凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

もしも坂本龍馬があの日…Ⅲ(黒幕は誰か)

2005年11月17日 | 歴史「if」
 前回からの続きです。

 龍馬はん襲撃の黒幕は果たして誰なのか?
 そもそも見廻組であれば、黒幕は簡単に言えば幕府である。松平容保と言ってもいい。龍馬はん襲撃の命令は出ていたのであるから。しかし、状況は多少混迷する。今井信郎の証言からすれば、龍馬はんのアジトは「ふとしたことから」判ったと供述している。自力で見つけ出したのではないこと明白なのだ。見廻組の探索者が見つけたのであれば「ふとしたこと」などと言うはずがない。密告者が居たのだ。それを伊東甲子太郎に比定しているのだが、伊東に密告せよと命じた者が黒幕ということになる。

 さて黒幕説は実に多い。むろん幕府説が以前は主流だった(幕府なら当然で「黒幕」などという言葉は使わなくてもいい)。見廻組や新撰組であるとすれば命令者は幕府ないし松平容保であるから、この説は一面では正しい。しかしながら事態はそう簡単なものではないのだ。近江屋に龍馬はんが居ることをつき止め、情報を与え命令を裏で下した(見廻組ないし高台寺党を動かした)人物が居る。そうでないとあの完璧な襲撃は成り立たないように思う。
 幕府ないし容保が情報収集しピンポイントで命令を下した、とは考えにくい。従来より龍馬はんを斬れ、という命令は見廻組には出ていたと思うが、具体的ではない。
 また、幕府上層部は龍馬はんをお尋ね者から解除しているのである。大政奉還の功労者でもあり当然である。龍馬はんは当時「徳川家の味方」と言ってもいい立場に居た。ただその命令解除が末端にまで行きわたっていなかった、というのが幕府黒幕説の根幹である。その可能性はある。ただこの襲撃劇は実に周到に計画されていて、情報を基に新たな命令が下されていた匂いがする。

 勝海舟は「榎本対馬ではないか」と推測している。榎本武揚ではなく、当時の幕府目付で大阪城代の榎本道章である。この人物についてはよく知らないのだが、かなりの保守派だったらしい。幕府大目付である松平勘太郎、永井尚志は龍馬はん狙いを解除しているのだが、強権派で独断で命令したとも考えられる。ただ情報網などの点からこの説は薄いと思われる。
 幕府でなかったとすれば? 陸奥宗光は紀州藩三浦休太郎が新選組を教唆したのではないかと考えてこれを襲撃した(天満屋事件)。いろは丸事件の恨みである。ただこの疑いは晴れたのか、その後陸奥ら海援隊は三浦を狙うことをしていない。
 また最近、龍馬はん暗殺に彦根藩が関与していたことを示す密書が出てきた、と話題になった。実行犯とされる見廻組頭佐々木唯三郎の兄手代木直右衛門(会津藩)が彦根藩と連絡を取り暗殺を指示した、というものだが、密書の内容は具体的ではなく龍馬はん暗殺を指していたかどうかは難しいところ。日付もあいまいでちょっと短絡的過ぎるのではないかと思う。彦根藩は井伊直弼死亡後転落した藩勢を取り戻そうとしていたが、裏で動いていた龍馬はんを知っていたかどうかも疑問だ。

 もうひとつの黒幕説の柱は、幕府側ではなく官軍側の指図ではなかったのか、という説だ。
 龍馬はんの大政奉還は薩長側の武断派には実に都合が悪いものだった。なおかつ龍馬はんは徳川慶喜を新政府に取り込もうとしている。これでは革命が成り立たないと危機感を覚える人間は薩長に多かったはず。
 その本題に行く前に、後藤象二郎説を見てみたい。これは実に奇説である。つまり大政奉還を建白するにあたって山内容堂にも幕閣にも龍馬はんの名前を出さず、つまり功績を独り占めせんがために龍馬を消した、という説である。そんなアホな。大政奉還策を龍馬はんが後藤に伝えた場面では、長岡謙吉も居るのである。長岡も消さなければならない。また、そもそもの大元である勝海舟や大久保一翁も消さなければならない。そんなことくらい後藤ならわかるはずである。また後藤にとって龍馬はんはまだまだ活躍してもらわなければならなかったはず。どう考えても成り立たない。

 さて、薩長説である。特に薩摩説は現在の主流と言ってもいい。何故薩摩かと言えば、このような重要な指令が出せるのは西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允しかいないからである(薩長ではないがもう一人岩倉具視という人物も居る。ただ岩倉には手駒がいない)。この中で木戸はその性格から考えて龍馬暗殺指令は出せないだろうから薩摩ではないか、というのである。僕もそれには賛成である。暗殺指令は木戸のやり方ではない。
 ただ、可能性として「思う」だけではダメなので考証したいが材料があまりない。状況を見れば、木戸はこのとき京都には居なくて(指令は居なくても出来るが)、3日後たまたま上京してこの事件を知り落涙したと言う。葬儀がこの日であったため墓標を揮毫した。その墓は現在も霊山墓地にある。黒幕とはとても思えない(全て演技かもしれないが)。
 他の状況として、もしも実行犯が見廻組ないし高台寺党だとして(新撰組でもいいが)、長州には接点がないのである。絶対無かったとはいいきれないが(新撰組には絶対無かったが)、どうも可能性としては薄い。
 だが、薩摩には見廻組にも高台寺党にも接点があるのである。

