京都生まれの僕にとって、滋賀県はやはり馴染み深い。隣の県であるということだけではなく、「京滋」という言い方もあるように、一体感がある。比叡山、大文字山を連ねる東山三十六峰。その山々を越えれば滋賀県、というのは、大阪や神戸よりも近しい印象を与えてくれる。
しかしながら、全国的に見ればマイナーな印象が強いらしい。滋賀県と聞いてどこにあるのかわからない、という人にも多く会った。しかし「琵琶湖」と聞けばみんな「ああ~」と言う。この県の面積の1/6を占める日本一大きい湖は県そのものよりも知名度が高い。
僕たちは子供の頃、琵琶湖に泳ぎによく行った。京都市内から海水浴に行こうとすれば、最も近いところで神戸の須磨海岸、または和歌山の白浜、あるいは福井若狭の日本海であって、ちょっと遠い(そりゃ一番近い海は大阪湾だけれども、あの「悲しい色」をした海ではちょっと泳げない)。なので琵琶湖、ということになる。琵琶湖も汚染が進んでいると言われるけれどもそれは南部の大津や草津周辺のことであり、北までいけばかなり水は綺麗だ。北部琵琶湖だけをとってみれば、地下の湧水の量も多く常に浄化されていて、日本でも有数の透明度を誇った(今はどうなんだろ)。平均すると琵琶湖はあまり綺麗ではないが、北部はまだイケているのではないだろうか。
それに琵琶湖の良いところは「水が目に沁みない」ことである。淡水で泳ぐのはベタつかなくていいのである。ただ、「海水浴」ではないけれど。
司馬遼太郎の名著「街道をゆく」。その第一話が「近江路」で始まるように、歴史好きにとっては滋賀県を旅することは結構楽しい。この近江の国は歴史的にいつも要の地であり、蒲生野の万葉ロマンから始まり、百済移民の入植、大津京、また信楽(紫香楽)宮、延暦寺や三井寺、石山寺、そして姉川、安土城跡、坂本や長浜城、彦根城など見るべきところが多い。細かく述べればキリがないが、歩いて損はしない土地である。仏像も多い。
しかしなんと言っても滋賀県を代表するものは琵琶湖なのだろう。この周囲約180kmの広大な湖は、「一周してみたい」という思いを誰しも喚起するらしい。
ちょっと思い出話を少し。
話は中学生の時になるのだが、当時の友人の親戚が九州に居るという話から、「そこへ皆で自転車で行こうか?」という話が盛り上ったことがあった。13、4歳の少年というのはなんだか冒険をしたくなるもの。話していたのは仲のいい7、8人だったのだが、何人かで本気で行く気になった。「夏休みをみんな使えば行けるのじゃないか?」「とにかく片道でも行ければ、自転車は配送して国鉄でも戻ってこれる」「みんなでキャンプしながら行くと楽しいんじゃないか」話はどんどん盛り上がり架空計画を立て、わいわいと楽しく過ごした。みんな本気になって、何日かした後に「親の許可を得よう」と真面目なことを考えて、僕も両親に相談した。
当然のことながら許してはもらえず、友人たちも揃って反対され、残念ながらこの一件はポシゃってしまった。友人達もそれで熱が冷め、「やっぱり行けるわけないよな」という論調に。しかし「危険。無理。」という親の説教に折れたものの、僕の中でずっと夢は大きくなっていった。熱が全然冷めなかったのだ。
高校入学後の最初の夏休み、琵琶湖一周なら大した事はないだろう、と親を説得し、その時にまだ熱の冷め方が弱かった友人二人を誘って、綿密に計画書を作り、1981年の夏、僕は初めて自転車の旅に出た。
前述したように京都在住の僕にとって、琵琶湖は実に身近で何度も行ったことがあり、ほとんど問題はないように思ったのだが、それでも初めてで相談する人など無く、2万5千分の1の地図を沢山買い込み道に朱線を入れ、行程約200kmを3日で走る計画を立てて臨んだ。親はそれでも不安だったらしく、2時間毎に電話を入れるように僕に命じ、僕の親から同行の友人二人の家に連絡してもらう、というという連絡網を作り、心配を軽減するようにした。
さて当日、晴れやかな空の下、友人たちと朝5時に待ち合わせ、京都市内から大原、途中峠を越えて滋賀県琵琶湖へ。初めの日は状況がわからないので約70kmの行程だった。
