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★つくる会会長「天皇に戦争責任」―杉原誠四郎の歴史観〈2〉

前回←クリック 紹介した「新しい歴史教科書をつくる会」会長の杉原誠四郎(本名・平田誠四郎)が「南京事件は、不名誉な事件であった」と書ている『日米開戦以降の日本外交の研究』という本は平成9年に出版され今でも売っています。杉原は昨年自由社から出した『保守の使命』では南京事件はなかったと書いていますが、これは「南京事件」の定義を大虐殺に変えたからです。学者の態度としてどうでしょうか。
 
「新しい歴史教科書をつくる会」の会長が満州事変以降を「十五年戦争」という左翼用語で呼び、南京事件はあった、不名誉だったと著書に書いているという事実に対し、善良な「つくる会」会員から「驚きました」という反響を数多くいただきました。驚くのはまだ早いです。杉原は先の大戦全般について同じような認識を示しています。まずこれをお読みください。
中国や韓国および東南アジアの諸国に、太平洋戦争にかかわって謝罪すべき行為があったことは事実だ。(杉原誠四郎『日米開戦以降の日本外交の研究』p118)

日本が軍国主義で悪徳の国家であったというアメリカの解釈、見方はまったく根拠のないものであったとは言えないが、(杉原誠四郎『杉原千畝と日本の外務省』p55)

日本が侵略戦争をしたと非難されたとき、総じては侵略戦争であると言われても仕方ないとしても、(杉原誠四郎『杉原千畝と日本の外務省』p62)

日本の為した戦争を総じては侵略戦争であったと言ってもよいが、(杉原誠四郎『杉原千畝と日本の外務省』p178)

著書を読むと分かりますが、杉原誠四郎は先の大戦を大東亜戦争と呼びません。「太平洋戦争」「十五年戦争」であり、そして「中国や韓国および東南アジアの諸国に謝罪すべき行為があった」「日本が軍国主義で悪徳の国家であったという見方はまったく根拠のないものであったとは言えない」「総じては侵略戦争であったと言ってもよい」と断言しているのです。
東条英機等、東京裁判でのA級戦犯が祀られていることに違和感が抱かれることも多いが、しかし第6章でも述べたように、ある基準からすれば彼らも戦争犠牲者として位置づけられる。そのために靖国神社に祀られることになる。しかしそのことと東条英機らの、日本を「完全ナル壊滅」になるかもしれない戦争に引き込んだ政治責任を問わないこととはちがう。いかに靖国神社に祀ったからと言って、それが直接彼らの政治責任を免責するわけではない。すでに彼らが政策決定にかかわる機関に就任したときには、すでに政策決定の範囲は狭かったと言えるとしても、アジア、太平洋に向けて侵略戦争と言われても仕方のない軍の侵攻につながる決定をしたことの、その責任を不問に付すこととはちがう。(杉原誠四郎『日米開戦以降の日本外交の研究』pxix~xx←伏せ字ではなく序文のページ

「太平洋戦争」は侵略戦争と言われても仕方なく、東条英機らはA級戦犯であり戦争責任があると言っています。
 
自衛戦争だと言い張るのは「能天気」だと、次のように書きます。
それほど簡単に自衛戦争だと言ってすませてよいのか。日米戦争は、推移によっては日本がさらに何倍かの犠牲者を出し、国家として崩壊し、したがって天皇制も崩壊し、今頃分断国家になっていた可能性もあった。そのような日本国がなくなるような戦争に踏み切っておいて、それでも自衛戦争だった、というだけですませていてよいのか。自衛戦争ならば、むしろ避けなければならない戦争であったろう。少なくとも、戦うとしても、日本が敗れた時の和平交渉をも不可能にするような、真珠湾の「騙し討ち」のような開戦は絶対に避けるべきであったろう。だとしたら、日本は自衛戦争であったという言い分にも甘さが含まれているということになる。侵略戦争の側面があるとしても、侵略戦争の面しか認めず、かの戦争は侵略戦争だとだけしか認めようとしない侵略戦争主義者に対して、自衛戦争だったという反論には一定の説得力が含まれているけれども、しかし侵略戦争の面をまったく認めず、自衛戦争とだけしか認めない考え方にも、何という甘さ、能天気振りがあることか。つまりは認識における怠慢である。(杉原誠四郎『民主党は今こそ存在感を示す時』p54)