 高台寺党は薩摩藩とは密接であった。伊東と高台寺党の目的は、御陵衛士(天皇を守る組織)となること以外に、新撰組を乗っ取り勤皇討幕に変えたいということもあったようだ。このため薩摩は高台寺党に援助し(スポンサーだった)、隊員も前述の富山弥兵衛らは薩摩出身であった。油小路事件で伊東が斃されたあとメンバーは薩摩藩邸に逃げ込んでいる。
 見廻組と薩摩の接点は難しいが、佐々木唯三郎は例の薩会同盟の頃から誼を通じ、同盟瓦解の後も連絡を取っていたという説もある。また歌をよくした佐々木は、歌会で薩摩の高崎正風(薩会同盟の実務者)と交流が続いたとも言われている。長州とは比べられないほど薩摩と見廻組・高台寺党との繋がりは深い。

 黒幕は薩摩であるという傍証は出てきたが(動機と状況)、これは証拠はまず出ては来るまい。先に話を進めて、大久保なのか西郷なのか。
 どちらも怪しい。大久保なら岩倉とのタッグということになろう。岩倉は「あの維新当時は大久保と、とても口に出せないようなことをやった」と述懐している。これは錦の御旗の偽造と孝明天皇毒殺を指すと言われるが、龍馬暗殺も入っていたとしたらそれは怖ろしい。高台寺党と密接だったのはむしろ大久保で、その意味からも大久保(及び岩倉)は怪しい。
 ただ、邪魔者は斬れ、という発想は西郷のものである。小御所会議で山内容堂と後藤が徳川慶喜の処遇について反論した際「刺してしまえ」と言った西郷である。幕府を挑発して朝敵にする陰謀も西郷が担当した。本当に怖いのは西郷だ。大久保は龍馬暗殺を聞いて岩倉に「新撰組らしいぞ。ヒドいことだ」と書簡を送っている。これだけ見れば大久保は関与していない。無論カムフラージュかもしれないが。しかし西郷はこのとき沈黙している。

 西郷説を唱える場合必ず出てくる挿話は、実行犯とされる今井信郎を赦免した、という事実である。本当なら龍馬はんを殺した憎き男を赦免など考えられない。また指令を出したのが薩摩であったなら、口封じで斬首が最もいいのである。どちらにせよ不都合な赦免という事実は残っていて謎とされる。
 これはしかし西郷らしい逸話のような気もする。今井は斬っただけであり薩摩との因縁は知らなかった、と仮定すれば口封じの必要はない。情報源の伊東と実行責任者の佐々木はもう死んでいる。それでも大久保なら助けはしなかっただろう。あの江藤新平を梟首にした大久保ならば。しかし西郷は、例えば庄内藩に寛大な処置をしたように事が一旦終わればもはや問うことはしない、という思想がある。函館戦争に今井は参戦しているが黒田清隆に救われている。またもう一人の実行犯と言われる渡辺一郎は、海江田信義がその後の面倒を見ている。黒田、海江田は当時西郷派である。このように、今井の赦免と渡辺の処遇は西郷が暗殺に関与していないと解けない謎になってしまうのである。

 直接的証拠はもちろん出てこないが、黒幕は西郷、と考えたほうがすっきりとまとまる。武力革命に大きな障害となったであろう龍馬はんを、「刺してしまえ」と言ったのであろう。非情な世界ではないか。そして鳥羽・伏見の戦いは始まるのだ。

 次回に続く。

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2 コメント

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単純に時間の流れを追うと‥ (jasmintea)
2005-11-18 21:33:21
やはり怪しいのは西郷と岩倉しかいない(大久保ではないと思うんですよね)と思ってる私です。

そして黒幕が証拠を残すなんてありえないのでこれはあくまで推測の域を出ないのは仕方ないです。

今井の赦免は黒幕だった(かもしれない)西郷と赦免をした時の西郷は違う(う、、言ってることが意味不明(T_T))と思ってるんです。

何て言えば良いかなぁ??黒幕だったから贖罪のために赦免したのではないと言うか‥。

(えーん、表現できなくてごめんなさいm(_ _)m)



たぶん、密勅→武力の行使って過程で暗殺のタイミングってここしかなかったんですよね。

そのここしかないタイミングにたまたまⅠで凛太郎さんが書いて下さったように好条件が重なった!

もしかしたら龍馬暗殺の報に一番驚いて、悲しんだのは黒幕さんだったかもしれないですね。

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難しいですね。 (凛太郎)
2005-11-19 09:01:17
この黒幕の話は、だいたい世に出ている話をなぞっているので目新しいことはなくて詳しいjasminさんには読み甲斐がないことと思います(汗)。

でも岩倉はないと思うのですね。手駒がいない。岩倉の発想であれば大久保が絡んでいるはずです。jasminさんは大久保を評価されているのでこういうことを書くとマズいのですが、大久保もかなり怪しいのです。高台寺党との密な繋がりを考えると。今井を西郷が赦免していなかったら大久保じゃないかと僕は結論づけていたかもしれません。大久保のマシンの様な冷徹さは怖ろしいと常々思っています。決して僕は好きになれないタイプ(汗)。



西郷の二面性といいますか、複雑な人格はよく巷間言われるところで、ぼくもこの人のとらえどころがわかりません。jasminさんのおっしゃる「黒幕だったから贖罪のために赦免したのではない」というのも雰囲気は伝わってきます。ただ、この赦免は西郷のやり方だとは思います。理論的には考えられないですけれどもね。維新成就後の西郷であればこういうことはやるかも。大久保なら後世に疑問点を残すようなこういう赦免はしないと思います。



jasminさんがご自分のブログで書かれていた「どこまで書いていいのか迷う」。確かにそうですが、jasminさんと僕のブログとは性格が違うので(コミュニティじゃないので 笑)僕は踏み込んでいつも書いています。ただ、今回は「西郷に龍馬はん暗殺を教唆した存在」までは書きませんでした。焦点がボケるという理由ですが。これに関しては後に少しだけは触れるかもしれません。
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