そして初日、張り切って走ったら、なんと計画した当日の目的地に朝の9時には着いてしまったのだ。当時は70kmと言えば果てしの無い距離に思えたものだったのだが、実際はいとも簡単にあっさりと走れてしまうものなのだった。友人からは「お前の計画はなんじゃ?」とアホ呼ばわりされたが、計画通りに実行すると親と約束している以上はそれより先にも行けず、その日は琵琶湖で泳いで過ごした。間抜けだと今に至っても思う。
万事この調子で3日間なんの問題もなく走り終え、初めての自転車旅行は終わった。このことで、少し親も拍子抜けして「自転車もまあいいか」と考えるようになった。案ずるより生むが易しである。
その後僕は何度も琵琶湖は一周している。もちろん一日で楽に一周出来る。大学に入って後、一人で長期の自転車旅行に僕は出かけるようになったが、出かける前に自分と自転車の調子をみる目的で「ちょっと琵琶湖一周してくるから」と言って朝早くに出て、夕刻日が暮れるまでに戻ってくる。
歩いて一周したこともある。これはチャレンジであって、4日かかったがこれもまたいい思い出である。
そうやって親も息子が旅に出ることに慣れ、最初は前述したように「2時間毎に電話をせよ」と言っていたのが「朝晩でいい」になり「いつでもいいから毎日電話して」に変わった。そのうちに電話に出てくれなくなった。
というのは、携帯のない時代、公衆電話からだと電話代がかかるので、遠くにいるときには僕は「コレクトコール」をよく利用した。コレクトコールは、交換手がこちらの名前を聞いて、先方に伝え受けるかどうかを確認して繋げる。話が滋賀県からずれるが大学時代の夏、僕は北海道の東部、原野を走っていて、電話Boxが見当たらず探したあげく道からそれて町に入り込み、ようやく電話を親にかけた。夕方で、親が心配しているかなあと気遣っていたつもりだったのだが、
交換手「あの、電話にお出になりません」
僕「あ、留守ですか?」
交換手「いや、コレクトコールは断られました」
なんですと?!
せっかく頑張って電話を探してようやくかけたのに断るとはなんということか。後に問いただすと「だって、北海道○○町より××様からコレクトコールが入っています。お受けになりますか? と聞かれたから、それでどこに居るかわかったからお金もかかるしもういいやと思って」と言う。確かに合理的ではあるのだが、息子の声を聞きたいとは思わないのかね(汗)。かつて2時間毎に電話せよ、と言っていた母親も、慣れればこんなものである。僕は親になったことがないのでよくわからないのだが、こんなものなんですか? わはは。
話が滋賀県からそれた。
その息子の心配をしなくなった両親は、父親の定年退職をきっかけに、滋賀県に小さな家を買い京都から引っ越した。今は田舎暮らしをしており、帰省となれば僕は滋賀県に向うこととなった。実家が滋賀県となったことで、ますます縁が深くなった。さすがにまだ故郷という感覚はないけれども、それに準じた感情を今滋賀県に対しては持っている。
しかしながら、全国的に見ればマイナーな印象が強いらしい。滋賀県と聞いてどこにあるのかわからない、という人にも多く会った。しかし「琵琶湖」と聞けばみんな「ああ~」と言う。この県の面積の1/6を占める日本一大きい湖は県そのものよりも知名度が高い。
僕たちは子供の頃、琵琶湖に泳ぎによく行った。京都市内から海水浴に行こうとすれば、最も近いところで神戸の須磨海岸、または和歌山の白浜、あるいは福井若狭の日本海であって、ちょっと遠い(そりゃ一番近い海は大阪湾だけれども、あの「悲しい色」をした海ではちょっと泳げない)。なので琵琶湖、ということになる。琵琶湖も汚染が進んでいると言われるけれどもそれは南部の大津や草津周辺のことであり、北までいけばかなり水は綺麗だ。北部琵琶湖だけをとってみれば、地下の湧水の量も多く常に浄化されていて、日本でも有数の透明度を誇った(今はどうなんだろ)。平均すると琵琶湖はあまり綺麗ではないが、北部はまだイケているのではないだろうか。
それに琵琶湖の良いところは「水が目に沁みない」ことである。淡水で泳ぐのはベタつかなくていいのである。ただ、「海水浴」ではないけれど。
司馬遼太郎の名著「街道をゆく」。その第一話が「近江路」で始まるように、歴史好きにとっては滋賀県を旅することは結構楽しい。この近江の国は歴史的にいつも要の地であり、蒲生野の万葉ロマンから始まり、百済移民の入植、大津京、また信楽(紫香楽)宮、延暦寺や三井寺、石山寺、そして姉川、安土城跡、坂本や長浜城、彦根城など見るべきところが多い。細かく述べればキリがないが、歩いて損はしない土地である。仏像も多い。
しかしなんと言っても滋賀県を代表するものは琵琶湖なのだろう。この周囲約180kmの広大な湖は、「一周してみたい」という思いを誰しも喚起するらしい。
ちょっと思い出話を少し。
話は中学生の時になるのだが、当時の友人の親戚が九州に居るという話から、「そこへ皆で自転車で行こうか?」という話が盛り上ったことがあった。13、4歳の少年というのはなんだか冒険をしたくなるもの。話していたのは仲のいい7、8人だったのだが、何人かで本気で行く気になった。「夏休みをみんな使えば行けるのじゃないか?」「とにかく片道でも行ければ、自転車は配送して国鉄でも戻ってこれる」「みんなでキャンプしながら行くと楽しいんじゃないか」話はどんどん盛り上がり架空計画を立て、わいわいと楽しく過ごした。みんな本気になって、何日かした後に「親の許可を得よう」と真面目なことを考えて、僕も両親に相談した。
当然のことながら許してはもらえず、友人たちも揃って反対され、残念ながらこの一件はポシゃってしまった。友人達もそれで熱が冷め、「やっぱり行けるわけないよな」という論調に。しかし「危険。無理。」という親の説教に折れたものの、僕の中でずっと夢は大きくなっていった。熱が全然冷めなかったのだ。
高校入学後の最初の夏休み、琵琶湖一周なら大した事はないだろう、と親を説得し、その時にまだ熱の冷め方が弱かった友人二人を誘って、綿密に計画書を作り、1981年の夏、僕は初めて自転車の旅に出た。
前述したように京都在住の僕にとって、琵琶湖は実に身近で何度も行ったことがあり、ほとんど問題はないように思ったのだが、それでも初めてで相談する人など無く、2万5千分の1の地図を沢山買い込み道に朱線を入れ、行程約200kmを3日で走る計画を立てて臨んだ。親はそれでも不安だったらしく、2時間毎に電話を入れるように僕に命じ、僕の親から同行の友人二人の家に連絡してもらう、というという連絡網を作り、心配を軽減するようにした。
さて当日、晴れやかな空の下、友人たちと朝5時に待ち合わせ、京都市内から大原、途中峠を越えて滋賀県琵琶湖へ。初めの日は状況がわからないので約70kmの行程だった。
そして初日、張り切って走ったら、なんと計画した当日の目的地に朝の9時には着いてしまったのだ。当時は70kmと言えば果てしの無い距離に思えたものだったのだが、実際はいとも簡単にあっさりと走れてしまうものなのだった。友人からは「お前の計画はなんじゃ?」とアホ呼ばわりされたが、計画通りに実行すると親と約束している以上はそれより先にも行けず、その日は琵琶湖で泳いで過ごした。間抜けだと今に至っても思う。
万事この調子で3日間なんの問題もなく走り終え、初めての自転車旅行は終わった。このことで、少し親も拍子抜けして「自転車もまあいいか」と考えるようになった。案ずるより生むが易しである。
その後僕は何度も琵琶湖は一周している。もちろん一日で楽に一周出来る。大学に入って後、一人で長期の自転車旅行に僕は出かけるようになったが、出かける前に自分と自転車の調子をみる目的で「ちょっと琵琶湖一周してくるから」と言って朝早くに出て、夕刻日が暮れるまでに戻ってくる。
歩いて一周したこともある。これはチャレンジであって、4日かかったがこれもまたいい思い出である。
そうやって親も息子が旅に出ることに慣れ、最初は前述したように「2時間毎に電話をせよ」と言っていたのが「朝晩でいい」になり「いつでもいいから毎日電話して」に変わった。そのうちに電話に出てくれなくなった。
というのは、携帯のない時代、公衆電話からだと電話代がかかるので、遠くにいるときには僕は「コレクトコール」をよく利用した。コレクトコールは、交換手がこちらの名前を聞いて、先方に伝え受けるかどうかを確認して繋げる。話が滋賀県からずれるが大学時代の夏、僕は北海道の東部、原野を走っていて、電話Boxが見当たらず探したあげく道からそれて町に入り込み、ようやく電話を親にかけた。夕方で、親が心配しているかなあと気遣っていたつもりだったのだが、
交換手「あの、電話にお出になりません」
僕「あ、留守ですか?」
交換手「いや、コレクトコールは断られました」
なんですと?!
