また個人的な思い出話になります。恐縮です。
もう10年前になるのか。妹は夏の暑い盛りに結婚式をあげた。
というより、結婚式は勝手に二人でハワイであげてきてしまった。そういう結婚式が当時くらいから流行りだしていたのだろう。それはそれでもちろん結構なことである。結婚式は二人のものだ。ややこしい義理や人間関係に煩わされるべきではない。
それだけとはもちろんいかないので、披露宴はさすがにやらざるを得ない。ということで、京都のこじんまりとしたレストランで友人、親戚を招いてとりおこなった。結婚式場やホテルでやるよりずっと洒落ている。ということで、僕は夏の異常に暑い京都に妻と里帰りすることとなった。
僕は地方在住だったので、その妹の配偶者になる人とそのとき初めて逢った。背の高い立派な男性でスポーツマン、そして酒もタバコもやらない真面目な人らしい。妹がどうしてこういう男性をものに出来たのか全く不可思議なことだが兄としてはうれしい。ひとつ引っかかるのは僕より二つ年上だったことで、それ自体は全く問題ないのだが、彼が初対面で僕のことを「にいさん」と呼んできたのには閉口した。頼むから「○○君」とか名前で呼んでください。それでもう兄弟になるのだから敬語は止めてください。いくら僕が義理の兄であっても、年上の明らかに僕より立派な男性にそんなふうに言われると背中がむず痒い。
さて、この披露宴は仲人も立てず、義理の祝辞なども一切カットした実に居心地のいいパーティーだった。レストランだけあって食事が実に美味い。義弟(汗)がセッティングしたらしいが、さすがいいところを知っている。
特に挨拶はしなくていいとのことだったが、余興はある程度必要らしく、「一曲歌って欲しい」とは言われていた。なので、暑い盛りであったのだがギターを抱えて帰ってきたのだ。
と言っても、僕はバックバンドみたいなものである。これは僕の兄夫婦と(3人兄弟なのです)、妻の4人でやることになっていたからだ。そして、義姉は声楽をやっていて歌が抜群に巧く、ピアノも弾けるのでメインを張ってもらえればいい。僕達の披露宴の際にも、義姉は透き通る声で「ダンデライオン」を歌ってくれていた。
さて、曲目を事前に電話で打ち合わせした。
「曲はお前に任せるで」(兄)
「そんならなぁ、ちょっと一曲心当たりの曲があるんや」(僕)
少し話は飛ぶ。
ヤマハが主催していた「ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」を憶えている人は多いと思う。アマチュアの音楽の祭典で、数々のシンガー・ソングライターがここをきっかけに世に出ている。N.S.P.、八神純子、中島みゆき、谷山浩子、小坂明子、渡辺真知子、因幡 晃、ツイスト…ちょっと列挙に暇がない。しかしプロになって売れた人たちはそれでもごく一部で、多くの名曲が埋もれていった。
僕は、コッキーポップを聴いていたこともあり、ポプコンの入賞曲はよくエアチェックしていた。現在ではなかなか手に入りにくいそのカセットテープは今も手元にある。
その中で、僕がいいなと思った曲に「シャインズ」という男性デュオ(トリオだったらごめんなさい)の「風のように光のように」という曲があった。
手元のカセットのインデックスを見ると昭和54年である。このときのグランプリは小柳孝人の「流浪(さまよい)」。知らないだろうな。入賞曲として前記シャインズの他に「ひとり咲き(チャゲ&飛鳥) 」がある。
それはともかくこの「風のように光のように」という曲は、妹の旅立ちをテーマにしたとても綺麗な曲だったのだ。
冬模様に街が彩られた黄昏 今 君は何も言わないで
扉を開けて長い旅の始まりの そのときを迎えようとしてる…
中学生だった僕はこの歌に感動し、幸いにして(?)妹がいるので、その結婚式にはこれを歌おうと決めた。巷では「僕の妹に(加山雄三)」とか「妹(かぐや姫)」が流行っていたが、こっちの方がいいと勝手に決めていた。
以来15年。ようやくその時が来た。そして僕はこの「風のように光のように」を提案した。すると…。
「そんな歌知らんわ」(姉)
「古臭い歌ちゃうのん」(兄)
ふふふ。そりゃ知らないだろう。歌って聴かせてやる。
だけど君が愛する人が出来たら 俺にも親にもなにも言うな
