプリングクッション替わり。
もう、ドカスカと乗りまくり、走りまくりで、肋骨折れそうになりますわ(; ̄ェ ̄)
だって、6匹に乗られたら、一人3キロ弱と計算してもぉ18キロだもん。
飛び乗られたら重いって(;・∀・)でも、可愛いで~~~す(*´ω`*)!(親バカ)

 

『まろくん、ぴーちゃん、ぴぴちゃんも元気(^^)』


願うのはこの子達が幸せに元気に最後まで生きてくれること。
それに勝る事は無い気がします。






『勝手に生えたしそが森のようになってしまいました(⌒-⌒; )しかもデカイ』


さて、凹みかげんの私の楽しみは実家で自然に触れること。
空を見て、裏山の森を見て、庭の草木や虫さんと交流(*゜▽゜*)
まあ、受け入れられる虫さん、難しい虫さんがおりますが…(; ̄ェ ̄)

現在、日本は放射能が降る中にありますが、
有難いことに九州なので、まだ畑も作れます。
元々、鹿児島の畑の多くには炭を混ぜ込む事が多く、
除染も出来た土地が多い気がしています。
我が家も除染の為に炭を利用しています。
それ以外は自然農のやり方です。
出来る限り、草木の命を奪わず、虫を敵にしない育て方です。

こう言う状況下なので、賛否両論あるかと思いますが、
私は出来る限り、自然には手を入れず、
自分の方が気をつけられることで補いたい人です。
自然なくして、私たちは生きていられるはずがないと思うからです。



『草に負けずに、それを栄養にして大きくなった作物は強くて美味しい味がします。』

うちはトマトとか植えているので、ニコチン系の手作り農薬もまけないし
(トマトはタバコの吸い柄一本で枯れてしまうのです)
せいぜい、コーヒーかすや、牛乳なんかを使うくらいかな。
後はハーブや害虫を駆除する虫たちの力を借りたりして工夫しています。
肥料は甥っ子たちがダンボールコンポストで作ってくれてるのをまきます。




『甥っ子の四季成りいちごも毎日花が咲きます』


私はナチュラリストでも、マクロビアンでもないし、
ましてやヴィーガンやベジタリアンでもございませんが、
我が家は基本的に、虫も花も命は奪いたくないという人間の集まりです。
甥っ子も天体観測したり、貝殻採集なんかはやるけど、
虫を簡単に標本にしたり、植物採集したりはしません。
もちろん、花も簡単には摘みません。
理由は一つで、そこに命があるからです。

これまで、ナチュラル系コミュニティとかいろんな所に行ったけれど、
ベジタリアンとかの方が肉食を非難し「命の痛みを感じる」と話しながら、
笑顔で葉っぱたちをフォークでザクザク突き刺したり、
文明社会は全て拒否、ナチュラルなことだけ求め続け、
「自然あってのこの世界」と天使のような顔で語るお母さんが、
子どもと共に草花をぶっちぶっちちぎりつつ、
子どもがむしった花びらを見て、「まあ、素敵ねぇ」
とか、笑顔でおっしゃっているのを見ると
「ホラーだ」
と思ってしまう人です。

それよりも動物も植物も感謝していただいて、
その命も自分と一緒に生かしていくほうがよっぽどマシ、
文明は自然と調和させて、彼らを邪魔しないよう、
時には助けになるよう、有難く使えばいい、と思ってます。

木工とか草木染めとか、自然を遣うお仕事に対しても、同じような意識です。
自然と調和しながら、大切に行えばいいと思う。
事実、真剣に仕事している人は、むやみに自然を利用したりしません。
本当に大切に扱うものだと思います。
少なくとも周りにいる芸術家さんや工芸家さんはそうです。
命の大切さを感じられない人には、
命あるものを扱えるはずかないと私は思っています。

うちの妹は借家住まいだから、どうしても
草を抜いたりしないといけない時がありますが、
必ず「次は抜かれない所に生まれておいで」と草たちに声をかけています。
私はそういうのを見るとホッとします。




