のニューイヤーコンサート、見たり見なかったりですが、今年は3分の2ほど見ました。
ウィンナ・ワルツやポルカは普段鑑賞しないジャンルですが、今年はバレンボイムが面白いプログラムを組んでいて、中にジプシー男爵序曲とハイドンの「告別」が入っています。しかし正月といえど暇で困っているわけではないので、ジプシー男爵序曲まで聴いて、あと一番おいしそうな告別を含む残りは録画にして、別のことをし始めました。本当は告別を見てから感想を書きたかったのですが、いつになるかわからない(結局再生しない確率が高い?)ので書き始めてしまったわけです。
いつもながらウィーンフィル自家薬籠中の曲目、音楽が本当に生きています。もちろんバレンボイムの指揮のなせる業ですが、それだけでもないかもしれないとも思います。というのは、調べればすぐわかることですが多分バレンボイムは初登場(かそれに近い)と思います。マゼールのように長いことやれば、彼の指導のなせる業と言い切れると思いますが、ウィンナ・ワルツやポルカ、これらのリズムの揺らし方はものすごく微妙です。それを大ざっぱに言うと、ズンチャッチャーの3拍子の第2拍のチャッだけ、ごくわずか早めに入れるのです。ポルカの場合は裏のリズムをごくわずか短めにとります。もちろんそういう風にシーケンサーやコンピューターに自動的にやらせるのではダメで、もうどこをどう揺らしたか分析が追えないほど逐一変えて行っています。
こんな微妙な生き物のようなリズム感、あらゆる拍をバレンボイムがこと細かに指定しているのでしょうか? まるで酒場のカラオケ客のように楽しそうに演奏するウィーンフィル楽団員の様子を見ていると、もう長年のことで自然に身についてしまっているのではないかという気がします。あとはバレンボイムが大ざっぱな指示を与えれば、細かいところは自然演奏、ではないのかなぁ。
ところでジプシー男爵ですが、20年少し前、ウィーンのフォルクスオーパで見たことがあります。総合芸術としてはそのとき大変満足感を覚えましたが、演奏会としては、今回の序曲の衛星中継の方がはるかにいい音響を楽しめました。そりゃ舞台前のオケボックスの見えないところから聞こえてくるよりはムジークフェラインのホールの方がいいに決まっていますが。後者の音響を持つオペラハウスというのは、ないものねだりでしょうか?
ウィンナ・ワルツやポルカは普段鑑賞しないジャンルですが、今年はバレンボイムが面白いプログラムを組んでいて、中にジプシー男爵序曲とハイドンの「告別」が入っています。しかし正月といえど暇で困っているわけではないので、ジプシー男爵序曲まで聴いて、あと一番おいしそうな告別を含む残りは録画にして、別のことをし始めました。本当は告別を見てから感想を書きたかったのですが、いつになるかわからない(結局再生しない確率が高い?)ので書き始めてしまったわけです。
いつもながらウィーンフィル自家薬籠中の曲目、音楽が本当に生きています。もちろんバレンボイムの指揮のなせる業ですが、それだけでもないかもしれないとも思います。というのは、調べればすぐわかることですが多分バレンボイムは初登場(かそれに近い)と思います。マゼールのように長いことやれば、彼の指導のなせる業と言い切れると思いますが、ウィンナ・ワルツやポルカ、これらのリズムの揺らし方はものすごく微妙です。それを大ざっぱに言うと、ズンチャッチャーの3拍子の第2拍のチャッだけ、ごくわずか早めに入れるのです。ポルカの場合は裏のリズムをごくわずか短めにとります。もちろんそういう風にシーケンサーやコンピューターに自動的にやらせるのではダメで、もうどこをどう揺らしたか分析が追えないほど逐一変えて行っています。
こんな微妙な生き物のようなリズム感、あらゆる拍をバレンボイムがこと細かに指定しているのでしょうか? まるで酒場のカラオケ客のように楽しそうに演奏するウィーンフィル楽団員の様子を見ていると、もう長年のことで自然に身についてしまっているのではないかという気がします。あとはバレンボイムが大ざっぱな指示を与えれば、細かいところは自然演奏、ではないのかなぁ。
ところでジプシー男爵ですが、20年少し前、ウィーンのフォルクスオーパで見たことがあります。総合芸術としてはそのとき大変満足感を覚えましたが、演奏会としては、今回の序曲の衛星中継の方がはるかにいい音響を楽しめました。そりゃ舞台前のオケボックスの見えないところから聞こえてくるよりはムジークフェラインのホールの方がいいに決まっていますが。後者の音響を持つオペラハウスというのは、ないものねだりでしょうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます