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詠里庵

2022年の墓碑銘(4ヶ月遅れゴメン)

2023-04-29 08:35:43 | 日々のこと(一般)
年の瀬にこのブログ恒例の「今年の墓碑銘」です。主に科学分野と芸術分野から合計10人(今回は11人)、独断で書いています。昨年末から4ヶ月も経った今頃この記事をupするのは、たまにはパスワードを変えようという余計なことを考えたところ、それに必要なワンタイムパスワードが以前のパソコンでしか受からないアドレスに来ていて手間取ったというわけです。

[0]島岡譲((しまおか・ゆずる、2021年9月30日。日本の作曲家、音楽学者、音楽理論家。享年95歳)
今回、番号を[1]からでなく[0]から始めるのには理由がある。島岡氏が亡くなったのは2021年9月なのに、訃報の報道があったのが2022年2月になってからだった(たとえば2月4日朝日新聞<https://www.asahi.com/articles/DA3S15194138.html>2月5日日経新聞<https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE050S50V00C22A2000000/>)ので、本来2021年の訃報で記すべきところ今回とりあげる他なかったからである。そこで番号も[1]でなく[0]とした。
 さて、どういう人だったかというと、詳しくは窮理第5号に書いた音楽談話室(五)「和声学と量子力学」を見ていただくとして、およそ1964年から約半世紀もの間、藝大に限らず日本で和声学を学んだ作曲家・演奏家・音楽家の大半は、島岡謙が著した「和声 理論と実習」のお世話になっているはずだ。2017年から藝大では気鋭の林達夫が著した新しい和声学の教科書を使っているが、その前の長い時代、現代音楽からポップスに至る日本の作曲家・編曲家のレベルの高さを見るにつけ、島岡謙の貢献は大きいと言わなければならない。門下生には池辺晋一郎、大島ミチル、野田暉行(本稿[8]参照)、八村義夫、久石譲、廣瀬量平などがいる。なお、島岡本にとって変わった上記の新しい教科書についても窮理第5号を参照されたいが、島岡版に比べ楽譜の掲載例が一新されたこと、フォーレ終止など新しい題材が収められていることなど、よい点も多々あるが、和音を数字(バロック音楽の通奏低音で用いられる)で表記しているのをどう思うか知り合いの藝大生や若手にインタビューしたところ「それがイマイチなんですよ」とのこと。つまり和声の機能(カデンツ終止であるとかナポリ6の和音の役割など)が数字表記では瞬時にわからないという意見だ。この点は島岡流の独特の記号表記の方が優れている。(ただしこれはこれで、日本以外で通用しないとか、フォントがないので楽譜ソフトで扱えないという不便さはある。最近はフィナーレなどでフォントが出回り始めたとも聞くが。)


[1]リュック・アントワーヌ・モンタニエ(Luc Antoine Montagnier、2月8日。フランスのウイルス学者。享年89歳)
これは曰く付きの人だ。前世紀末にエイズウィルス発見の先陣争いでモンタニエ博士とアメリカのギャロ博士が熾烈な争いを展開したが、これはノーベル賞争いより先にワクチンの利権争いを起こした。結局レーガンとシラクの両大統領にまで達した争いは、高度な政治的決着の結果、引き分けとなった。しかしその後の2008年のノーベル医学・生理学賞ではモンタニエが受賞するに及び、ノーベル賞の争いはモンタニエに軍配が上がった。当時見た感じは柔和で理知的なモンタニエに対し攻撃的なギャロという印象だった。
 その後、モンタニエは、なぜかわからないが似非科学の世界に浸りこんで目立つ活動を展開したようで、ノーベル賞の権威も地に落ち、どこからも声がかからなくなってしまった。世に晩節を汚す例を見るたびにこうはなるまいと思うが、まさかモンタニエがそうなるとは思わなかった。