『毎日、お庭で仲良く遊んでいます(*´∀`*)』



梅雨が抜けて、日差しが一段と強くなりましたが、
8月に入り、夜の8時前くらいまで明るかった空が、
7時には暮れるようになってきました。
道端にはポツポツとコスモスも咲いたりしてて。
まだまだ暑いけれど、もう秋がそこまで来ているのを感じます。

じつは私はあったかい時期が苦手です(^◇^;)
だから、どちらかというと北の深い森の色が好き。
朝もやにけむる森の色が好き。
北の畑に風がわたって行くのを見るのが好き。
だから独りで北海道や岩手なんかを電車に乗って旅したりしました。

この土地も緑はまた全然違う深さの緑です。
でも一番違うのは、大気の色なんだなぁ。
日本全国47都道府県、すべて行ってみたけれど、
この南の国ほど金色の光が降るところはないのですよ。
いつも、お日様から金色の光が降っている。
眩しくてびっくりするくらい。
だから、こっちの緑は深くてきらめく金緑色。
それもまた、とても好きです。




『長崎鼻と開聞岳さん』



明日からは流星群を見たり、手紙を書いたりして過ぎていくかな。
思えば2年前の今日も家の窓から草たちに風が渡るのを見ていたな。
やっぱり人ってなかなか変わらないんだね(笑)



つぶやき

2012-08-08 | KOFUKU日記




「アーニーローリー」
堀内敬三訳詞

あした露おく 野の静寂に
いとし アニーローリー 君と語りぬ
とこしえまで 心かえじ
誓いしアニーローリー わがいのちよ

愛にかがやく 君がまなざし
まことこめたる 君がささやき
とこしえまで とこしえまで
忘れじ アニーローリー わがいのちよ



アニー・ローリー、大好きな曲の一つです。
このところ、この曲がよく心の中をめぐります。

多分それは、相方さんが軽く酔うと、ピアノの前に座り、
必ずつま弾く曲だったからだろうと思います。
飲まないと恥ずかしがって弾かないので、
あまり他の人は聞いたことがないかもしれません。

相方さんは歌うような、囁くような優しい音色で弾く人でした。
初めて持った自分のピアノを慈しむように弾いていました。
そして、この曲は相方さんの大学時代に暮らした
金沢地方の駅の発車メロディでもアリマス。

この時期は相方さんを深く思い出します。
相方さんとの最後の季節が7月から11月だったので余計なのでしょう。
7月1日に入院して11月19日になくなるまで、
私は闘病日記を書いていました。だから日々の思い出が鮮明なのです。
ふとしたことで、いろんなことを思い出して悲しくなってしまうのです。

今年はなんだかそんな思いが深く、6月くらいから心身共に思わしくなく、
なかなか復活できなかったのです。なんだか気持ちがしんどくて。
あれも、これもしたいのに、何もできない日々が2ヶ月近くも続きました。
手紙もかけず、本も読めず、手仕事もできない日々でした。
夏のお便りなんて、張り切って6月半ばには用意したというのに
未だに何もかけていない有様です(ーー;)
(皆さん( TДT)ゴメンヨー、秋までには届けたいです)

昨年もじつはそうだったのですが、今年は家族が近くに居てくれる為、
実家にいても、自宅にいても、ほぼ毎日顔を合わせるし、
家族のためにお洗濯や、食事を作らせてもらったりしているので、
心身不良でも、そこだけは頑張ってやることができて、
どんよりとただ寝たきりにならず良かったと思っています。

もうすぐお盆で、相方さんたちのお盆準備をしなくてはと思い、
昨日、やっとペンを握って、文章を書くことができました。
書いたのは「写経」です。

そのせいでしょうか、今朝は相方さんが出てきてくれて、
いつもより、たくさん、たくさん、笑って話してくれました。
いつものように真面目に資料を読んだり、何か木から彫りものを作っていました。
最後は一緒に乗ろうね、と約束していた列車に乗りました。
とても嬉しかったです。