君が愛する人のためだけに 生き抜いていけばいい
「いい歌やけど、誰も知らん曲歌ってもな」(兄)
「私楽譜がないとピアノ弾かれへんわ」(姉)
「それにこの曲冬の歌じゃない。今は夏よ」(妻)
残念ながら賛同は得られなかった。しょうがないか。15年寝かせてきたのにな。
結局「赤いスイトピー」を歌うことになって、僕はギターソロの練習を始めた。
そして当日。
披露宴はよかった。集まってくれた人はみんなそう言ってくれた。やはり兄としてはホッとする。「赤いスイトピー」も評判がよかった。これは義姉の美声によるところ大ではあるが。それに食事が好評で、普通披露宴といえば美味い料理など出てこないと思っていた人たちには結構驚きだったらしい。さすが我が義弟(笑)だ。
宴が終わり、片付けているところへ、このレストランのシェフが僕を名指しで挨拶したいと言ってきた。ちょっと怪訝に思ったが行ってみると、
「あれ? お前△△やないか?」 「へへ、久しぶり♪」
シェフは高校の同級生だった。妹の名前を見たとき、あ、これはあいつの妹だなとすぐにわかったらしい。僕の姓はちょっと珍しいのだ。
「お前の妹やと思たんでな、気合入れて作らせてもろたわ!」
妹夫婦はそんなこと知らなかったらしい。全くの偶然である。料理美味かったで、と言ったときの彼の小さなガッツポーズを見てちょっと感動した。まさかヤツが料理人になっていたとは。昔、ヤツの家でパンツ一枚になってマージャン卓を囲んだこともあったっけ。
お前のおかげでいい披露宴になったよ。僕は何度も礼を言い、握手を繰り返した。
巡りめぐる流れの中で いくつかの場面の中で
君が思うことだけを ただひたすらにやればいいんだよ
風のように 光のように生きてゆけ どんなときにも
兄がいうのもヘンだけれども、みんなに祝福されたいい披露宴だった。「風のように光のように」は心の中で歌ってやればそれでいいじゃないか。
これからは自分の信じる道をゆけ。光溢れる人生になるように。妹夫婦に幸多かれと心から祈った。
あれからもう10年か。今は甥っ子たちが喧しい幸せな家庭を築いている。
もう10年前になるのか。妹は夏の暑い盛りに結婚式をあげた。
というより、結婚式は勝手に二人でハワイであげてきてしまった。そういう結婚式が当時くらいから流行りだしていたのだろう。それはそれでもちろん結構なことである。結婚式は二人のものだ。ややこしい義理や人間関係に煩わされるべきではない。
それだけとはもちろんいかないので、披露宴はさすがにやらざるを得ない。ということで、京都のこじんまりとしたレストランで友人、親戚を招いてとりおこなった。結婚式場やホテルでやるよりずっと洒落ている。ということで、僕は夏の異常に暑い京都に妻と里帰りすることとなった。
僕は地方在住だったので、その妹の配偶者になる人とそのとき初めて逢った。背の高い立派な男性でスポーツマン、そして酒もタバコもやらない真面目な人らしい。妹がどうしてこういう男性をものに出来たのか全く不可思議なことだが兄としてはうれしい。ひとつ引っかかるのは僕より二つ年上だったことで、それ自体は全く問題ないのだが、彼が初対面で僕のことを「にいさん」と呼んできたのには閉口した。頼むから「○○君」とか名前で呼んでください。それでもう兄弟になるのだから敬語は止めてください。いくら僕が義理の兄であっても、年上の明らかに僕より立派な男性にそんなふうに言われると背中がむず痒い。
さて、この披露宴は仲人も立てず、義理の祝辞なども一切カットした実に居心地のいいパーティーだった。レストランだけあって食事が実に美味い。義弟(汗)がセッティングしたらしいが、さすがいいところを知っている。
特に挨拶はしなくていいとのことだったが、余興はある程度必要らしく、「一曲歌って欲しい」とは言われていた。なので、暑い盛りであったのだがギターを抱えて帰ってきたのだ。
と言っても、僕はバックバンドみたいなものである。これは僕の兄夫婦と(3人兄弟なのです)、妻の4人でやることになっていたからだ。そして、義姉は声楽をやっていて歌が抜群に巧く、ピアノも弾けるのでメインを張ってもらえればいい。僕達の披露宴の際にも、義姉は透き通る声で「ダンデライオン」を歌ってくれていた。
さて、曲目を事前に電話で打ち合わせした。
