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医者のオフィスに保管されていたアインシュタインの脳

2015年04月14日 | 面白画像

 1955年4月17日、偉大な天才科学者であるアルベルト・アインシュタインは、胸の痛みを訴え、プリンストン病院で検査を受けたが、翌朝、腹部大動脈瘤破裂で帰らぬ人となった。享年76歳。しかし、とんでもないことが起こった。世界一の知性の源であるアインシュタインの脳が盗まれたのだ。

 4月18日の早朝、プリンストン病院の病理学者トーマス・シュトルツ・ハーベイ医師が、アインシュタインの臨終に付き添っていた。本人は許可を得たと言っているが、勝手に解剖を始め、死因を特定してから、アインシュタインの脳を切除して測定したり、重さを測ったりした。だが、今日に至るまで、解剖を許可した書類や記録は残っていない。

 ハーベイは脳をホルマリンのビンに入れ、さらにアインシュタインの目も摘出して、眼科担当医だったヘンリー・アダムズに送った(眼球はニューヨークシティのどこかの貸金庫の中に保管されているという噂がある)。そして残った遺体を返して火葬にしたという。脳と目の摘出は、アインシュタインの遺言に反している。彼は全身を火葬にして、崇拝者が騒がないよう、灰を秘密裏にまいてもらうことを希望していた。故人の意に反した解剖をしただけでなく、ハーベイには法的にも医学的にも脳を保存しておく権利はなかった。

 最終的に、アインシュタインの心臓を科学の研究のために慎重に活用することと、発見したことを正統な科学雑誌で発表することを条件に、ハーベイはアインシュタインの息子ハンス・アルベルトから脳の所有の許可を与えられた。4月20日にニューヨークタイムズにアインシュタインの訃報が出たとき、息子から許可を得てドクター・ハーベイが解剖を行ったとあったが、後から許可が出たことにはふれていない。

 ハーベイは、プリンストン病院を解雇されるまで、脳をビンに入れて自分のオフィスに保管していた。その後、彼は脳とともにペンシルバニア大学へ移り、脳組織を多数のスライスやブロックに切り刻んで、サンプルとしてあちこちに配った。自分ではホルマリン漬けのビン2つだけをとっておいたという。

 ハーベイは2007年に死んだが、亡くなる前にアインシュタインの脳を、50年以上前に事件の発端となったプリンストン病院に寄贈している。再び世間の関心が集まり、脳のスライスを受け取っていた研究者たちは、プリンストン病院やペンシルバニア大学にそれを返した。今日、ハーベイの手書きのメモなどと一緒に、アインシュタインの脳の数片を見ることができるのは、フィラデルフィアにあるムター博物館だけだ。

 



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