『暑いからお昼寝しゅるのだ byぴぴ』


どうして写経を書くようになったのかと言うと、10年前にさかのぼります。
あれから、もう10年経ったんだな、と思うと感慨深いことですが。

10年前に亡くしたソウルメイトのG君の葬儀までの日々の中、
たくさんの仲間である俳優たちが、数日間を彼と過ごしたのです。
交代で夜も彼と語りながら、ろうそくの火を絶やすことなく、
それぞれの信じる宗派の祈りなどを捧げた美しい愛のある日々でした。

そんな中、とても彼を愛してくださり、
私も心から尊敬する俳優のI川Z先輩が、
とても多忙な中、何度も来てくださったのです。
すぐに駆けつけて来てくれたとき、写経を書いてきてくださいました。
そして、お通夜から葬儀にかけても、多くの仲間と一緒に、
葬儀会場に泊まり、彼のそばにいてくださいました。
ぴーちゃんも喪服を着て、会場にずっと居ました。

その時、Zさんは自分で作られた写経用紙をお持ちくださって、
私たち仲間は彼に最後の手紙として写経をしたのです。

それ以来、写経は私の人生の中で特別なものとなりました。
Zさんはその後も店に作られたGくんの祭壇用のお鈴なども選んでくださいました。
ミュージカル俳優が選んだだけある、深く心にしみるような音色の鈴でした。





相方さんが亡くなった時、私は仕事では
相方さんの専属マネージャーやスタッフではありましたが、
以前のプロデューサー的なスタンスとは大きく違って、
共演俳優さんと個人的な仲間としての仕事をする形を
全くと言っていいほど取っていませんでした。

相方さんの仕事のスタンスが、プライベートと仕事場で
はっきり違う形を望んでいたこともありますし、
私自身もミュージカルではなく、ストレートプレイという
未知の世界で、一から学ぶことのほうが多くて余裕もなく、
あくまでも裏での仕事に徹したいと思っていたからです。

また、相方さんは亡くなった次の朝、東京を発ったので、
親しい人の一部の方としかお別れできませんでした。
葬儀も東京でなく、彼の実家のある関西だったため、
彼の仲間である多くの俳優さんは誰も来ることができませんでした。
そのため、私は知っている人が本当にいない中で葬儀に出ました。
関西の親戚や友人の方々は俳優活動をほとんど知らずにいて、
誰とも俳優である彼の死を話すことができませんでした。
また東京に戻ってからも、相方さんの居なくなった状態では、
お仕事させて頂いた、多くの俳優さんとは、
個人的にほとんど話すこともありませんでした。
昔からの親しい方が多い、良い葬儀でしたが、
違う生活を共に作ってきた者なりの寂しさがありました。

とにかく、それから周りに誰もいなくなってしまったのです。
それまで裏にいたため、本当に親しくしていた一部の人以外、
そういう方から見ると立場や状況など、私がいろんなことが微妙で、
さらに、同業で、いずれも顔見知りの人との二度目の死別ともなると、
私に何をどう話していいものやらと周りも思ったのかもしれません。
ただ相方さんと共に親しく関係を築いてきたと思っていた方も
相方さんが亡くなってしまうと、連絡してもお返事もなくなり、
住所すらわからなくなり、とうとう疎遠になってしまいました。

ああ、そうか、皆の中では相方さんとの思い出だけがあればいいのだな、
私は彼と居たから話をしてもらっていただけだったのだ、
と気づき、私自身は本当に彼と一緒に精一杯走った日々だったから、
10年を一瞬で失ったような気持ちでがっくりと生きる日々でした。
(まあ、勝手にそう思って落ち込んでたんです、、、ーー;)

