多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

しみじみ日本・乃木大将

2012年07月29日 | 観劇など
いまから100年前明治45年(1912年=大正元年)9月13日夜8時ごろ、赤坂で62歳と52歳の老夫婦が心中した。青山で明治天皇の大葬が行われた夜だった。
与野本町のさいたま芸術劇場で「しみじみ日本・乃木大将」をみた(以下セリフは89年4月発刊新潮文庫版より)
乃木(1849年12月25日― 1912年9月13日)は明治天皇より3歳年長、長男は1878年の同年生まれだが、乃木の子は8月28日生まれ、天皇の子(=大正天皇)は8月31日生まれだった。
この芝居にもちろん乃木大将、静子夫人、明治天皇、児玉源太郎らは登場する。しかし主たる登場人物は乃木の軍馬 乃木號、寿號、璞(あらたま)號、隣屋敷の牝馬・紅號、馬車屋の牝馬・英(はなぶさ)號の5頭の馬。さらに馬には前足と後足があるので5頭10組の馬の足である。足は馬体分解や馬格分裂して前足と後足が独立する、たとえば乃と木、「あら」と「たま」が独立することもある。
そしてテーマは、なぜ「天皇陛下万歳!」と叫び敵陣に突進するような精神構造が日本兵にできあがったかという謎解きである。
乃木が西郷との西南戦争の植木(熊本県北部)の戦いで軍旗を喪失したのは有名である。自殺の1日前に書いた遺書にも「明治十年役に於いて軍旗を失ひ」と、その件を書いている。喪失以来、乃木は「弾よ当たれ。一思いにわしをあの世に送り込んでくれ」と念じながらモッコに乗って戦場を何往復もした。

そしてこの芝居には、幼年唱歌や小学唱歌が4曲、さらに小学唱歌「水師營の會見」が登場する。「はなさかじじい」「春が来た」「虫の声」は下記のとおりだ。

  一寸法師 M38
千田ら3人 旗をなくした連隊長は 面目ないとて大いに悩み 怪我の身体でモッコに乗って 今日も戦場に死にに行く
山縣、児玉 乃木のおこしたこの出来事を 使えばふしぎなききめがあるぞ 軍旗は大事と教え込み 作れ 立派な大陸軍

児玉 陛下から乃木連隊長に「決して自決してはならぬ。乃木の命はしばらく朕が預かっておく」という御言葉を下しおかれるべきである、と。つまり、そうすることによって、陛下は将校ならびに兵隊の生命を自由になさることができるのだ、と国民に教え込むわけです。人間の生命を自由にお扱いになる・・・、こんなことができるのは神だけです。ということは天皇陛下は神になられる・・・。
山県 おぬし策士じゃのう。

p37 はなさかじじい(M34) 
おらの主人の乃木大将
大層 様子がへんなのだ
おお怖 心臓がドキドキドキドキ
朝の風呂場で乃木大将 奥方 誘ってお背中を
ヘチマで洗わせゴシゴシ、ゴシゴシ

  http://www.youtube.com/watch?v=QiZRj5A7iCs&feature=related

p55 春が来た(M43)
頭にきた頭に来た カッと来た エリート意識 鼻持ちならぬ あきが来た
腹が立つ 腹が立つ なぜに立つ 品がなく 誇りもなく ろくでな



p95 虫の声(M43)
あれ乃木さんが泣いている しくしくしくしく しくしくりん
あれいつまでも泣いている おんおんおんおんうおおおん
明けても暮れても泣き通す ああ胸せまる乃木の声