[2](やまもと・けい、3月31日。日本の俳優。享年81歳)
芝居好きでもない私が若いころ山本圭の名を耳にしていたほどの俳優だったので、相当有名だったのだと思われる。芝居好きの友人に誘われて俳優座の「お気に召すまま」を見に行ったとき、配役達の中で知っていた唯一の俳優だった。俳優座主催のこの芝居は4人の女性役をすべて男優が演ずるという、なんでもシェークスピアの時代を模したやり方だという。歌舞伎みたいですね。主役のロザリンド役は堀越という、ただの一度も噛まずにものすごい早口で喋りまくる(しかし話す内容は明確に聞き取れる)若手(当時)の切れ者で、驚くばかりだったが、準主役のシーリアを演じたのが山本圭だった。とても味のあるユーモラスな掛け合いで応じていた。芝居は面白いんだなぁ、また見たいなぁと思いつつ、何十年も見ていない。


[3]見田宗介(みた・むねすけ、4月1日。日本の社会学者。享年84歳)
珍しく理系でない学者をとりあげるが、これまた私の若いころの思い出だが、私が入学した頃からカリスマ的存在だった。先輩学年からガリ版刷りでオススメ授業の一覧が配られたが、「見田宗佑を見たか? 見たぞ。見田だぞ!」という謎のコピーと共に絶賛されていた。ためしに1回聴きに行った授業の印象は良かった。内容は覚えていないが、柔和なものごしと理路整然とした解説ぶりが記憶に残った。ご本人は真っ当な学者なのに学生達が騒ぎすぎて却って足を引っ張っているのではないか、と若干思ったことを妙に覚えている。


[4]尾身幸次(おみ・こうじ、4月14日。日本の政治家。享年89歳)
尾身さんはいろいろ重要な役に就いておられるが、第2代科学技術政策担当大臣が印象に残っている。日本経済新聞社の年末の懇談会(今でもやっているのかな?)に数回出席したことがあるが、そのひとつで冒頭の挨拶をされていた。科学技術政策をとても真摯に掘り下げておられる様子が伝わって来た。
 尾身さんはOIST(沖縄科学技術大学院大学)の立ち上げにも尽力し、設立メンバーの写真に入っている。この大学院大学は日本としては類を見ない、事務職員まですべて英語ペラペラ、研究者が書く事務書類もすべて英語書式。だから実績ある外国人も抵抗なく応募してくる。


[5]野島稔(のじま・みのる、5月9日。日本のピアニスト、享年76歳)
大変なテクニシャンである。しかし技巧一辺倒でなく、音楽を奏でる。この人の演奏するラヴェルやリストやロシアものの協奏曲はとても味があって納得が行く。それを支える安定したピアノ技巧とその炸裂が素晴らしい。


[6]オリビア・ニュートン=ジョン(2022年8月8日。イギリス生まれでオーストラリア育ちのポピュラー歌手、実業家。享年73歳)
私がポップス歌手をここで取り上げるのは珍しいが、彼女の持ち歌「Xanadu」(ザナドゥ)は結構好きな曲である。
Xanaduといえば、光を用いた量子コンピューターを開発しクラウドサービスも提供している企業だが、オリビア・ニュートン=ジョンを検索すると、母方の祖父はアインシュタインとも親しかったマックス・ボルン (Max Bornドイツ出身のユダヤ系でノーベル賞受賞物理学者)と出る。何かと量子力学に関係がある歌手だ。


[7]レフ・ピタエフスキー(8月23日。ロシアの理論物理学者。享年89歳。イタリアのロヴェレートで死去)
ボース=アインシュタイン凝縮におけるグロス=ピタエフスキー方程式、および、液体ヘリウム3の超流動の研究で有名。まずグロス=ピタエフスキー方程式であるが、これは通常の3次元空間中の「時間に依存するシュレーディンガー方程式」のハミルトニアンに波動関数ψ自身の絶対値の二乗に比例する項が加わったもので、その結果、通常のシュレーディンガー方程式の中に(ψ*ψ)ψという三次の非線形項が入ることになる。その意味で非線形シュレーディンガー方程式と言ってもよい。実際そう呼ばれる場合もあるが、どちらかというと「非線形シュレーディンガー方程式」と言った場合、1次元空間における波動の伝搬(たとえば光Kerr効果すなわち三次の非線形性を有する光ファイバーを伝搬する強い光パルス)がソリトンになるという文脈で使われることが多い。3次元ではグロス=ピタエフスキー方程式と呼ばれることが多いが。
 もう一つの液体ヘリウム3の超流動だが、これはピタエフスキーがギンツブルクと成した成果で、液体ヘリウムで超流動が起こるのはヘリウム4がボース粒子だからだと思われていたところ、液体ヘリウム3(これはフェルミ粒子)でも起こることを示したものである。