きっと、優しい相方さんはそんな状況にいる私をきっと心配して
もっと自分がほかの人との間に入ってあげてれば良かった、
もっと現場でみんなと親しくなるようにしてれば良かった、
自分のせいだと思って悲しんでいるだろうな、申し訳ないな、
と考えては涙するような、一人の孤独な、孤独な日々。
なんですかね、この孤独と不安はね。
その線上に今もいることは確かみたいです。

ただ、救いはありました。
長きにわたって、私と友情を結んでくれた人々や、
本当に彼の真意を汲み取ってくれていた俳優さんや、
以前のソウルメイト時代の仲間たちは、今も変わらぬ友情で結ばれています。
(会わなくても、声を聞けなくても、それはわかるのです。)
そのみんなが、10年前、そして、事あるごとにかけてくれた言葉、
また、辛い日々の中で、親しくしてくださった大家さんたち、
相方さんの死をきっかけに声をかけて下さる相方さんのご友人など、
そう言う人たちがかけてくれた小さな言葉たちが
この、どん底ともいう様な気持ちでの2年を支えてくれました。


ZさんにはG君を見送った時も、たくさんの言葉をかけていただいて、
そして、その後も会うたびに心ある言葉をかけていただいて、
今もそれが心の大きな支えになっているのです。

もちろん、Zさんだけでなく、本当の仲間たちが声をかけてくれた
言葉たちの優しさ、強さが2度目の別れを迎えた私を、
こーして今も支えてくれているのは間違いありません。





そんな出来事がきっかけで、私は宗教は特に持ちませんが、
命日、お盆、お彼岸という日本の祈りの節目には
亡くなった方々の平安を祈り、写経をするようになりました。
手紙の代わりに書くのです。

同じように、私はキリスト教の死者の日にも祈りを捧げます。
世に生きている人々が亡くなった方に意識を向けるときの祈りは
特別に大きな愛が届くような気がするからかもしれません。

こういうことを書くと、そんないい加減な意識でいいのか、
と思われるかもですが(^◇^;)私はそれが善いと思ってます。

この頃、中には宗教や思想というだけで、バカだの狂ってるだのと、
自分の信じる考えをのみを基準に批判をされる方もいるし、
差別を生んでるとは思わず、批判する方もおられると知りました。
私は、「どの言い分も自分信仰じゃん、宗教となんら変わらないよ」と思っています。

これまで、たくさんの真面目な(笑)宗教家や思想家やリアリスト、
学者や医者やスピリチュアリストに一般の方々と
それぞれに親しく深く関わり、それなりに学んだせいかもしれませんが、
そういう色んな人の生き方や考え方にも沢山学びました。

そして、どんな人も自分の人生は真剣なんだな、って。
その上で、人は求めるものがあるんだなと。
それが宗教だったり思想だったり仕事だったりする。
だから、それぞれがこれは善であり、愛だと信じることを
他人がとやかく言うことはないんだな、と思う様になりました。

あ、いくらなんでも殺人とか、犯罪に手を染めたら、
そりゃ、あんたダメだろ、ってはっきり言いますけどね(^◇^;)


最近、世の中には大勢の前では仏様のように居て、
裏側では自分の基準にあわなくちゃ片っ端から誹謗中傷する人、
って言うのがいるのを知りましたが、結構いるんですね、そういう人って。
しかも、肯定してもらって安心したいのか、人にも言うんですね。
まあ、言われてる人も同調されているので、構わないのだろうけど、
傍から見ていると、まるで、ワイドショーを見て文句言ってる方々のよう(^◇^;)
いろんな方がいるもんですが、そう言う人は、きっと私の話なんか読んだら、
自分が批判されたように受け取って、おかしい人って言われるのだろうか(; ̄ェ ̄)
ただの個人的な感想なだけで、その人の考え方は全く否定してないのだけど。
愛って言葉の乱用だ、とか言われるに違いないかしら(笑)