天皇様の思召し 決して死んではならんぞよ
天皇様のおさとしは そちの命は預かった 
秋津洲(あきつしま)なる日本(ひのもと)のああありがたい天皇(かみ)の声


乃木将軍 連隊旗は陛下の御分身であります。その連隊旗を失った乃木は・・・つまり・・・。
明治大帝 山県や児玉がそれを巧みにすりかえて、連隊旗はわたしの分身であり、それだからこそ乃木はその申し訳のために死ぬ覚悟をしているのだと言い触らした。そしておまえは忠実にその役を、その型をこなしてきた。おかげでいまや、連隊旗は、ほとんど同じ重さを持つに至った。乃木よ、おまえは「連隊旗を失ったことを悩みに悩む武人」という役を、忠臣の型を、完璧に演じてくれたのだよ。つまり連隊旗の権威を高めてくれたのはおまえなのである。朕惟うに感謝しているよ
明治大帝 これからも武人の型を演じ続けてほしい。天皇に対して軍人たるものはどのような感情を持つべきであるか、その型を演じつづけてほしい。乃木、われわれのこの明治という時代は、さまざまな場所で、さまざまな人々が、忠臣や、篤農や、節婦や、孝子などの型を演じ、その型を完成させ、周囲の手本たらんとつとめる時代なのだ。国民に型を示し、そのうちのひとつを選ばせる。これが国家というものの仕事なのだ。乃木、朕惟うに死ぬなよ。
乃木将軍 はっ
明治大帝 でき得る限り長く生きて、あっぱれ武人の型を演じ尽せよ。朕惟うに頼むぞ乃木将軍 陛下・・・
明治大帝 朕惟うに、ありがとう。朕は・・・ほかに何も惟わない。御名御璽じゃ
乃木将軍 (泣きながら)・・・天皇・・・陛下、バンザイ・・・。
あとは声もなく何度も両手を上げ下げするばかり・・・。
明治大帝 (ふじの山 明治43年文部省唱歌)
     あたまを前に深くたれ 
     両手をしきりに上げ下げし 天皇さまを慕い泣く
     (早口のセリフで)朕惟うに、乃木は日本一の武士
 

全員  髭づらかたくこわばらせ からだに忠義のきものきて
     天皇さまを慕い泣く 乃木は日本一の武士


明治神宮で開催中の「明治天皇と乃木大将」展
妻静子も負けていない。武人の妻の心がけを披露する。
 「殿御、いよいよ御用事(傍点付き)にかかり給いなば・・・、殿御の胸に顔を確(しか)と差し当て余り動き給うべからず。又、如何に心地好く耐りかね候とも、たわいなき事を云い、或は自分より口を吸い、或は取りはずしたる声など出だし給うべからず。又、佳境に入り給うには殿御と同時か、先か、どちらかに致し、殿御より後に行き給うは猥(みだら)の御振舞いなるべし。(以下略)
静子夫人「御家大事ともならむ時は、能く其の心を鎮めて殿御に従い奉り、武門の習いにて討死ともあらん時は女々しき御挙動なく、潔く殿御と共に御自害遊ばされ・・・
乃木将軍 天晴れな女子じゃ。それにしてもよく書いたものよ。武人の妻の鑑じゃ。
静子夫人(いつかのような暗い、ぞっとするような声で)鑑などではございません。勝典と保典とを奪った時代に早くさよならをしたいだけでございます。

この芝居は91年以来上演されていない。21年ぶりの公演だ。この芝居はもともと小澤正一の芸能座のために書かれた。79年春上演され暮れまで99ステージ公演した。

替え歌は井上の作だが、とりわけ「ふじの山」が秀逸である。
明治大帝 あたまを前に深くたれ 
     両手をしきりに上げ下げし 天皇さまを慕い泣く
     (早口のセリフで)朕惟うに、乃木は日本一の武士 

全員   髭づらかたくこわばらせ からだに忠義のきものきて
     天皇さまを慕い泣く 乃木は日本一の武士

考えてみると明治という時代にはたしかに「型」がいろいろ定められた。国語、修身、唱歌もそうだし、教育勅語・軍人勅諭もそうである。

☆わたしは蜷川幸雄の演出をみるのは初めてである。しかし役者のよさを引き出しているとは思えず、どこがよいのかわからなかった。盛り上がりももうひとつだった。いつも見ている栗山民也や鵜山仁のほうがよほどうまくまとめていると思った。
役者では、明治大帝夫人美子や乃木静子を演じた根岸季衣の迫力は大したものだった。また「感心な辻占売りの本多武松少年役」の岡部恭子は、大きく成長しそうな予感を感じた。さいたネクスト・シアター所属なので、蜷川の愛弟子なのだろう。

バス通りをはさんで左が中学、右が銭湯
与野本町にははじめて行った。駅から5分の場所だが、その途中に与野西中学があり、正門の前に鈴乃湯という銭湯があった。学校帰りに中学生がフロに入るとはあまり思えない。のんびりした場所だけにシュールな風景だった。
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