◯ 今 金融パーソンが 身を 置くべき場所は香港だ。

2019-03-04 22:08:29 | ♪PFK ASAP NEWS
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Nippon Wealth Limited | NewsPicks Brand Design
2019/2/21
米ヘリテージ財団が発表する世界180カ国「経済自由度指数」で、25年連続1位に君臨し続けている「香港」。
1997年にイギリスから中国に返還されたとき、香港は一国二制度によって独自の自治権を持つ都市国家状態になり、現在もWTOやAPECなどの国際的フォーラムに、中国とは別の立場で参加している。
最大の特徴は、規制緩和と自由貿易、圧倒的な低税率により、世界中の大企業や金融機関、実業家や投資家の拠点として「ヒト・モノ・カネ」が集まる巨大マーケットとして成長していること。
政府の介入も極めて少なく、どの国の企業でも自由に競争ができる社会なのだ。
この経済都市・香港に、日本人が新しい金融機関をゼロから誕生させた。Nippon Wealth Limited, a Restricted Licence Bank(以下:NWB)だ。
代表の中島努氏は、日本長期信用銀行(以下:長銀)とゴールドマン・サックス、マネックスを経て、2013年に香港でNWBを創業。中島氏はなぜ香港で金融機関を作ったのか。香港で何をしようとしているのか。話を伺った。

米の金融自由化、国内での頭取秘書を経験した長銀時代
私がなぜ香港にたどり着いたのか、まずは経歴からお話ししたいと思います。
私は1980年、長銀に入行したところから金融キャリアが始まりました。80年代半ばに留学制度でボストン大学に留学後、そのままロサンゼルスに駐在。当時は金融自由化の波に乗って、新しい金融商品が次々と生まれていた頃です。
アメリカ東海岸で開発された金融商品が西海岸で実験されており、私もさまざまな投資銀行と組んでは、ありとあらゆるファイナンスを試していました。
88年に帰国後は、新設した新商品開発部門の立ち上げを任されたり、頭取秘書に任命されたりと、めまぐるしい30代を過ごしていましたね。
ただ長銀の雲行きが怪しくなり、頭取秘書から新設した証券子会社に移籍することに。そこで、外資金融との業務提携をすべく、声をかけたのがゴールドマン・サックス(以下:GS)でした。
当時の担当部門長が、のちにマネックスを創業することになる松本大さんです。
しかし、長銀はGSではなくスイス銀行との全面提携を進めることに。私は提携の中心的役割を担い合弁事業が生まれましたが、97年から続く金融混乱の中で不調に終わりました。そこで、私は1998年8月、GSの債券部に転職しました。

個人向けはブルーオーシャン。GSからマネックスへ
ゴールドマンでの仕事は大変に面白く刺激にあふれていた一方で、私は以前から「いずれは個人向けサービスをやりたい」と考えていたんですね。というのも、日本の金融業界で一番放置されていたのが個人向けサービスだったから。
コーポレートファイナンスはどの銀行も注力していますが、個人向けの領域はブルーオーシャン。そこには必ずビジネスチャンスがあると仲間内で話していました。
そして、1999年に松本さんはマネックス証券を設立。私も6年お世話になったGSに別れを告げ、2004年マネックスにジョインしました。
もちろん当時は、なぜ世界最強の投資銀行と言われるGSを辞めて、従業員40人のマネックスに入るのかと、不思議がられましたけど(笑)。
マネックスでは投資教育会社、投資顧問会社、ロボットアドバイザリー等の子会社や合弁事業を始めるなど、次々と新しいビジネスを創出していました。
マネーフォワードで代表を務める辻庸介さんや、資産デザイン研究所を創業した内藤忍さんも、一緒にチームとして頑張っていましたよ。

こうして事業を立ち上げるなか、中国でもビジネスの可能性を探るべく、北京と上海、香港を視察しに行ったんです。
そこで見たのは、日本とは比べ物にならないくらい成長している金融マーケット。すぐに進出すべきだと判断して2008年に北京に事務所を開設し、2010年に香港Boom証券を買収しました。
これがきっかけとなり、私は2010年に縁もゆかりもない、知り合いは一人もいない香港に移住したのでした。
世界中から人と情報が集まる金融都市・香港
私がGSに在籍していた2000年代前半、投資銀行のアジアヘッドクウォーターはマーケットの大きかった東京にありました。
でも移住した当時、すでに東京マーケットは香港にまったく追いつけない状態でした。現在、アジアナンバーワンの金融都市となった香港は年間IPOやPOによる資本調達額3兆円を超えますが、残念ながら日本はその10分の1程度です。
香港での資本取引は100%自由ですし、法人税や所得税は日本より低く、キャピタルゲイン課税・相続税もありません。日本と香港で同じ金額を稼いだとして、手元に残る金額は両者で明らかな差があるということです。