でも、人が真理を知るための愛の形というのは、
それぞれの道に、必要な形で置いてある気がするのは私だけかな。

身近に神道の神主さんになろうかという青年が2人ほどいて、
親友がご家族を神式でお見送りしたこともあり、教えてもらったのですが
神道には戒律というものが、ないんだそうですよ。
教典も教祖もなく、大和民族本来の信仰の姿が神道という宗教なのだそうです。
「直正浄明」ということばがあって、これが神道の基本だそうで
人として直く、正しく、浄く、明るくありなさい、ということだそうです。
神さまや自然を敬う心、ありがたいと感謝する心があればよいそうです。
ですから何をしたから罰する、とか罰されるからこれをしろ、というのは違うのです、と。

私の中にある善なる聖なる気持ちの有り様にも通じるなぁ、と思って聞きました。
人の心がこうであればいいのになぁ、と思ったりしちゃいました。
まっすぐに、きよらかに、正しく、明るくあろうとする。
ありがたいと感謝して生きる、なんて素敵なことだろう。

疑問なのだが、今の世の中は(嫌、ぜんぜん前からかもなんだけど)
どうして自分が持ってる善きものを喜んで分かち合おうとしないのだろうか?
放射能対策一つにしても、どうして無償で広めて皆を救おうとしないで、
関心のない人をB級な人間だとか、ただで教えてもらおうなんて
厚かましい人間だ、と言い放つのか、私にはわからない。

重要性を気づかない人にこそ、一生懸命分け与えないと、
ほっておいたら世界は危険になるばかりで変わらないんじゃないの?と思ったりする。
神経がやられているとか言うのなら、解るように何度も教えてあげたらいいのに。
頼られる人がいるのなら、声をかけられる立場なら、
なぜ頑張って助けてあげないのだろう?
そう言う人こそ助けるべき場所にいられる人なのに、
なんで最初から批判して、切り捨てるようなことするのかな??
人命に関わることだからこそ、大切なことだと思うけどなー。
その言い訳が、わからない人に言っても仕方ない、なのかな?
そこが私には良くわからない。

でもさ、大体、人は人の無欲な尊い行いを見て、
心の奥が動かされるものだったりしない?
私はそうだけどな。それで思いが変えられるときもある。

私はこうしたのだから、この人もこうあるべき、なんて
個人を欲を満たすだけの条件を持つ、見返りを期待する人は
ボランティアなんかしちゃダメだ、人と関わるのだからリスクもあります、
してあげるという意識の人にはボランティアはできません、
とボランティア協会の偉い方があるとき言ってましたが私も同意です。

私の先輩や仲間たちもボランティアの為の大きなチャリティショーをやっていますが、
いろんなリスクをしょって、いろんな困難もあるけれど、
それはボランティアをやる以上、当たり前だと思ってやってらっしゃいます。
もちろん出演者は無償だし、出資だってする。

心友も自分のバイト料以上の出費が出て行くけれど、
自分の仕事をしながら、毎日、ホームでお世話をしています。
理由は、そんな人も必要だから。
とても喜んで、やらせてもらっているの、と言います。
そう言う人もたくさんいるのにな…(m´・ω・`)m

批判意識の強い人たちが、自分の側から見て基準を決めて
差別や争いを産んで壊してく気がするのは私だけだろうか?
違って当たり前を受け入れられないと、周りは敵だらけになる。
私はそういうのを見てて、日本の危機さえ感じる。
だって、幸福も不幸も伝染病だから。人の心が心にうつすのだし。
私は憎しみがはびこる、そんな世の中になってほしくないな。
世界中に友達もいるから、世界とも争いはしたくないデス。





私の人生のバイブルともなる本はいっぱいある(笑)
そんな中に三浦綾子さんの「道ありき」がアリマス。

その中に、白洋舎の創業者である五十嵐健治さんにもひどく感銘を受けました。
私はキリスト者ではないけど、仕事をするにも、生きるにも、
ボランティアをするにもこんな気持ちを持って一生を送りたいと思っています。