せっかく頑張って電話を探してようやくかけたのに断るとはなんということか。後に問いただすと「だって、北海道○○町より××様からコレクトコールが入っています。お受けになりますか? と聞かれたから、それでどこに居るかわかったからお金もかかるしもういいやと思って」と言う。確かに合理的ではあるのだが、息子の声を聞きたいとは思わないのかね(汗)。かつて2時間毎に電話せよ、と言っていた母親も、慣れればこんなものである。僕は親になったことがないのでよくわからないのだが、こんなものなんですか? わはは。
話が滋賀県からそれた。
その息子の心配をしなくなった両親は、父親の定年退職をきっかけに、滋賀県に小さな家を買い京都から引っ越した。今は田舎暮らしをしており、帰省となれば僕は滋賀県に向うこととなった。実家が滋賀県となったことで、ますます縁が深くなった。さすがにまだ故郷という感覚はないけれども、それに準じた感情を今滋賀県に対しては持っている。
感じですね。訪ねたことがないです。
沼や湖って、何だか怖いんですよ。
DNAが覚えている恐怖って感じで文句なく
怖いんです。
でも琵琶湖くらいに大きかったら
湖って感じがしないかも知れないな。
自転車の旅の話
何だか スタンドバイミーを彷彿とさせる
お話ですね。
男の子は冒険の旅に出てこそ!
いつか、琵琶湖一週してみたいな。
徒歩は無理でも…自転車か、50ccバイクでも。
琵琶湖一周というのは本当に誰でも出来ると思いますが、そんなことも知らず緊張して旅立ったあの頃のことがたまらなく懐かしく思います。楽しかった。僕も少年だったのです。忘れたくないなあ。
…少年の心をきっと忘れずにいられるでしょう。
いい歳してさ…
こんな風に言われるおばちゃん(笑)になりたいです。
にがです。
こちらの記事を読んだのは初めてで、滋賀県のことを書いている!と思ってワクワクしながら読ませていただきました。
僕は滋賀県に生まれ育ったにもかかわらず、実は琵琶一(琵琶湖一周のことをビワイチというらしいです)をしたことがなくて。
子どもの頃から「いつかしてみたいな~」とは考えるものの実行には移さず。。。
おそらく駅弁の記事に書かれていたように「いつでも行ける」なんていう思いがそうさせたのでしょう。
いまだに「いつかしたい」と思いつつ、何の計画も立ててませんw
それより、凛太郎さん何かありましたか?
こちらもそうですが、凛太郎亭日乗も更新が途絶えていて不安になりました。
今までは新記事がアップされなくても、コメントへの返事は数日以内にあったと記憶しています。
お体を悪くされていなければいいんですが。
また凛太郎さんの文章を読めるのを楽しみにしています。
確かに身体悪くしてはいたのですが(8月は病院に収監されてましたね。^-^;)、まあそれは言い訳ですね(汗)。あっちのブログに言い訳は書きました。
ビワイチという言葉は、なんか懐かしい。
考えてみれば、この記事はほぼ10年前に書いたものですねぇ。今のアタシには、とてもビワイチなんてできませんわ(汗)。