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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

軍隊は女性を守らない

2012年07月21日 | 集会報告
早稲田のwam(アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館)で第10回特別展「軍隊は女性を守らない――沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力」が6月23日(土)から開催されている。wamは2005年の開館以来、朝鮮、ティモール、中国、フィリピンなどの特別展を開催してきた。そしてやっと沖縄の展示をすることになり、沖縄でも歴史博物館で6月15日から12日間同じ展示がされ1800人が訪れた。
7月1日午後オープニング・シンポジウムがスコットホールで行われた。

『集団自決』とトラウマ――沖縄女性史の視点から
   宮城晴美
さん 

1990年代の家永教科書訴訟で「集団自決」という言葉が問題になった。国は「崇高なる犠牲的精神」によるものと美化する。これには違和感を感じる。一方「強制集団死」という言葉もある。わたしは慶良間の座間味島の出身だが、島の人は「強制集団死」という言葉を嫌う。また援護法が適用されるのは、座間味、渡嘉敷、伊江島の3つだけで、読谷や糸満には適用されない。
島には毛(もう)遊びという風習があった。野良仕事のあと、若い男女が歌って踊る遊びだ。しかし明治政府は「ふしだらだ」という理由で禁止した。
明治36年本土より25年遅れて沖縄でも徴兵制が始まった。徴兵検査で沖縄は体格的に不良が多いということになった。
昭和19年3月沖縄に第32軍が創設され、19年5月伊江島に慰安所が設置された。慰安所は民家を改造し6部屋だったのを9室に増やし、その家の住民は土間とカマドに追い出された(座間味ではヤギ小屋だった)。
集団自決で家族に手をかけた人には、もちろん悲しみがトラウマになった。また生き残った罪意識が残り、地域内の呪縛となって続いた。

米軍駐留下の性暴力被害――日本の「捨て石」、沖縄の今
  高里鈴代
さん 「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表

戦後50周年の1995年6月摩文仁の平和祈念公園の「平和の礎(いしじ)」の除幕式が行われた。刻銘碑には日本人だけでなく、アメリカ、イギリス、オーストラリア人などの名はあるが「慰安婦」の名はいまもない。
また同年6月北京で女性世界会議が開催され、わたくしも参加した。沖縄では、戦争の終った日から新しい戦争が始まった。沖縄の女は米兵にレイプされ殺された。1955年たった6歳でレイプされ殺された由美子ちゃん、今生きていればあなたは46歳。どんな女性になっていただろう。平和集会の会場で「兵隊に強姦され殺害された女たちへのレクイエム」を朗読した。
わたしたちは内閣府男女共同参画室長に「北京会議の行動綱領に、ぜひ『軍隊駐留下』という文言を加えることを要請してほしい」とファックスを送った。しかし実現しなかった。
わたしはなぜ北京女性世界会議に参加したのか。日本との距離を感じていたからだ。沖縄では、夕食の場に銃をもち侵入した米兵にレイプされ、止めようとした夫や警官が射殺され10ヵ月後に赤ん坊が生まれる無法地帯になっていた。レイプされた女は絞殺され、遺体が溝に捨てられた。ベトナム戦争のころにはエージェント・オレンジ(枯葉剤)の実験が沖縄で行われた。そして海兵隊は沖縄から出撃した。72年5月に沖縄が復帰しても駐留は変わらなかった。
北京会議のさなかにも12歳の少女のレイプ事件が起こった。米兵はいつでも自由に基地の外に出られるが、逆はない。「沈黙は結果的に暴力の補完につながる」と、95年11月に「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」を結成した。

フィリピン、韓国、プエルトリコ、ハワイ、グアムなど米軍基地をかかえる国や地域、そしてアメリカの女性たちと国際女性ネットワークを構築し、国内外で活動している。
ある女性が稲嶺知事に基地撤去を求める手紙を書いたところ、町村信孝外相は米軍と自衛隊のおかげで日本の安全と平和が守られているのに「バランスを欠いた手紙」だと国会で批判した。アメリカの海兵隊が引き起こす性犯罪は全体で1年に300件あまりだが沖縄が六十数件を占めている。
軍隊駐留下でのレイプは一人の悲劇や個人の犯罪ではない。貧困、差別、経済格差などと関連する構造的暴力である。ノルウェーの政治学者ヨハン・ガルトゥングが説明するとおりだ。

なお肝心の特別展については、来年6月までに別稿で紹介したい。

☆7月18日、非戦を選ぶ演劇人の会のピースリーディング「(わん)の村から戦争が始まる」(清水、瀬戸山、坂手作)を新宿のスペースゼロでみた。ヤンバルの高江で村人がオスプレイ反対運動を繰り広げる芝居だ。宮城晴美さんも登場人物の一人として現れた。芝居のなかで、普天間ではいち早く全長17m、幅25m、重さ23トンのMV-22オスプレイが墜落し分解した。大惨事が発生した。かつては沖縄からベトナムへ、2000年代にはファルージャへ軍用機が飛び立った。軍隊は女性や市民を守らないことがよくわかった。
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