「道ありきより抜粋」

彼は29歳まで三越に勤めた後、独立を志した。
その独立の第一の理由が、日曜日に教会に行って礼拝したいことにあったとか。
独立する仕事を探すにあたって、五十嵐先生は次のような基準を定められた。

1.日曜日の礼拝の妨げにならないもの
2.永年お世話になった三越の営業と抵触しないもの
3.三越をお得意様として、いつまでも出入りできるもの
4.資本の多くかからないもの
5.虚言や、かけひきのいらないもの
6.人の利益になって、害にならないもの

世の常識から言えば、自分の経験を生かして独立するのが当然なもの。
呉服店に勤めていたなら、呉服物を扱い、食堂に勤めていたなら、食堂を開く。
これはのれんわけという慣習にも現れている。

しかし、先生は違った。十年の経験を惜しげなく捨てた。
少しでも三越の営業にさし障りのある仕事は、選ばれなかった。
以上の基準であれこれ独立の職種を考えた結果、
クリーニング業を始めることとなったのである。

「洗濯屋、近所の垢でめしを食い」
という川柳があったほど、洗濯業は人の好まない仕事であったという。

しかし先生は
「自分のような学問も才能もない者が、人のやりたいと思う営業では、とても群を
抜くことはできない。人の好む仕事よりも、好まない仕事をやることだと思いついた」

最初、先生は日本一の呉服店に勤めていたので、
洗濯屋になることは何となく恥ずかしいような気がしたそうである。
だが先生は
「人の垢どころではない、人類の汚れた罪を一身に引き受けて、
十字架の苦しみと恥辱を受けたもうたキリストを思ったとき、
自分のごとき人間が、人様の垢を洗うことが、何で恥ずかしいことがあろう。
洗濯業は神から与えられた聖業である。この仕事に生涯を打ち込もう」
と決意されたという。

先生は、僅か創業一年にして、日本におけるドライクリーニングの創始者となられた。


こんな仕事や生き方を喜んで選びたいと思っています。
とは言え、ヤクザなあたしです(^◇^;)

はっきり言って、私はおバカさんはマジで嫌いだけど(; ̄ェ ̄)、
だからって、自分の好き嫌いで人前で相手をバカ呼ばわりするほど、
おバカなことはないのではないかい?、と思ってます。
どれだけ、言ってる方が偉いのかわからないけれど、
まあ、すごい嫌な思いをしたから言うのかもしれないけど、
あたしは自分がどれだけ偉かったとしても、嫌な思いしたとしても、
人として、そんな発言はしたくないデス。
相手を思っての愛あるダメだしや「このバカ~」ってやつならわかるけど、
そんな人の言う「バカ」って言葉は私には全く解りませんのデスヨヽ(´ー`)ノ
ご自分に対して言っているようにさえ聞こえてしまいます。

ずいぶん高みからの発言に聞こえるかもしれませんが
これは世界の高みからのみ、発言される方に対する私自身の答えです。
あくまでも、そんな人には、私、こう思うわ、ってやつです。
皆さんに私の考え通りにそう思いなさい、っていうことではないので(´∀`)

基本がこういう考え方なので、この思想がどうだこうだ、宗教がああだこうだ、
どっちがすごい、とか、これが正しい、とか、アレコレ語るよりも、
何かに触れた時に、自分の魂が「ああ、これは愛があるな」
と思えることに素直に同調したいなぁと思うのです。
それが写経だったり、祈りであったりもする、ということです。
私にとっての善なる働きなのです。





同じように、疑問を持つことは、自分でよく調べるようにしています。
あるひとつの組織や意識の中にいると、自分を失いやすいから、
自分が目覚めているには、そういう作業ってとっても大事な気がします。
病んでるからこそ、そう思うのかもしれないんですけどね(^_^;)

最近、よくコレは危ないと思うものを目にするんです。
例えていえば「過信の姿」とかデス。
そういうものには、とてつもない不安を感じるので、
自分の中でだけでも、気をつけようと思っています。

