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絵じゃないかおじさんぐるーぷ
観在寺の大権和尚は、そんな昔話を利用することを
思いつきました。
その頃は、明治のご一新で神仏分離令が出され、
仏教者の力も弱まっておりました。
若い頃、町へ出ると、坊主であるということだけで
石などもぶつけられました。
何から何まで、神さま、神さまで、
仏さまは小馬鹿にされておりした。
特に、この地方では何かにつけて熊野の権現さまなのでした。
和尚にしましても、自己主張がしてみたかったのでしょう。
自分の信仰する世界を人々に認めてもらいたかったのだと
思います。認めるまではゆかなくとも、敵視だけは避けて
欲しかったのかもしれません。
そこで、和尚は、死を待つのみの人々に目をつけました。
そして、村長の欲造にぽたら送りを提案したのでありました。
つづく
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