[8] 野田暉行(のだ・てるゆき、9月18日。日本の現代音楽作曲家。享年82歳)
矢代秋雄に師事し西村朗を指導したという経歴が、なるほどねえと思える作曲家だ。この人のピアノ協奏曲は普通と違った意味で面白い。というのは、協奏曲というと普通は独奏とオケが対峙するものだ。対峙の仕方は、交互に入れ替わって互いに目立たせる対峙の仕方と、同時に拮抗して盛り上がって行く対峙の仕方がある。ラフマニノフなど両方を使う。しかし野田暉行のピアノ協奏曲は、なんとなくそよ風が行き交うように開始するオケに、すぐさまピアノが入って来るのだが、いつ入って来たのかわからないほど自己主張のない入り方だ。そのことが却って「今までに無いでしょ?こんなの」という自己主張に聞こえたりする。終始調性希薄な現代音楽にもかかわらず、聴いていて心地よい。次第に盛り上がったり沈静化したりはするのだが、必然的というよりは混沌としている。そこにはオケとピアノが交互に名乗り合う緊張感も、スクラムを組んで盛り上がる高揚感もない。あるのは自然の移ろいだけ。そう、山や谷や海に行って自然の美しさを味わっている気分だ。なかなか画期的なピアノ協奏曲かもしれない。よく聴くと独奏もオケも相当に演奏技巧を要する曲である。12分ほどの1楽章から成る短い曲だが、もっと長い曲を聴いたような充実感が残る。安川加寿子の名演に拍手。
 ところで野田暉行の曲の題の付け方は、副題を付けず「交響曲第1番」といった「絶対音楽」の題の付け方をする。師の矢代秋雄もそういう傾向がある。その点、今回[10]に書く一柳慧は対照的で、一柳は一曲一曲実験をしており、何の実験かを示唆するように「表題音楽」のような副題を付けている。


[9]ヴォルフガング・ハーケン(Wolfgang Haken、10月2日。1928年6月21日ベルリン出身、シャンペーン/イリノイに没した数学者。享年94歳)
1976年、同僚のアペルと共に四色問題を解決したことで有名。しかし解決したことそのものよりは、そのユニークな証明法の方が学問的には有名かもしれない。すなわち「あらゆる平面地図を大型コンピューター(IBMの、今はなきシステム370)で不可避集合と呼ばれる『これらの地図さえ四色で塗り分けられれば後はOK』という2000種類の地図に分類し、それらを片っ端から塗り分けて行った」という力技だ。エレガントな証明からほど遠いので「エレファントな証明」と呼ばれたことは半世紀経った今でも記憶に鮮明である。Wolfgang Hakenは子供達も科学者という科学者一家だ。従兄弟にあたる Hermann Haken(Max Planck研究所)は私も研究分野の一つであった「レーザー物理」で有名で、Hermannはその後「バラバラだった位相が揃って強いレーザー発振となる」現象をレーザー以外にも拡げ、Synergetics(協力現象の理論)に一般化した。


[10]一柳慧(いちやなぎ・とし、10月7日。日本の現代音楽作曲家。享年89歳)
現代音楽の作曲家として有名。ピアノ仲間の間では「ピアノ・メディア」(1972年)「タイム・シークェンス」(1976年)等の演奏至難なピアノ曲が有名。しかし決してミニマル・ミュージック風の音楽だけでなく、あらゆるジャンルで一つ一つ実験を試みるようなところがあり、何の実験かを示唆するような副題が大半の曲に付されている。たとえば交響曲「ベルリン連詩」(1989年)など。前出の「ピアノ・メディア」の楽譜にも「東京大学でモーツァルトのピアノ曲を説明抜きで聴かされた時、それがコンピューターによる演奏と見抜くことができなかった経験に基づく。コンピューター時代に人間が演奏することの意味を問うために作曲した」という前書きがある。それしか書いてないが、コンピューターが得意としそうなメカニックなこの曲をブラインドで聴いたに「それが人間による演奏と見抜くことができなかった」と言わせたいのだろうか。なんとなく昨今のChatGPT騒ぎを予見したようにも・・・高橋アキ(高橋悠治の妹)の名演に拍手。
コメント
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