そんな中で気づいたのは、今ってホントに便利なんだな、って事です。
え?今頃?と思われるかもしれないんですけど(^◇^;)

料理本とか見てもね、本当に違うんですよね、昔と。
今はネットもあれば、調理器具もいっぱいあるでしょ?
電子レンジとかも普通にあるじゃないですか?
だから、昔は時間かけないと作れなかったものが簡単に出来るの。

それはそれですごく便利で助かる事なんだけど、
それがあるから、人はいろんなものを探さなくなった気がする。

いや、それがあるから、ではないな、そのモノのせいではなくて、
人がそういうものに頼ればいいや、って心になったから、
そういうものを手放して失った、って言えばいいのかなぁ…(´・_・`)
しかも、それはモノだけに留まらない。

例えば、私たちの時代にはPCなんてなかったから、
何か知ろうとしたら、調べるのにものすごく労力が必要だった。
あちこちの図書館を回って資料を探したし、
いろんなところに電話をかけて聴いたり、資料を取り寄せたり、
田舎であれば、なおさらに時間がかかった。

でも、そうだったから、時間を無駄に出来なくて、
一瞬、一瞬を大切に使って、得たことは忘れたりしなかった。
そんな流れの中で、人にお世話になったり、迷惑かけたりして、
人様との距離や礼儀も覚えていったし、覚えなくては始まらなかった。
覚えるためには努力が必要だった。

でも今は違う。
いつでも知りたいことは簡単にできるし、手に入るから、
それを得る努力をしない人が多い。
それなのに、出来ないと言って凹む。
そりゃあ、当たり前だよね。
知ることだけで、できるようになる努力してないんだもの。
というか、今の時代は、出来るようになるチャンスを
自分自身で失っていってるんだなぁ。きっと便利すぎて。

また、子どもに関わってると、当然、親にも関わるけれど、
大人も相当、自己意識が低いなぁと感じることがあります。

そういう大人は、子どもは学校が育ててくれるものだと思っていたり、
何かあれば、時代が違うから仕方ないとか言ってみたり、
自分の気に入るものばかりを与え、気に入らないことはダメというのに、
自分がめんどくさい問題になると、本人のことだから、
本人が気がつかないと、どーせダメでしょ、としっかり向き合わない。

世の中に「こんなことしたらダメ」と、自分のポリシーの元に言える親は
全て消えてしまったんじゃないかい?とすら思ったことがある位、
幼稚園や学校やお教室で出会った、大きい人、小さい人は、
ココロの真ん中がふにゃりとしてて、打っても響かなかったなぁ…(m´・ω・`)m

そういうことがね、とっても淋しいなぁと感じるんです。
いつの間にか、時代に合わせて大人が変わっちゃったんだなぁ、
とかも思ったりします。

子どもが自分を探せないのはそれもあるよね。
だって、ポリシーもアイデンティティももたない大人を見ても、
子どもだって、感動できないもんね(; ̄ェ ̄)
いまの世代の親御さんとか、子どもたちとか、若い人とか、
冷静に見てるとそう思うことが多いです。

私は有難いことに、金銭的に苦しい状況で育ったことや、
中学の頃から働いたり、学費を作ったり、家族に仕送りしたりして来て、
ある程度の年になってからは、自分のなりたい職業を目指し、
その世界に入り、本当に厳しい環境の中に暮らしたので、
今となれば本当にそのことがあったからこそ、
多くを学ばせていただいたことが分かります。

自分の目指す目標というものがはっきりしていたし、
持っている才能が分かっていたので(つか、それしか考えなかった)
自分がやることに対して迷いもブレもなかったし。

ぶっちゃけ、そんなことは絶対無理な環境だったから、
そこを抜ける為に、どうしても夢に到達するために、
本当に本当に死ぬ気でがんばれた。
頑張ってきたから、今も頑張ることができる。

入った場所も厳しい環境で、周りにガッツリ鍛えられながらきたから、
学ぶことに必死になれて、諦めることや、悩むことなんか
これっぽっちも考えることがなかったから良かった。
実際、そこに行けることが、夢のような話だったから、
出来ないってことすら超えてくのが楽しかったもんなぁ。


個人で仕事をするようになってからは、いくつかの店の経営を経て
人をまとめていくこととか、そういうリーダー的な位置での活動や、
教師として指導していくって言う難しさにもチャレンジさせてもらえました。
でも、結局、教わったのは自分だったなと思います。


今の時代はきっと余裕がありすぎるのかもなぁ。いろんな意味で。
あたしは人生を生きる上では不器用で融通のきかないおバカさんだろうから、
現に今も苦しい、貧しい生活だけど、それでもイイなと思う。
好きなことをして、自分のポリシーを守ってるとそうなるんだから仕方ない(^◇^;)
でも楽したいがために人を踏んで歩いたりするよりは、踏まれたほうが全然マシ。

そりゃ、楽は出来たらすごく嬉しいけどもー(*゜▽゜*)
でも、そんなんで、ぼーっとして自分をなくすより、
苦しくても自分が立ち向かえる場にいたほうがいいなと思うのです。

もしね~、恵まれまくっちゃって、この後の人生で楽できる人になれたら(笑)、
自分の才能をフルに使える仕事をして、少しでもいいので人様のお役にたてたらイイな~。
そして今度はその自分に与えられた「楽」のタネをみんなに蒔く人になりたいなぁ~
なんて思っちゃいますけどねぇ~(*´∀`*)本当にそんなんなったらいいのォ(*´ω`*)
いや、なるね(笑)だって、そうなりたいって言って叶わなかったことないし(ホント)
言っとけば実現するでしょう!(*^^)v

とにかく、あたしはすごい幸せ者だなぁ~とか、
ホント、自分の意志をしっかり持つ事とか、
目標をしっかり持つってのは大事なことなんだな~、
自分力って、人間力につながってんだなぁ~、
って、思う今日このごろでゴザイマスわ。

そんなこと言ってて、今や不安症に襲われながら生きる病人(´д`)
大したことはできません。家族の連絡が来ないだけでパニックします。
もう心配で不安でたまりません。
まあ、ボロボロっすね。。。。。(; ̄ェ ̄)

そんでもね、アタシ、自分は捨てないの。
元の私に戻れなくっても、これからの生き方がボロ臭くてもいいの。
そんな自分でも欠片でいいから、自分を拾って、
弱々しくてもイイ、それを掲げて生きていきたいと思うのデス(*´∀`*)
それが、私の前にある道なんだから乗り越えるしかない。
乗り越える方法を私なりに見つけていく中に必ず私が現れる。
それは間違いなくそうだから、這ってでも行くのだ。

だってさ、中途半端なんかで生きらんないでしょ?
いい加減になんて、時間無駄になんてできないでしょ?
志半ばで逝った人はどうなるの?
波にさらわれた人は?病気で逝った人は?
やりたくても、どうしてもできない人だっている。
必死に生きたかった人はたくさんいるのに。
それが天の宿命であったとしても、
その時にまで必死で生きたかった人はたくさんいるのに。

そんなくだらない生き方、失われた魂やできない宿命の人に申し訳ないよ。
私はそんな人たちに支えられてイノチを繋いでる。
だから、できない。そんなことは。
だから、あたしは、
気持ちだけは強気なのだ(ノ∀`)




スミマセン、読み返せば、愚痴ってばっかでした。
でも、コレは私の中の言葉ですのでご容赦をm(_ _)m


なんか聞けば、宇宙を生んだ大いなるチカラは
今、地球の人々を振り分けているそうな。
愛を持つものと、憎しみに染まるものに。

さて、宇宙の愛とは何を指すのだろう?


ああ、なんか話が長くなってしまいました。
今日はここまでにします(^◇^;)