「曲はお前に任せるで」(兄)
「そんならなぁ、ちょっと一曲心当たりの曲があるんや」(僕)
少し話は飛ぶ。
ヤマハが主催していた「ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」を憶えている人は多いと思う。アマチュアの音楽の祭典で、数々のシンガー・ソングライターがここをきっかけに世に出ている。N.S.P.、八神純子、中島みゆき、谷山浩子、小坂明子、渡辺真知子、因幡 晃、ツイスト…ちょっと列挙に暇がない。しかしプロになって売れた人たちはそれでもごく一部で、多くの名曲が埋もれていった。
僕は、コッキーポップを聴いていたこともあり、ポプコンの入賞曲はよくエアチェックしていた。現在ではなかなか手に入りにくいそのカセットテープは今も手元にある。
その中で、僕がいいなと思った曲に「シャインズ」という男性デュオ(トリオだったらごめんなさい)の「風のように光のように」という曲があった。
手元のカセットのインデックスを見ると昭和54年である。このときのグランプリは小柳孝人の「流浪(さまよい)」。知らないだろうな。入賞曲として前記シャインズの他に「ひとり咲き(チャゲ&飛鳥) 」がある。
それはともかくこの「風のように光のように」という曲は、妹の旅立ちをテーマにしたとても綺麗な曲だったのだ。
冬模様に街が彩られた黄昏 今 君は何も言わないで
扉を開けて長い旅の始まりの そのときを迎えようとしてる…
中学生だった僕はこの歌に感動し、幸いにして(?)妹がいるので、その結婚式にはこれを歌おうと決めた。巷では「僕の妹に(加山雄三)」とか「妹(かぐや姫)」が流行っていたが、こっちの方がいいと勝手に決めていた。
以来15年。ようやくその時が来た。そして僕はこの「風のように光のように」を提案した。すると…。
「そんな歌知らんわ」(姉)
「古臭い歌ちゃうのん」(兄)
ふふふ。そりゃ知らないだろう。歌って聴かせてやる。
だけど君が愛する人が出来たら 俺にも親にもなにも言うな
君が愛する人のためだけに 生き抜いていけばいい
「いい歌やけど、誰も知らん曲歌ってもな」(兄)
「私楽譜がないとピアノ弾かれへんわ」(姉)
「それにこの曲冬の歌じゃない。今は夏よ」(妻)
残念ながら賛同は得られなかった。しょうがないか。15年寝かせてきたのにな。
結局「赤いスイトピー」を歌うことになって、僕はギターソロの練習を始めた。
そして当日。
披露宴はよかった。集まってくれた人はみんなそう言ってくれた。やはり兄としてはホッとする。「赤いスイトピー」も評判がよかった。これは義姉の美声によるところ大ではあるが。それに食事が好評で、普通披露宴といえば美味い料理など出てこないと思っていた人たちには結構驚きだったらしい。さすが我が義弟(笑)だ。
宴が終わり、片付けているところへ、このレストランのシェフが僕を名指しで挨拶したいと言ってきた。ちょっと怪訝に思ったが行ってみると、
「あれ? お前△△やないか?」 「へへ、久しぶり♪」
シェフは高校の同級生だった。妹の名前を見たとき、あ、これはあいつの妹だなとすぐにわかったらしい。僕の姓はちょっと珍しいのだ。
「お前の妹やと思たんでな、気合入れて作らせてもろたわ!」
妹夫婦はそんなこと知らなかったらしい。全くの偶然である。料理美味かったで、と言ったときの彼の小さなガッツポーズを見てちょっと感動した。まさかヤツが料理人になっていたとは。昔、ヤツの家でパンツ一枚になってマージャン卓を囲んだこともあったっけ。
お前のおかげでいい披露宴になったよ。僕は何度も礼を言い、握手を繰り返した。
巡りめぐる流れの中で いくつかの場面の中で
君が思うことだけを ただひたすらにやればいいんだよ
風のように 光のように生きてゆけ どんなときにも
兄がいうのもヘンだけれども、みんなに祝福されたいい披露宴だった。「風のように光のように」は心の中で歌ってやればそれでいいじゃないか。
これからは自分の信じる道をゆけ。光溢れる人生になるように。妹夫婦に幸多かれと心から祈った。
あれからもう10年か。今は甥っ子たちが喧しい幸せな家庭を築いている。
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