このように杉原誠四郎は皇室の存在を「天皇制」というコミンテルン用語で語ります。そして、アメリカに感謝し韓国に謝るのが天皇の仕事だと、こう書きます。
昭和50年、昭和天皇が訪米し、アメリカ国民に、敗戦後の日本に対してアメリカ国民の差し延べてくれた好意と援助に対し、直接に感謝の言葉を言いたかったと言って感謝の言葉を送った。昭和59年、韓国全斗煥大統領の来日に際し、天皇は宮中晩餐会で日韓の両国の不幸な過去に遺憾の意を表明した。天皇が直接に言葉を示すことによって、日本国及び日本国民が、アメリカ国民に感謝の意を表すことができること、天皇の遺憾の意の表明によって日本国及び日本国民の反省悔悟の意を韓国国民に伝えることができること、こうしたことから考えて、やはり天皇は、日本国及び日本国民統合の厳粛なる象徴なのである。
しかしながら、天皇制に反対する人々の力は根強い。我が国におけるいつまでも続くこだわりであろうが、そのために天皇制を支持する側も防戦いっぽうで、日本の天皇制はいまだ日本国の倫理の根源になりえていない。例えば、国際協力事業とか、地球環境を守ろうという精神が、いまだ、天皇制から出ていない。天皇制なるがゆえにこうした精神が出てこなければならないはずである。天皇制をその存続のために糊塗するだけでは、日本の国家、社会のエゴをそのまま外に出すのみで、それを正す力は出てこない。(杉原誠四郎『保守の使命』p119~120)

天皇、皇后が1994年(平成6年)6月10日から2週間あまりアメリカを訪問することになった。「天皇訪米」は1975年(昭和50年)の昭和天皇以来19年ぶりである。(中略)天皇、皇后が快く訪米できるように条件を整えていかなければならないだろう。
ところでこの訪米の際、天皇、皇后は、ハワイの真珠湾を訪問し、アリゾナ記念館を訪ね、日本海軍の真珠湾攻撃による犠牲者の慰霊を行うとのことがとりざたされている。(中略)
さまざまな問題から判断すれば、天皇夫妻のアリゾナ記念館訪問の際、(杉原誠四郎『日米開戦以降の日本外交の研究』p127~128)

両陛下を「天皇、皇后」と呼び捨てにし、「訪問する」「慰霊を行う」などとと敬語なしで通しています。さらに「天皇夫妻」と呼んでいます。両陛下を「天皇夫妻」を呼ぶ自称「保守」は杉原誠四郎しかいないでしょう。不敬です。
日本は歴史の清算、総括をしていないとよく言われるが、実は昭和天皇はそのために退位を望んだことがあった。占領初期はその退位が契機となって天皇制が崩壊する可能性があり、軽はずみには退位できなかった。が、占領解除が明らかになった時点では、天皇制崩壊の恐れもなくなって、昭和天皇は改めて退位を希望した。この誠実な天皇は、法的には戦争責任がないとはいえても道義的には責任があることを十分に承知していた。かの失敗の歴史を反省する意味において昭和天皇の退位には意味がでてくる。
しかし、時の総理大臣吉田茂がそれを喜ばず、退位を認めなかった。昭和天皇としてはもっと強く退位を主張すべきだったともいえるが、天皇が退位すれば吉田も首相を辞めなければならなくなるから、吉田としては認めるはずはなかった。
誠実な昭和天皇の下に繰り広げられた昭和の失敗の歴史を、同じく昭和天皇の下で復興繁栄の時代に変えてあげたいという国民の潜在的願いもさることながら、昭和天皇の道義的責任も明示することなく進んだ結果は、日本という国は戦争責任を明確化する機会をもたず、戦争責任を明確にしてこなかったということを意味する。吉田茂は国民に対してそのようなことをしたのである。(杉原誠四郎『保守の使命』p141~142。『民主党は今こそ存在感を示す時』p239~240にも同様の記述)

日本人は普通、天皇陛下のことを「この」とは言いません。この杉原誠四郎は先の大戦について、東条英機らの政治的責任に加え昭和天皇に道義的責任があり、昭和天皇は退位すべきだったのに吉田茂がさせなかったのはけしからん。だから日本は昭和天皇の道義的責任を明示できないできた…と言っています。
 
この『保守の使命』の発行元は「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書発行元である自由社(加瀬英明社長)です。
 
先の大戦をわが国による侵略戦争だと言い、先帝陛下に戦争責任があると主張する杉原誠四郎(本名・平田誠四郎)は、反日・自虐に傾いた「新しい歴史教科書をつくる会」の会長にふさわしい人物です。
 
(つづく)
 
※これまでの連載
 ★つくる会会長「南京事件あった」―杉原誠四郎の歴史観〈1〉
※つくる会と反天皇
 ★自由社創業者「天皇の戦争責任を明確にしないから総懺悔になる」
 ★自由社創業者「戦争責任とらせないでなぜ天皇を象徴にする」
 ★自由社創業者「天皇が責任をとらないのはどう考えてもおかしい」
 ★自由社創業者「天皇の戦争責任を明確にしない限り靖国問題は続く」
 ★朝敵・西尾幹二「天皇の存在必要ない」
 ★西尾幹二「日本会議はカルト教団」
 ★女系天皇容認本を出版する自由社
 ★ニセ「宮様」をありがたがる西尾・藤岡信者
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