※1)データソースは記事末に記載
この経済自由度から世界中から人とお金が集まっており、約760万人都市の香港に中国系資本、外資系資本含め200もの金融機関が集結しています。
日本にある外資系金融機関は56行ですが、香港には166行あることからも、いかに世界の金融が集まっているかがわかるでしょう。

香港の数値はHKMAデータをもとにNWB集計、日本の数値は金融庁ホームページより
しかも、世界中から人が集まるから最先端の情報も得やすく、日本株ヘッジファンドマネージャーのほとんどが東京ではなく香港に住んでいます。
私はMonex International会長とBoom証券取締役を兼任し、香港に住み始めて1年が経った頃、ウェルスマネジメント事業を香港で立ち上げようと考え始めました。そして2013年、新生銀行を筆頭株主にマネックスと2社をエンジェル投資家としてNWBを創業(現在は株主12社)。
Restricted Licence Bank免許と併せて、証券免許取得と保険代理店登録も行い、フルラインのウェルスマネジメントサービスの提供を開始しました。これが香港で久しぶりに新設された金融機関になったのです。
ブロックチェーンを使った金融サービス開発に着手
NWBは銀行と証券、保険代理店の機能を持って、「世界水準の資産運用商品」と「日本基準のサービス品質」を掲げ、日本人の富裕層向けに資産運用業務を提供しています。
数億円以上の預かり資産を必要とする他のプライベートバンクとは違い、数千万円から運用できるよう間口を広げました。
免許取得まで2年がかかりましたが、営業を始めて3年で顧客が数千人を超え、今後は日本人だけでなくノンジャパニーズにもビジネスラインを展開したいと考えています。
そして、これから本格的に注力するのが金融サービスのデジタル化です。2018年11月には、仮想通貨イーサリアムを共同開発した米コンセンシス社と業務提携し、ブロックチェーンを使った今までにない金融サービスのプロジェクトをスタート。
毎日のようにアジアとヨーロッパ、ときには米国をつなぎ、テレビ会議で議論しているところです。

コンセンシス社との業務提携時
ブロックチェーンは一度書き込まれたデータの改ざんやコピーができないことから、さまざまな資産取引に活用されると見込まれており、既に不動産取引でも活用され始めています。
アナログで管理されている登記簿もデジタル化すれば、人が介在せずに24時間365日取引ができる。これを外部から攻撃されないようなセキュリティ環境のトレーディングプラットフォームを提供したいんですね。考えただけで胸がときめきます。
金融の一大変革時、身を置くべき場所は香港だ
私は現在、香港のローカルコミュニティで、日本から香港に進出したメガバンクや商社など40社の駐在トップが集まる「21世紀会」の共同会長と、18カ国40人が集まる「湾仔(ワンチャイ)ロータリークラブ」の理事、半官半民で香港のアートシーンをクリエイトする「香港アートセンター」財務委員も担っています。
このコミュニティで活動をするたびに、香港は大きな成長過程に再び入ったと実感しています。グローバルという言葉自体がくだらないと思うほど、普段のローカルな生活がグローバルで、世界中から集まる人と情報から先行した新しい取り組みができる。
加えて金融業界も一大変革期にあり、香港マーケットも動きが活発化しています。日本の金融は当局からの上意下達色が強いのですが、香港の金融は規制の枠組みの中でなら、自分たちでリスクを取って何でもチャレンジできます。
変革期の今こそ、こうした場所に身を置くべきではないでしょうか。
私は20代後半のとき、金融自由化で変革期にあった米国西海岸でさまざまな金融のニューウェーブを経験しました。一人で勝手に投資銀行に行って新しいビジネスを始めるなど、とにかく自由に金融ビジネスを広げてきた。
今、それと同じようなことができるのが、香港です。
日本の金融機関で働く人は、みなさん優秀です。だからこそ、自分の守備範囲を一気に広げられる場所をキャリアの選択肢として考えて欲しい。チャンスは、今目の前にあるのだから。
(取材・文:田村朋美、写真:北山宏一、デザイン:九喜洋介)


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